2006年12月30日

人型ロボットに思春期の少年が乗り込む理由 ガンダム:エヴァ

Ask Johnふぁんくらぶ USAで『ガンダム』人気の低下がとまらないのはなぜ
http://ask-john.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/usa_9c87.html#more


アメリカでガンダムの人気がないという話は、前から知ってはいました。

ここにも書かれているように、タイミング的なものがわるかったり、バンダイの戦略がうまくいかなかったりとか、いろいろ複合的な要因があるんでしょう。
中国ではガンダムの人気がかなりあるらしいんですが、アメリカではもう無理なんでしょうね。
これから、アメリカでガンダムが一大ブームに、なんてことはなさそう。

ジョンさんは日本とアメリカの文化土壌に一つの要因があるのでは、と考察してます。

「巨大ロボットは現代日本の歩みに深く根ざしたイメージです。日本映画における巨大な怪物(ゴジラはその筆頭)のイメージが核の恐怖を反映したものだとすれば、そういう破壊的な力をねじふせる存在として巨大ロボットのイメージが日本に根付いているのです。破壊の恐怖を平和利用、というわけです。
アメリカン・カルチャーはかなり違います。日本に比べると、テクノロジーへのこだわりはそれほどではありません。巨大ロボットを操作するという発想に日本の子ども達が無意識にメッセージを読み取っている、そして巨大兵器の危険なパワーについて無意識に理解しているとして、米国人はと言うと、このテーマを実感として把握するのは難しいはずです。」

テクノロジーに対する彼我の違いが、巨大ロボットに対する情熱の差になっている、という話はどこまで的を射たものなのか、よくわかりません。
テクノロジーの進歩がもたらす破壊的悲劇というものがアメリカ人の無意識のなかに入っていないというのはホントなのかな?
ジュラシック・パークなんかでは、発達したテクノロジーによって破壊的な悲劇が起こってたりするわけですが。
まあ、ジョンさんの言うように、アメリカ人にそういう意識がなく、日本人には濃厚にそれがあるとしたら、それはたぶん「原爆」の経験によるところが大きいんじゃないでしょうか?
日本人は子供のころから、原爆の恐怖をさんざん教え込まれますからね。
原爆がいかに恐ろしいものか、骨身にしみこんでます。
いっぽう、アメリカ人にとって原爆という、テクノロジーが行き着いたはての大量破壊という恐怖は実感がわかないものです。

9.11のテロ直後にアメリカのテレビを見ていたときのことです。
テレビに出てたコメンテーターがこういう話をしはじめました。

「日本が真珠湾を攻撃したとき、アメリカ人はひどいショックを受けた。しかし、われわれアメリカ人はそれから数年ののちに原爆を開発し、戦争に勝つことができた。だから、今回のテロに対しても屈することはない。アメリカ人はやればできるんだ」

ずいぶん、昔の話で細部ははっきり覚えてませんが、こんな感じの話をアメリカ人のコメンテーターはしてました。
驚きました。
彼らにとって、原爆というのは忌むべき存在ではなく、輝かしい勝利の証なのです。
しかし、ここまで彼我の意識の差があるとはね。
まあ、こういうことを考えていくとジョンさんの仮説も結構いいとこいってるのかもしれません。
(正直、最初読んだときは牽強付会にすぎる感じがしてましたが)


えー、話は脱線しましたが、たしかにロボットに対する愛着の度合いというのは、日本とアメリカで大きく違ってるのはたしかでしょう。

日本人はロボットが好きです。
アニメでもスーパーロボットものとかリアルロボットものとか、主人公がロボットに乗り込んで戦うというジャンルの作品が数多くありますし。

なぜ日本人がロボット好きかということに、ジョンさんのように「テクノロジーへの愛憎入り混じった執着」という理由をつけることもできますが、私は別の角度から理由づけしてみたいと思います。
はっきり言って、かなりいいかげんな論考ですが、まあいいのです。
私のはいつだっていいかげんですから。
細かいことを気にしてるとハゲるか、胃潰瘍になります。
ハゲにも胃潰瘍にもなりたくないのなら細かいとこはつっこまないようにしましょう。
それが身のためです(なんだこの変な脅迫)。


えっと、ここではロボットアニメにおける疑問点をいくつか出して、その疑問にまとまった答えを出すというかたちで文を書いていきます。


まず最初に、ロボットアニメの主人公の年齢を問題にしてみたいと思います。
これらのアニメに出てくる主人公はだいたい中学生、高校生ぐらいの年齢が多いですね。
ぞくに言う思春期とだいたい年齢が重なってます。

アムロがガンダムに乗って戦ってたのが15歳。
Zガンダムのカミーユは劇中の年齢は17歳のようです(意外に年齢が高い。あのキレっぷりを考えると中学生くらいだと思ってました)。
エヴァンゲリオンの碇シンジは14歳。
それから、エウレカ鑑賞記もやってるので一応いれておくと、エウレカセブンのレントンは14歳だそうです。

ロボットアニメのなかには、軍事的細部までリアルに設定されているものが多くありますが、それなのにロボットに乗り込んで戦う主人公が中学生、高校生くらいの年齢ってのはおかしくはないでしょうか?
ロボットを使いこなすには、相当の練度と経験が必要とされるはずで、年端もいかない子供が他よりも優秀なパイロットだってのは明らかに無理があります。

この無理を押し通すために、「ニュータイプ」とか「シンクロ率がどうこう」とか言った設定がつくられてます。
しかし、こんな変な設定つくるくらいだったら、最初から主人公を20代くらいの青年にしておけば話が早い。
そのくらいの年であれば、職業軍人であることも普通なわけで、学生しながら戦ってるエヴァみたいな不自然さを免れることもできますし。
なのに、どうしてこれらのアニメの主人公は年齢が若いのでしょうか?

その理由のいちばんは、もちろん「ロボットアニメの視聴者の年齢に合わせてる」ってことです。
自分と年齢の近い主人公であれば感情移入しやすいですしね。
しかし、私はこれだけの理由ではないと思うのです。

14〜17くらいの年齢って人生のなかで最も感情の起伏が激しい時期です。
もう、子供のように無邪気ではいられないし、かといって、大人のように自分というものに折り合いをつけられるわけでもない。
自分という存在が世間からどの程度、必要とされているのかわからない。
それに加えて、日々刻々と変化しつづける自分の体が不安をあおる。

結果、この時期の感情は極端な自己賛美と、これまた極端な自己卑下を行き来します。

レディオヘッドというロックバンドの曲に

「オレは特別な存在になりたい。だけど、オレはダメ人間さー。居心地悪くてたまんねーんだよ」

ってなことを歌ってるのがありますが、まさにこれです。

「自分は特別な存在ですごい才能を持ってる」という根拠のない自信と、
「自分はダメな人間で、どうしようもねーよ」という無駄にネガティブな自己否定。

この時期の子供にはこうした両極端な自己認識をいったりきたりすることがよくあります。


次に「なぜロボットアニメに出てくるロボットは人型なのか?」ということについて。

ロボットといえば、人間と同じ形としているものだと我々はなんとなしに思っていますが、ロボットが人型でなければならない理由はありません。
たとえば、自動車工場で自動車を組み立てる機械もロボットと呼ばれていますし、回転寿司で人間の代わりに寿司を握るのもロボット、そうそう、インターネットの検索エンジンで自動で情報収集するプログラムもロボットと呼ばれています。

軍事のことに話を移すと、アメリカ軍ではロボット兵器の開発をしてます。
が、このロボット兵器とはモビルスーツ、アーマードトルーパー、レイバー、アームスレーブのように人が乗り込んで操縦する人型ロボットのことではなく、無人で偵察、索敵、戦闘を行う機械のことです。

私は軍事関係の知識にはあまり強くはありませんが、常識的に考えても、軍需産業が人型ロボットを開発する理由ってほとんどないはずです。
まず人型のロボットが突っ立ていれば、敵から簡単に標的にされてしまう。
戦争映画なんかを見ると、匍匐して相手の弾があたらないようにしてますもんね。

悪路をいくときに、戦車などに比べて人型のほうが有利ということもあるかもしれませんが、それなら四本足の動物に似せたほうがいいでしょう。
そもそも人間のような二本足歩行というのは、バランスの悪い極めて不自然な格好なのであって、もし二本足歩行が優れているのだとしたら、他の動物も二本足歩行できるように進化したはずです。

兵器が人型をしていなければならない理由というのは見つからないにもかかわらず、ロボットアニメでは人型ロボットに主人公が乗り込んで戦うという物語を紡ぎ続けます。
なぜでしょう?

それは、人型ロボットのほうが「カッコいい」からです。
私は人型よりも、クモ型ロボットのほうが実用性があるような気がしてますが、いくらそっちのほうが実用的だからといって主人公がクモ型ロボットに乗って戦争するアニメ作っても人気でません。
格好悪いですから。
し・か・し、ここでは人間とクモのフォルムを比べて、人間のほうがカッコいいとしましたが、人間のフォルムというものが世の中で一番カッコいいというわけではないはずです。
たとえば、人間型ロボットよりも、戦闘機などの流線的フォルムのほうがカッコよく感じる人もたくさんいるでしょうし、他の動物にも人間よりカッコいいフォルムを持ったのはたくさんいるように思います。
それなのに、なぜロボットを人間の姿に似せなければいけないのでしょうか?
それは後で述べます。


次の疑問点は「なぜ主人公ののるロボットは量産型ではないのか?」です。

だいたいのロボットアニメにおいて、主人公の乗る機体はワンアンドオンリーです。
ファーストガンダムにおいて、アムロが乗るガンダムは非常な高性能で、敵方のシャアから

「連邦のモビルスーツは化け物か」

などと言われ恐れられていますが、このガンダム、劇中ではアムロの乗る一機しか登場してきません。
それほど高性能なら、ばんばん量産してしまえばいいのに、と誰もが思います。
戦場に出てきた瞬間にやられてしまう、ジムやボールなんて雑魚を作ってるヒマがあったらガンダムをもっと作るべきです。
しかし、連邦の上層部にはガンダムを量産する気はぜんぜんないようです。

ガンダムを作るのにはコストがかかるからという理由でしょうか?
しかし、機体を一機だけ作るのと量産するのではコストがぜんぜん違ってくるのですが、それを理解してるのでしょうか?

たとえば、ここにトヨタの工場があるとします。
ここで、カローラを10台だけ限定生産すると、このカローラの値段はめっちゃ高くなります。
というのも、カローラを開発するのにかかった開発費、生産ラインを構築するのにかかったコストなどを、この10台だけで回収しなければならないからです。
つまり、開発費等をこの10台の価格に上乗せしなければならないんですね。
次に、この工場でクラウンマジェスタを10万台作ると仮定しましょう。
マジェスタは高級車ですが、この場合、開発コストなどを10万台で回収すればいいので、カローラの場合よりも値段を抑えることができます。
つまり10台だけの限定生産カローラよりも、10万台作ったマジェスタのほうがはるかに安く売ることができるのです。

自動車産業は、売り上げが大きくなればなるほど、こうした作用によって利益率があがっていきます。
このことを、スケールメリットなんていう言い方をしたりします。
余談ですが、ホンダがトヨタになかなか勝てないのは、売り上げが違うからです。
トヨタの売り上げは、だいたいホンダの二倍近くあります。
こうした売り上げの差というものが一度ついてしまうと、これを覆すのはなかなかできることではないのです。

量産すればそれだけ一体あたりのコストが下がることを考えれば、ロボットアニメにおいて主人公の乗る高性能機体も当然、量産すべきです。
しかし、そうはなっていません。
ボトムズのように、主人公が機体を次々と乗り換えていくタイプのアニメもあるにはありますが、これはあくまで少数派です。
だいたいのロボットアニメにおいて、主人公と、主人公の乗るロボットのあいだには、「分かちがたい運命」のような結びつきをもっているかのように描写されます。
主人公の乗るロボットは、「特別な存在」であり、その世界ではその一体しか存在しない(かのように描かれている)のが普通です。
主人公はその「特別な存在」であるロボットに乗り込んで、戦い、味方から賞賛されたり、敵から恐れられたり、します。

なぜ主人公の搭乗ロボットが量産されないのかというのは、純粋に作劇上の心理的要因からです。


私は上のほうでこう書きました。


「自分は特別な存在ですごい才能を持ってる」という根拠のない自信と、
「自分はダメな人間で、どうしようもねーよ」という無駄にネガティブな自己否定。

この時期の子供にはこうした両極端な自己認識をいったりきたりすることがよくあります。


ロボットアニメにおける主人公の搭乗ロボットというものは、思春期の子供が普通に持っている感情である「自分は特別な存在ですごい才能を持ってる」という根拠のない自信を体現するための装置なのです。
だからこそ、それはワンアンドオンリーでなければならないし、量産されるなんてことは絶対あってはならない。
もし量産されてしまえば、自分が特別な存在であるという根拠を失ってしまいます。
そして、だからこそ、ロボットは人型でなければならない。
ロボットは主人公と、視聴者の誇大妄想的な自我の反映なのだから、人型以外のフォルムというものはありえません。

ロボットアニメのなかでは、主人公に対する賞賛と、ロボットに対する賞賛がごっちゃになってることがよくあります。
たとえば、上記のシャアのセリフ

「連邦のモビルスーツは化け物か?」

なんかがそうです。
これは、アムロの操縦技術を誉めてはいない。
ガンダムという機体に対する賞賛です。
しかし、なぜか、アムロ自体も誉めているような響きがあります。
それは、ガンダムというロボットがパイロットであるアムロの分身であるかのように(視聴者に)感じられているからです。
アムロがジムに乗り込んで戦って、

「ジムみたいなヘボいモビルスーツであそこまで戦えるとは、あのパイロットはタダ者じゃない」

みたいに、ロボットのほうはダメだけど、パイロットの腕は素晴らしいというような文脈で誉められることは、ロボットアニメではあまりありません。


さて、ロボットが思春期における誇大妄想的な自我を体現したものである、ということはそれでいいとして、ではもう一つの感情である「自分はダメな人間で、どうしようもねーよ」という無駄にネガティブな自己否定はどこで表現されているのでしょう?

ファーストガンダムの場合、それは明白です。
アムロという少年自体が、内気でロボットいじりの好きなオタク的人物として描かれています。
そのうえ、アムロはしばしば引きこもり的症状に見舞われ、艦長であるブライトから鉄拳制裁をくらったりして、みじめきわまりない。

このように主人公自身がみじめで暗く女々しい性格として描かれているので、劇中では思春期的な二つの引き裂かれた感情が両方描かれていることになります。
つまり、日常の場面では、主人公のネガティブな自我が描かれ、戦闘場面では誇大妄想的な自我が表現され、その二つの極端な自己認識を交互にはさむことで、この年頃の少年がもつ感情の揺れを描き出しているのです。

ガンダムの続編のZガンダムでも、こうした感じは同じです。
カミーユというのは、ちょっとしたことでキレてしまう情緒不安定な少年です。
いちばんイジメにあいやすいタイプですね、これ。
典型的ないじめられっ子タイプのカミーユですが、いったん戦闘シーンになれば、搭乗するZガンダムの性能もあいまって、超人的な活躍をみせます。
やはりここでも、場面ごとの落差というものが、生かされています。

ガンダム以降、優れたロボットアニメは数多くあれど、社会現象とまでなったのはエヴァンゲリオンだけです。
このエヴァの主人公である碇シンジもアムロ同様、人付き合いが苦手な暗い少年として描かれています。
エヴァの場合、戦闘シーンで描かれるのは誇大妄想的な自我というより、自分の内面に巣くってるどろどろした攻撃衝動っていう感じがしますが、それはともかく、日常と戦闘シーンでの揺れ幅の大きさで、思春期的感情の揺れを描いてるというところでは同じです。

ロボットアニメの主人公はなぜ、思春期の少年なのか?という疑問を最初にだしましたが、ここまでくれば簡単に答えることができます。
それは
「ロボットアニメが思春期的感情を描くのに適した表現手段だから」です。

ロボットというものが、「強くて、皆から賞賛されるもう一人の自分」というイメージを投影したプラスの擬似人格なので、主人公の性格をマイナス方向の、社会に適応するのに難儀を感じる少年として設定すれば、それだけで思春期的感情の揺れ幅を表現できるからです。

ガンダムシリーズのなかで、ファーストガンダムとZガンダムの人気が高いこと、そしてガンダム以外のロボットアニメで大ヒットしたのがエヴァだということの理由もこうしてみれば明白ではないでしょうか?
これらのアニメの共通点は、「主人公の性格が陰鬱だ」ってことですから。

えっと、ここでは現在からの視点でロボットアニメを俯瞰してみましたが、歴史を順に追っていくという手法をつかうと、また違う見方が出てくると思います。

誇大妄想的自我を表現する手段、つまりヒーロー的アニメとしてのみあったロボットアニメを、根暗で内気な主人公という設定を使うことによって、思春期的感情を表現するメディアに変えたのがガンダムなんでしょう、たぶん。
私はあんまり詳しくないので、こういう視点からは語りませんでしたが。


しっかし、くそ長い文章になっちまいました。
ここまでちゃんと読んでいただいた方には、感謝感謝です。



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2006年12月28日

刺青(いれずみ)

探偵という職業柄、私はヤクザのような連中とも多少の面識があります。
ちゃんと(?)組に所属してるのもいれば、街のチンピラみたいなのもいるし、金貸しもいたり、まあ色々ですが。

で、そのうちの一人で私の事務所(兼自宅)にときどき遊びにくる若い衆がいるんですが、そいつがこの前、両肩に刺青をいれました。
タトゥーみたいな洋物のやつじゃなくて、和風の刺青です。
どっちの肩も黒い龍に赤い目玉という絵柄です。

最初に右肩を彫って、しばらくしてから左肩を彫ったらしい。
右と左を見比べてみると、あきらかに色が違います。

刺青って面白いもんで、墨をいれたばかりのときは、黒々としてツヤがあるんですね。
それが多少時間がたつと、じょじょに色が抜けていくらしい。
墨を入れたばかりの左肩が黒々としてきれいなのに、右肩のほうはすでにちょっとかすんだ感じの色合いになってます。

それに、刺青をいれてから汗をかいたりしても色が抜けるそうです。
消毒なんかも大変そうです。
水で洗い流してから、ワセリン塗らなきゃいけない。
うーん、めんどくさそう。

私は痛いのにすごく弱いんで、「どれくらい痛いのか」と聞いてみたら、
肩甲骨みたいに骨の浮き出しているところを彫るときがすんごく痛い、って言ってました。
彫っているときは血が滲み出してくるので、血を拭きながら彫っていくそうです。
(なんか想像しただけでイヤだ)
それから彫ったあとは、ちょっとぶつかっただけで、飛び上がるほど痛いらしいです。

そんなに痛い思いして、しかも高い金だしてまで刺青いれる気持ちが私にはよくわかりません。
まあ、どれが格好いいかという感性は人それぞれですがね。

それに私の場合、好きなものがコロコロ変わりますからね。
たとえば、十字架のタトゥー入れてから、何年かたって、
「ああ、十字架なんてもう飽きた。ドクロにしよう」
とか思っても、刺青、タトゥーの場合、変更できませんし。

ある意味、刺青を入れる人というのは、
「今の自分の感性、好みが未来永劫変わらないと確信してる人」だってことがいえるわけです。
私なんか、そんな確信はとてもじゃないが持てません。

たしかに十年来、ずっと好きな小説だったり、映画だったり、音楽だったりというのはありますが、それと同時に、今じゃ何の興味も持てないものに、夢中になっていた時もあるわけで、そういう過去の自分の愚行を鑑みるに、今現在の自分の好みを絶対視することなんてとてもできないです。

こういう部分でも、刺青向きの人間と刺青不向きの人間ってのに分かれるような気がします。



タグ:刺青

2006年12月20日

萌える名前の作り方実践編2

さて、実践編2回目です。

レアな名字を付けることのメリットの2つ目はこれです。

「余計なイメージが付着するのを防ぐ」

身近に「朝比奈」という名字の人を知っている人は、たぶんほとんどいないでしょう。
きわめて珍しい名字だからです。
よって、我々は朝比奈みくるというキャラクターに何の先入観も持たずに接することができます。
これが、どこにでもいる平凡な名字のキャラクターだった場合、我々の身近にいる具体的な人物のことを思い出してしまい、初めからなんらかのイメージが付着してしまうことになってしまいます。

具体例をあげましょう。

灼眼のシャナというアニメに、吉田さんというキャラクターが出てきます。
この吉田さんってのは、健気で可愛いキャラなのですが、私はまったく萌えることができませんでした。
なぜかというと、私の小学生時代の同級生に吉田ケンジくんという人がいるからです。

この、吉田くんはあることをなしとげた功績により、周囲から「勇者」とよばれ、リスペクトされていました。
その吉田くんのやったあることというのは

「小便とウンコを食べたことがある」

ということだったのです!!!んげ

私の小学校では、「人のやりたくないことをやったやつは偉い」という、
一般社会の偉人像とはまっこうから対立する独特の見解が流布しており、その見解に照らし合わせたとき、吉田くんの業績はオンリーワンにしてナンバーワン、他に比肩すべきもののない輝かしい偉業である、として皆の賞賛をあびていたわけであります。

排泄物を口にすることで、勇気を試すなどという蛮行がかように賞賛されていたということは、我が母校の知的水準が推し量られて、暗澹たる気持ちになります。
ちなみに、小便は舌にぴりりと刺激があり、ウンコは苦い、らしいです。

ということで、私にとって「吉田」とは小学校のスカトロ偉人である吉田ケンジくんなのであって、そうしたイメージの吉田に萌えられるはずがありません。
なんでオマエは、吉田松陰とか吉田茂を思い出さずに、そんな小学校のバカを思い出すんだ?とか言われても、これは仕方ないのです。

人間の頭のなかにあるイメージというのは、自分でどうにかしようと思っても、そうそう簡単に操作できるものじゃありません。
一度、ある事柄とある事柄が頭のなかで結びついてしまったら、それはいかんともしがたい。
そういうもんです。

だから、吉田などという平凡な名字を使うより、朝比奈のようなレアな名字を使ったほうがいいのです。
そうすればスカトロの悲劇を免れることができます。
まあ、この悲劇に見舞われたのは私だけですが。

ということで、レアな名字を使うことの効用を二つ述べましたが、ここで注意点があります。

まず一つめは、
レアな名字がいいといっても自分で創作しないこと、できれば実在する名字を使ったほうがよい、ということ。

私がワーストワンにあげた涼水玉青、この「涼水」という名字が実在するのかどうかはわかりません。
日本には数多くの名字がありますから、ひょっとしたら実在するのかもしれません。
しかし、この「涼水」は創作っぽいです。
実際は創作でなかったにしても、創作っぽいというだけで、マイナスになってしまいます。
それはなぜかというと、歴史の重みに欠けるからです。

レアな名字を使うことの利点の一番目に、「数が少ないことにより収集癖をかきたてるから」だと書きました。
これは実在する名字であることを前提にしています。
実在する名字だからこそ、希少価値がでるのです。
私が創作した「火花烈風院」のような名字では希少価値はでません。
そんなのはいくらでも作ることができますから。

ということで、レアな名字とは言っても、ちゃんと実在する、もしくは実在するだろうと思わせるものをつけなければいけません。
だから歴史に登場してくる人物でレアな名字なんてのはいいわけです。

ただし、豊臣、徳川などの名字はダメです。
これらは確かにレアではありますが、イメージが強すぎます。
豊臣は猿を、徳川は狸をすぐさま連想してしまいます。
レアな名字とはいっても、歴史で大活躍した人物ではイメージが強すぎて、「余計なイメージが付着するのを防ぐ」という目的から逸れてしまうのですね。

つまり、一番いいのはこれです。

「歴史に登場してくる人物であるが、その人物が何をやったのか、どういう人物であるか、よく知られていない無名の人物の名字、しかもレア物」

朝比奈なんてのは、まさにこれです。
私は今川家の家臣にこういう名字の人物がいたのは知っていますが、この朝比奈なる人物が何をやったひとなのか、ぜんぜん知りません。
たしか、信長の野望で目にしただけです。
萌える名前を作りたいひとは、歴史人名図鑑の一つでも買って、レアな名字を探しましょう。
たぶん、早いもの勝ちです。
あ、そうそう、西園寺なんてのも使えると思います。って、アレ?ナンカヘンナホウコウニハナシガコロガッチャッタヨ。

注意点の二つめは
レアな名字はよい効果を生むが、レアな名前(ファーストネーム)は逆効果を生むことがある、です。

これには重々に注意しなければなりません(って誰が?)。
この理由はすでに上で書いたこととかぶるのですが、名字は代々伝えられていくもので、個人の力で改変できるものではありません。
よって、レアな名字というものには希少価値がでます。
しかし、名前というものは、基本的に親が勝手に決められるものなので、どれだけ変わった名前をつけたところで希少価値がでないのです。
歴史の重みというものがないからです。
むしろレアな名前(変わった名前)をつけることによる逆効果がでてしまう恐れがあります。
ここも具体例をあげましょう。

まず、レアな名字と普通の名前の組み合わせを考えます。

朝比奈よう子

うん、まあこれはアリでしょう。
みくるには負けますが。
納得できる名前です。

次に平凡な名字に変わった名前の組み合わせ。

田中ヒンギスシャラポワっ子

こんな名前ありえません!!!(当たり前だ、バカ)
こういう変わった名前から推測されることは何でしょう?
それは、このヒンギスシャラポワっ子ちゃんの両親のドキュンっぷりです(あ、それと両親がおそらく熱狂的テニスファンだということもわかりますね)。
こんな名前の女の子を見た瞬間、我々はこう思ってしまいます。
「きっと、この娘の両親の脳みそは、三日煮込んだおでんのようにグダグダになってるに違いない。うぐぐぅ、こんな両親に育てられるなんてかわいそうに」
そして、ヒンギスシャラポワっ子ちゃんに対する憐憫の情が心の底からわいてくるのです。

これほど極端な例でなくとも、子供に変わった名前をつける親って、見ててイヤになるものがありませんか?
親の奇妙な自己顕示欲を子供にむりやり押し付けているような感じがして、あまりいい気持ちがしないものです。
(つーか、昔、子供に「悪魔」って名前つけようとしたバカがいましたね)
あまりに変な名前をつけてしまうと、その娘の家庭環境にまで思いをはせてしまい、逆効果になってしまいます。
だから、名前は多少平凡でもかまいません。
多少平凡なくらいのほうが、まともな家庭環境を想像できますので、よい効果をえられると思います。

蛇足ですが、日本人ならだれでも知ってる偉人で、子供の名前につぎつぎとドキュンな名前をつけまくった人がいます。
以下が、その偉人が子供につけた名前の一覧です。

長男:於莵(おと)
次男:不律(ふりつ) 
三男:類(るい)
長女:茉莉(まり)
次女:杏奴(あんぬ)

この変な名前の数々は、ドイツでも通用する名前という理由でつけられたようです。
順に、オットー、フリッツ、ルイ、マリー、アンヌ。
たしかにドイツでは通用するでしょうが、日本じゃぜんぜん通用しませんが。

さて、この偉人はだれでしょう?

Answer 森鴎外

ただし、森鴎外はよい父親ではあったようです。
長女の森茉莉は小説家として有名な人ですが、彼女のエッセイなんかを読むと、鴎外が相当に子煩悩だったことがうかがわれ、微笑ましいです。

えー、好き勝手書いてきたこの萌える名前の作り方ですが、今回で終わり・・・じゃなくて、あと一回あります。
次回は番外編です。

実は、この萌える名前の作り方で書いてきた、「名前のつけ方」と同様の手法を使って主人公の名前をつけている小説のジャンルがあるのです。
その小説のジャンルとはなんでしょう?
ってのが次回書くことです。
あ、言っておきますが、ライトノベルではないです。念のため。


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2006年12月18日

萌える名前の作り方実践編1

アラブ人とユダヤ人の戦いのように、無意味きわまりないバトルがあったりしてのびのびになってた、萌える名前の作り方実践編です。

しかし、いままでの記事ですでに実践編的内容も書いてしまってます。


萌える名前ランキング9−7
http://animemangarobox.seesaa.net/article/28197029.html

萌える名前ランキング6−4
http://animemangarobox.seesaa.net/article/28550073.html

萌える名前ランキング3−1
http://animemangarobox.seesaa.net/article/29007166.html


たとえば、
「イメージの強い漢字は一字にとどめておきましょう」とか
「母音の配列に注意しましょう」
とかですね。

ですので、ここではポイントを一点にしぼって書いていこうと思います。

lesson「レアな名字をつけましょう」

萌える名前ランキングで一位になった「朝比奈みくる」。
この名前はたしかに秀逸です。
そして、その優秀さの大部分を「朝比奈」という名字によっています。
この一風変わった、そしてレアな名字によって萌えポイントは増大しているのです。
この感覚は、たぶん多くの人に共感してもらえると思います。

さて、それではなぜレアな名字をつけると萌えポイントアップにつながるのでしょう?
その理由は二点あげられます。

まず第一点。
「レアなものは、人の収集癖に火をつけるから」

経済学では需要と供給の均衡点で価格決定される、ということをいいます。
こういう言い方をすると難しいように感じますが、ようするにその商品がほしい人が多く、その商品を作ってる人が少なければ、値段が高くなるし、その逆バージョンだと値段が安くなるということです。
すんごく単純です。
この説を唱えたのは、ジョン・スミス・・・じゃなかったアダム・スミスという人なんですが、この人はこんな単純な学説を唱えた功績によって経済学の父とか言われてます。
私は、ジョン・スミスじゃなくてアダム・スミスの本を読んだことはありませんが、たぶんこいつバカです。

そんな需要と供給とか頭ぱーんってなりそうな言葉を使わなくても、私たちは実際の生活でそういう事例をみているはずです。
たとえば、昔、エアマックスという運動靴がありました。
今見ると
「なに、このおじいちゃんのシワシワみたいな運動靴ぅ?」
とか思いますが、当時はかなり人気があって品薄でした。
いやマジで。
すごい人気だったのです。
で、その結果、どうしてもエアマックスを欲しいというバカ、いや運動靴愛好家たちが値段をつり上げていきました。
たしか、当時十万円とか、そんなバカ高い値段で取引されてたはずです。

ただの運動靴がですよ!?
しかもシワシワのヤツが!??
正気の沙汰じゃないとはこのことです。
しかし、正気の沙汰じゃないのはたしかですが、こうして商品の値段が決まっていくのはたしかです。
ちなみに、運動靴愛好家のなかで、他の人よりも多少暴力的で、多少道徳的レベルの低い人たちはエアマックス狩りという愚行に及びました。
エアマックス狩りとは耳慣れない言葉かもしれませんが、ようするにエアマックスを履いている人を見つけたら、殴る蹴るなどの暴行行為に及び、履いていたエアマックスを強奪してしまうという素敵な行為のことです。
水虫うつるかも、とか考えなかったんでしょうか?

とにかく、こうして需要と供給のバランスによって、モノの価格は決まっていきます。
(つい需要と供給なんて難しい言葉使ってしまいましたが、使ってみると便利な言葉です。ひょっとしたらジョン・スミスも偉い人なのかもしれません)
それで、価格とはなにかといえば、人の欲望を数値化したものなわけですから、需要と供給のバランスを変えてやれば、人の欲望も喚起できるのです。
需要の側は操作できません。
需要、つまりこの場合アニメオタクですが、彼らの総数を増やすなんてことは、よっぽどの天才アニメーターでもない限り不可能です。

ですが供給の側は操作できるのです。
朝比奈のようなレアな名字をつければ、田中のような平凡な名字よりも数として少なくなり、結果品薄状態を生み出すことができます。
エアマックス状態です。
だから、萌えポイントも増大するのです。

レアな名字をつけることのメリットの一つは、こうした「数の少なさ」によって欲望を喚起するところにあります。
で、もう一つのメリットなんですが、それは次回。



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2006年12月05日

萌える名前ランキング3−1

間隔あけたので忘れてる人もいるかと思いますが、とうとう萌える名前ランキングベスト3の発表です。

第三位 高町なのは(魔法少女リリカルなのはA's)

高町という名字はポイント高いです。
この名字、母音だけ抜き出してみると
「a」「a」「a」「i」と「a」が並んでます。
aの音が並ぶと不思議と明るい響きがでて良いです。
しかも、「町」という漢字は自然に「町娘」だったり「小町」を連想させるため(まあこれは自分だけかもしれないですが)、ちゃきちゃきした明るいイメージを付けることに成功しています。
名前がなのはと平仮名なのも可愛らしさを演出するにはよい方法です。
平仮名の名前は男には使えませんからね。
女の子というものを印象づけるのに、平仮名名前は最適です。

男の平仮名名前ってだれかいたっけ?とちょっと考えてみたのですが、私の頭の中に浮かんできたのは

中島らも

速水もこみち

の二人だけでした。

まったく何の共通点も見出せないこの二人、平仮名名前という、ただそれだけの理由で私の脳みそのなかでランデブーしてしまったことに、新鮮な驚きを感じています。
今、私の頭の中では、

虚無に等しい漆黒の宇宙空間で、互いに手を伸ばして相手の手を掴もうとしている中島らもと速水もこみちの姿がまるでファーストガンダムのラストシーンのように繰り広げられているのですが、これほど無駄にして無意味な心象風景というのもあまりないだろうと思って、あえて書いてみました。


それから話はそれますが、この「魔法少女リリカルなのはA's」ってアニメは、NHKにようこそに出てくる魔法少女プルリンの元ネタなんでしょうか?


第二位 遠坂凛(Fate/stay night)

この名前はもし一位がいなければ、一位でした(当たり前だ)。
とりたててどこがいいというわけではないですが、バランスがいいです。
これは名前の付け方として全般的に言えることですが、鮮やかなイメージのもつ漢字は一字にとどめておいたほうが賢明です。
イメージの強い漢字を二つも三つも並べてしまうと、注意が散漫になってしまいます。
この「遠坂凛」という名前のうち「遠」「坂」は平凡な漢字です。
「凛」だけがイメージ喚起度の強い漢字です。
よって、この名前は「凛」という漢字の持つイメージだけが鮮烈に伝わるのです。

もし、あなたが「火花烈風院」とかの強烈なイメージを持つ名字だったとしたら、子供の名前は地味にしてあげましょう。
この名字の持つイメージを相殺することをねらって、名前に「吹雪轟々(ふぶきごうごう)」とか「氷柱(つらら)」とかつけてしまうと、曙が負ける確率と同等の確率であなたのお子さんはグレます。
注意してください。


さて、いよいよ第一位の発表です(つっても残った一人が一位なんですけどね)。
今まで、私の感覚だけで好き勝手にランキングしてきたので、異論反論オブジェクションは腐るほどあるとは思いますが、この一位だけはおそらく大多数の賛同を得られるんじゃないかと勝手に思ってます。
少なくとも安倍内閣の支持率よりは高いはずです。


第一位 朝比奈みくる(涼宮ハルヒの憂鬱)

名前の持つ萌えポイントだけで見ると、これぶっちぎり一位です。
プライドではヒョードル、プレミアリーグではチェルシー、大相撲では朝青龍、萌える名前ランキングでは朝比奈みくる(なんか、ここだけ世界が小せェ、しかもショボ)と断言したいくらいの絶対王者です。

この名前の萌えポイントを詳述するに、まず朝比奈という名字のレア度があげられます。
たしか、戦国大名の今川氏の家臣に朝比奈というのがいましたが、私の知る朝比奈はこれだけです。
朝比奈という名字の知り合いがいる人はほとんどいないでしょう。
これは萌える名前の作り方(実践編)で詳しく書こうと思ってますが、レアな名字というものはそれだけでポイントが高くなります。

次に音です。
朝比奈の母音は「a」「a」「i」「a」です。
aの音が3つです。
高町なのはのときに触れたように、aの母音は明るいイメージを与えます。
何かの本で読んだのか、それとも誰かに聞いたのか忘れましたが、各母音の与えるイメージを理解するには母音ごとに笑い声をあげればいいというのがありますね。

aは「あっはっは」
いかにも豪快で快活な笑い方です。

iは「いっひっひ」
スネ夫とかの権謀術数タイプもしくは教頭先生、係長などの、今はナンバー2だけどいずれはトップをねらえ的立場の人間の笑い方です。

uは「うっふっふ」
昔のマンガに出てくる「〜ざます」口調のマダムの笑い方です。
ちなみに私は今までの人生で「〜ざます」という喋りかたをしてる人を見たことがないのですが、もしそういう方をご存知の方はご一報ください。
希少動物ですので保護する必要があります。

eは「えっへっへ」
こういう笑い方をする人は、照れてるのか、恥ずかしがってるのか、それとも蛭子さんかのいずれかです。

oは「オッホッホ」
高飛車です。
セレブです。
ヒルトン姉妹はセレブなんですか?
ただのバカにしか見えないのは私が貧乏人なせいですか?


「朝比奈」という名字が「a」が優勢の明るい印象なのにたいして、「みくる」は「i」「u」「u」とちょっといじけたというか縮こまった感じがでてます。
その落差というかアンバランスなところが、またかわいらしさを高めています。
「高町なのは」が名前部分もa優勢で、名字も名前も明るいイメージを与えるのと比較すると、この違いがよくわかると思います。
さて、強いイメージを与える漢字は一字にとどめておいたほうがいいという話をしましたが、この朝比奈みくるのなかのイメージ漢字はどれでしょう?
もちろん、「朝」ですね。
「比」、「奈」、ともに、イメージをもたらす漢字ではないです。
朝という漢字はとうぜん明るく健康的なイメージをもたらします。
音の観点から見ても、朝比奈は明るいイメージをもたらしますが、漢字の視覚イメージの観点からも同様の効果を与えています。
相乗効果ってやつです。


ついでに付記しておくと、私は朝比奈さん自体にはまったく萌えません。
というか、あのアニメのなかでの朝比奈さんの役割って、パロディ要素の一つでしかないですよね?
正直に言うと、朝比奈さんに萌える人たちの心理というのがいまいちよく理解できないです。


さて、萌える名前の作り方、次回は実践編です。
そこで、朝比奈みくるという名前がどうしていいのか、詳しく書いてみたいと思います。
この下らない企画がまだ続くことを知って呆れているひともいるかとは思いますが、実はこれあと二回も続くのです。
次回はたぶん来週前半くらいになると思います。



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2006年12月03日

エウレカセブン19〜22話補遺

書き忘れていましたが、19話でこのアニメにある重要な変化が起こります。


その変化とはエウレカの「ルックス」です。


レントンが一目惚れするくらいですから、エウレカはもともとかわいい女の子でした。
しかし既に述べたように19話でエウレカはジェルまみれになってしまいました。
その症状は20話で回復するのですが、いったんジェルまみれになってしまったため、エウレカの髪はすんごい短くカットされ、眉毛にいたってはあとかたもありません。
はっきり言って、ひどくブサイクです。
眉毛のない女がどれほどブサイクか実例を出しましょう。


mayugebon.jpg


眉毛がない女というものが、いかに我々の美意識を逆なでしてくれるのか、よく理解できたことと思います。
このアニメのタイトルはエウレカセブンっていうくらいですから、ヒロインは当然エウレカです。
しかし、そのヒロインがブサイク極まりないのです。
これって、新しい嫌がらせかなんかでしょうか?

「お前らにはぜってぇ萌えさせねーぞ。お前らはこのブサレカ(ブサイクなエウレカの意)でも見て喜んでりゃいーんだよ、キャハハ」的な製作者の悪意を感じてなりません。

もっと付け加えると、このブサレカ状態はなんと41話まで続きます。
ブサレカ化したのが19話ですから、エウレカセブン全50話のうち、ざっと40%をわれらがヒロイン、エウレカはブサレカとして過ごすわけです。うぐぐ。

私のかわいいエウレカを返してください。
ブサレカは要りません。



2006年12月02日

任天堂 Wii

Wii発売、有楽町ではカウントダウンイベントも
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2800193/detail?rd

任天堂Wii [ウィー] 発売当日に一部で買取2万5000円割れ
http://www.akibablog.net/archives/2006/12/wii_25000.html

私はゲームには疎いです。
ゲームはたまにしかやらないのですが、そんな私が思うにWiiのほうが勝つでしょう。

任天堂の発想というのはシンプルで、「ゲーム機ってのは結局のところ、おもちゃだ」ってことですね。
DSを見れば分かるように、タッチペンで操作できたり、今までゲームをやったことのない人にもとっつきやすいようなものを作ろうとしてます。
ゲームというものは歴史を重ねるにつれ、操作が複雑化していくもんです。
たとえば、10年以上、ゲームをやったことのない人がウイニングイレブンを上手く操作することができるでしょうか?
私は、たまにはゲームしてるし、ウイイレやりこみましたが、それでもあのゲームでフリーキックを決めることができたのって、たったの2回だけです。がが
(私はずっと右ウイングにベッカム使ってました。右サイドだとベッカムは足が遅いんでドリブルで抜けないし、スルーパスしても届かなかったので。初めてフリーキック決められたときは感動のあまり号泣しましたね、うにゅにゅ)
ゲームの内容が高度化していくにしたがって、操作は複雑化していく。
結果、ゲームから離れていった人たちがゲームをやり始めてみても、難しくてできない。
そういう変なヒエラルキーみたいなもんが、自然に構築されていってしまいます。
任天堂がやりたいのは、こうしたヒエラルキーをいっぺんチャラにしてしまうってことです。
素人にとっつきにくい「おもちゃ」なんて欠陥商品ですからね。

これをもう少しわかりやすく説明すると、いままでゲームをやり続けてきた人には昇竜拳のコマンド入力って簡単ですよね?
だけど、ゲームに不慣れな人はアレできません。
ゲーム玄人とゲーム素人が対戦してもぜんぜん面白くないわけです。
だけど、操作方法が一変してしまえばどうでしょう?
ゲーム玄人も今までの経験を生かすことができません。
昇竜拳の使い手もゲーム素人も同じ土俵で遊ぶことができるわけです。
そして、二人は幸せなゲーム生活を送ることができるわけです。ぱちぱち。

その上で、ゲームヒエラルキーの上部にいるひとたち(いわゆるゲームオタクですね)のために、過去の任天堂ゲームが低価格でダウンロードできるようにしてあるわけです。
二段構えってやつですね。長篠の戦。

ソニーのほうも、任天堂とは違う形でゲーム素人を意識しています。
ただ、これはゲーム機にゲーム以外の機能をつけるという方法によってです。
どんどん、パソコンに近いものになっていくイメージでしょうか?
これはマイクロソフトも方向性は同じなんでしょう。
しかし「ゲームはやらないけど、ゲーム以外のことで色々使えそうだからプレステ3でも買ってみようかな」って思ってる人に、あの値段は高すぎです。
発売前にもかかわらず値下げしてましたが、それでも高いと思います。

私はプレステ3もWiiも買わないとは思いますが、それでもこの次世代ゲーム機戦争をどこが勝つのかは興味津々です。
これってテレビゲームというものに対する思想の対決でもあるのですから。

2006年12月01日

エウレカセブン19話〜22話

さて、今回は結構いろんなことが起こります。
ですので書くのが大変です。

鼻毛を抜いたり、その鼻毛の本数を数えてみたり、万が一鼻毛のなかに白髪が混ざっていたときなどには綿密に調査してみたり、そんな感じで私は結構忙しかったりするので、このエウレカ鑑賞記も、疲れた体に鞭打って書いているのです。汗々。
しかし、このエウレカ鑑賞記、かなり書いているような気がするし、かなり話をはしょってもいるのにまだ半分にも達してません。
なぜ、ブログを始めたばかりなのについ軽い気持ちで全50話もある長編アニメを選んでしまったのか、これがローゼンメイデンだったらとっくに終わってるのに、などと思うとブログ始めたばかりでちょっとうかれていた過去の自分にヒップアタック喰らわせたい気分になります。

koshinaka.jpg
*ヒップアタック
プロレスラー越中詩郎の必殺技。相手に自分のケツをぶつけるという単純極まりない技。
たぶん、だれでも出来る。


さて、本題です。
月光号は洞窟みたいなところに身を隠してました。
なんでもトラパーが薄いので、飛び立つことができないらしいのです。
ただの気象条件が原因で飛ぶことができないなんて、中世の帆船なみにローテクです。
実はこの飛行船、船体にはスカイフィッシュという動物の皮を使用していたり、とてもはるか未来の飛行船とはおもえないくらい科学技術のレベルが低いのです。
この月光号、もともとは州軍に配備されていたわけで、これらから察するに州軍の軍事力というのも大したことがないのかもしれません。
北朝鮮なんかのほうがずっと手ごわそうです。


前回、ちょっと触れたようにエウレカは体調を崩してました。
調子の悪いエウレカは気を失ったまま、ニルヴァーシュに乗って洞窟の奥へと進みます。
奥深い洞窟のなかで、エウレカはスカブとかいうのと融合してしまいます。

ん?話の流れがわかんねーんだけど、とか思ったあなた。
安心してください。
私もよくわかってません。
昔、広末涼子が数々の奇行から「プッツン女優」なんて呼ばれていたことがありましたが、エウレカもプッツンしてしまったのでしょうか?
このエウレカの行動は私にはよく理解できないので、こんな感じの広末的理解でお茶を濁して話を先に進めていきましょう。
「あ、こいつって広末的な女なんだ」と思えてしまえばたいていのことは許せるようになります。くぇkjふgv


ときどき忘れそうになりますが、レントンは一応このアニメの主人公なので、こういうときは当然エウレカを追っかけていきます。
で、洞窟の奥でエウレカを発見。
ピンクのジェルみたいなのでエウレカはびしゃびしゃになってます。
なんか変なプレイをした後みたいにも見えますが、そういう妄想して私はちょっと興奮してしまいます。
話は脱線しますが、エウレカセブンは初恋が大きなテーマになってるわりには萌え要素が極めて薄いので、妄想を膨らませることができる断片がでてきたら積極的に妄想しましょう。
これは健全な成人男子に課せられた義務です。


一方、洞窟の入り口付近で月光号は州軍に取り囲まれてました。
なにしろトラパーが薄くて飛べないところに州軍に襲撃されてるんだから大ピンチです。
さあ、この危機を月光号はいかにして脱するつもりなんでしょうか。
手に汗握る展開です。


ジェルまみれのエウレカを見たレントンはショックのあまり(私みたいに変態的妄想にふけったせいではないと思います、たぶん)

「お願いだよ、ニルヴァーシュ。オレに力を、エウレカを守る力をオレにくれぇ」と絶叫。

すると、トラパーの波が大放出、出血大回転!!!
月光号はトラパーの波に乗って無事脱出成功してしまいました。
この都合よすぎる展開に、ホランドはつぶやきます。
「・・・まさか、さっきのトラパーの大波はセブンスウェル現象だったっていうのか?」

出ました!
というか出てしまったと言うべきでしょうか?
前回、私の灰色の脳細胞をさんざん酷使してくれたセブンスウェル現象です。
この前はアミタドライブ装着時、今度はただレントンが絶叫しただけとセブンスウェル現象が起きる状況に私はなんら共通点を見出すことができません。
しかし、私も以前の私ではありません。
つまり優秀な頭脳を持つ私は早くもエウレカセブン的世界に適応しつつあるわけです。
これがもし凡百の衆愚であればそうはいかないでしょう。
難解な現象を眼前にして答えも解決策も見出せぬまま、己の低スペックな脳みそを恨むだけで時間を消費してしまうに相違ありません。
私は違います。
なにしろ名探偵ですから。
もつれあった糸を解くのにどうすればいいのか、今までの苦難に満ちた経験が私にそっと語りかけてくるのです。
ここは広末的理解で華麗にスルーすることにしましょう。
つまり、セブンスウェル現象なんてなかったことにしてしまうのです。
さあ、次の展開へゴー・ゴー・ヘブン。


ここでストーリー上、大きな展開があります。
ホランドとレントンの対立です。
ジェルまみれのエウレカは絶対安静ということで隔離されてしまいました。
このジェルは一回付着してしまうと除去することが難しいらしく(本当にこんなジェルが売られていたらPL法に引っかかることは必至です)、エウレカはずっとジェルまみれでした。
当然レントンは「病院に連れて行くべきだ」と至極まっとうなことを主張。
しかし、ホランドは死刑間近のヴォダラクの坊さんを救出するという依頼を受けて金を稼ごうとします。
意見の相違から言い合いになった二人。
というかここではレントンの意見が正しいに決まってます。
激昂したホランドはレントンを投げる蹴るの暴行行為に及びます。
DDT的に鉄棒に顔面を打ちつける、みぞおちにヤクザキック、あげくの果てには高いところからレントンを投げ捨てる。
つーか、これ、ほとんど児童虐待の域に入ってるんですが・・・。
月光号がだんだんオウムみたいな異常な集団に見えてきたのはどうしたことでしょう?
リーダーのホランドは暴力的だし、リーダーの情婦タルホは常にイライラし情緒不安定。
他のメンバーは比較的まともではありますが、リーダーとその情婦がこれではレントンのような思春期の子供が育つには劣悪な環境といえるでしょう。


そんな感じのバイオレンスシーンを挟みつつ、ホランドは一人で出撃していきますが、坊さんの奪取には成功したものの、敵KLF数機に囲まれてしまいます。
敵にいいようにいたぶられ、もうマジで死んじゃう五秒前。
いい気味です。金の亡者め。


ところが、私とまったく同じ感想を抱いていたレントンにタルホが説教します。
なんでも、エウレカの病気は病院ではなおせず、ヴォダラクの高僧にしか直せないというのです。
つまり、ホランドはエウレカを助けるために危険な依頼を受けたとのこと。
それを知ったレントンは
「オレ、ガキだ。何も分かっちゃいなかった」などと改心し涙ぐみながらホランドを助けにいきますが、ちょっと待ってください。

これって、最初からホランドが「エウレカは病院では治せないうんぬん」と言っていればそれで済んだ話なんじゃないでしょうか?
それさえ言っていればレントンと言い合いになることもなく、ハリトーノフ対シュルツみたいな凄惨な暴力シーンも必要なかったはずです。
レントンは「オレは何も分かっちゃいなかった」などと殊勝な感想を述べていますが、言われもしないことを「分かる」ことができるのはエスパー魔美くらいのもんです。

その後ホランドと坊さんを助けることができ、坊さんにエウレカを治療してもらうことになりました。
坊さんがお経みたいなのを唱えたあとに、金色の液体をエウレカに振りかけると治療完了です。
なんか無駄にいろいろあったわりには、イージーな治療法です。
こんなのなら私にもできそうな気がしちゃいますが。


さて、ホランドを救出する過程で暴走してしまったレントンはいきなり平和主義に目覚めてしまいます。
自分が何のために戦っているのか思い悩むレントンですが、じつは我々視聴者にも月光号が何のために戦っているんだか知らされてません。
もう20話超えてるってのにですよ。
いまごろそんなことを悩んでいるレントンは迂闊すぎます。
私なんて最初から疑問に思ってましたから。
で、そんなスローライフなレントンは家出しちゃいます。
まあ、家出したほうが良かったでしょう。
この月光号、あきらかにおかしげな集団ですから前途ある少年の住処にはふさわしくないと私は考えます。


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