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2007年05月30日

ナディア

ふしぎの海のナディアが、GYAOで無料放送してるみたいです。
一ヶ月に10話ずつやるみたい。


そういえばナディアって、ちゃんと見たことがなかったので、これを機会に見てみるつもり。


しかし、ギャオって久しぶりに見てみたら、「アイドル」のところにちょっとした異変があった。


インリン

ほしのあき

安田美沙子

紋舞らん(←んが?)

夏目ナナ(まあ、アイドルといえばアイドルだけども・・・)

蒼井そら(蒼井そらと蒼井優ってどっちが人気あるんだろ?・・・いや、ふと思っただけなんですけど)

見ての通り、AV女優が混じっているんですけど・・・・。


まあ、ギャオで人気の映画の上位が、いつも、「女優のヌードがおがめる映画」だったりするので、これもありといえばありか。


それから、スポーツのところで、ロベルト・バッジョの映像を見てみた。
今までバッジョって、どこがすごいんだか、よくわからなかったので。
で、見てみたんだけれども、やっぱ分からないです。
どこがすごいのかなあ、バッジョって。
マラドーナとか、ジダン、ロナウジーニョのすごさなら、サッカー素人の私にも理解できるんだけど、バッジョはよくわからん。


それから、格闘技にはぜんぜん力を入れてないみたいですね、ギャオって。
一年くらい前に見た、武田幸三(キックボクサー)の映像がまだあったよ。
プライド、UFCは権利料高そうだから無理なんでしょうけど、キックボクシングとか、修斗なんかは、なんとかなりそうなもんですが。


ちなみに、武田幸三って、マンガの行け!稲中卓球部の竹田のモデルになった人です。


どうも、稲中の作者と高校時代に先輩後輩の仲だったらしい。
実際に、武田にそのことを聞いてみたときのことを綴ったコラムがこれ。

http://homepage2.nifty.com/komlock_fan/frame.html

ここの2004年の3月9日のコラムを参照。


しかし僕は、どうしても聞きたくて聞けなかったことがあります。マンガの竹田君はアレがとっても大きくて有名なんですが、
武田選手もそうなんですかね?

そこまで聞く勇気は、僕にはありませんでした・・・・



武田はいい人みたいですけど、そりゃ聞けませんわな。
だけど、そこをあえて聞いてほしかった気もしないでもない。
タグ:アニメ

2007年05月29日

ハチクロのはぐってロリキャラ?

『舞HiME』も『らき☆すた』もキャラの設定年齢と実際が合わない!



あー、最近のキャラデザインって確かに幼すぎる感じはしますね。
舞HiMEに関しては、そんなには思わないけど、らき☆すたとかまなびストレートとかは確かに。


正直、あああいう幼すぎるキャラデザインって個人的にはちょっと苦手。

haha.jpg

これがKanonの名雪の母親。
これで「母親」とか言われると、かなり戸惑う。
ナンシー関のエッセイに、

ando.jpg

「安藤優子は年齢不詳だ。実際の年齢を聞いても実感がわかない。というより、安藤優子に『年齢があった』という事実にわれわれは驚くのである」

みたいなのがあったように記憶しているけれども、その意味でこの名雪の母親も「年齢があること」を感じさせない。
これが「何歳に見えるか?」と聞かれたら、われわれはいったいどう答えればいいのだろう?
見ようによっては小学生くらいにも見えちゃうし、これ。


アニメに出てくる父親っていうのは、年相応に見えるように描かれているのが多いけど(要するに中年男性にちゃんと見える)、母親に関しては、全般的に若く描かれているのが多いような気がする。
母親の見た目が、娘とそう変わらないってのは、どうなんでしょ。


ナンシーの言葉を借りれば、アニメのなかに出てくる「母親」って、「年齢がない」ことにされてるってことになるけど、これにはなんか意味があるんですかね?
いや、たぶんないと思うけど。


ジョンさんは、「アジア人は若く見えるので、それが影響してるんじゃないか」みたいなことを書いてるけど、それってどうだろう?
どうも違うような気がする。
だって、らき☆すたのキャラって、アジア人の私にも「幼く」見えるしなあ。


たとえば、ハチミツとクローバーのはぐ。


hagu.jpg

これで、大学生っていう設定になってる。
目からウロコを何枚落してみても、これが大学生にはとても見えない。
年齢を高めに見積もってもせいぜい「中学生」っていうのが相場じゃないだろうか。
素直に、これを見れば「小学生」に見えると思うんだけど。


ハチクロって、実写の映画化もされている。
私は、この映画を見たことはないんだけども、その映画のなかで「はぐ」を演じているのが、この女優さん。

aoi.jpg


どうだろう。
ちゃんと、大学生に見える。


というか、根本的な疑問として、どうして、


hagu.jpg
これが

aoi.jpg
これになっちゃうのか、よくわからないんですけども。


まあ、ウエンツが鬼太郎をやるようなご時勢ですから、何があっても驚いちゃいけないんだろうけども。
先日、私は「伊東美咲=音無響子」に心底からの憤りを表明したので、いちおう、「鬼太郎=ウエンツ」にも憤りを示しておきます。


しかし「はぐ」にルックス的によく似た芸能人だったら、他にちゃんといるわけですよ。
たとえばこれ。








kago.jpg
加護ちゃん


いやー、そっくり。
私もついさっき気づいたんだけど、こりゃ似てるっしょ。
まあ、加護ちゃんが、これから「はぐ」を演じることは、ユダヤ人とアラブ人の和解くらい難しいわけだけど。
加護ちゃんって、今何歳くらいでしたっけ?
たしか、19とかそんなもんか。
だったら、はぐみたいな大学生がいてもおかしくはないのかもしれない。


しかし、ハチクロっていうのは、まなびストレートとかとは違って、キャラデザインが幼いのは「はぐ」だけですね。
もう一人の女性主要キャラである山田は、

yamada.jpg

このとおり、ちゃんと大学生に見える容貌で描かれている。


「はぐ」が「子供にしか見えない」というのは、作中でもさんざん言及されている。
つまり、ハチクロのなかでは、ちゃんと現実の世界の「見た目年齢」にそって、キャラデザインが構築されている、ことになってる。


しかし、ハチクロが現実に沿った絵であることを考えるとちょっと違和感があるような気がする。
この「はぐ」は3人の男性から、求愛されるわけだけど、これって冷静に考えると、ちょっとばかし変。


なにしろ、年相応に見える山田はそんなに求愛されていない。
いや、山田も数だけで言えば、はぐよりも求愛されているんだけど、そのほとんどが雑魚キャラでしかない。
それに比べれば、はぐが求愛されているのは、竹本、森田、花本修司と主要キャラばかり。
作中のバランス的には、はぐのほうが山田よりももてているという、変な状況になっちゃってる。


冷静に考えてみると、妙なもんだと思うんだけども、これって。
ハチクロが「現実に依拠した絵柄」であることを考えると、よりいっそう変だと思う。
「おまえら、みんなロリコンか?」っていう気にもなる。
これが、みんな子供みたいに見えるまなびストレートとかだったら気にならないんだろうけど。


まあ、はぐが、他と比べて異様なくらい子供に描かれているのは、彼女が「天才」だという事実を、はっきりわからせるための方便なんでしょうけど。
子供の容貌であることで、天才であることの無邪気さと、人と交わることを怖がる臆病な心理を表してるんだろうから。


[面白かった記事]

大相撲の八百長問題をメディアもファンも直視すべきだ

相撲に限らず、総合格闘技なんかでも八百長ってのはよくあることですが、総合と比較しても相撲の八百長はかなり多いような気がする。
最初のころは八百長が少なからずあったプライドなんかは、最大のスターである桜庭がシウバに負け続けたことで、「八百長じゃない」というのを証明してしまいましたし。
もっとも、「桜庭ーランデルマン」戦なんかは、ちょっとヤオ臭かったけども。
相撲ってのは、もともとが「スポーツ」という西洋由来の概念じゃなくて、「芸能」とか「神事」とかの概念のもんですから。
しかし、外人を入れた以上、「スポーツ」としてやっていかざるをえないわけで、それなら「スポーツ」寄りになるのは当然じゃないかな。
まあ、その外人が八百長をやってるって話なわけだけど。

堀江由衣ら所属の声優事務所「アーツビジョン」社長、声優志願の少女に猥褻

自分はアイドル声優にまったく興味ないんで、ショックを受けるとかはぜんぜんないんですけど、こんなのって、本当にあるんですね。
いやー、鬼畜だね、こりゃ。
*知ってるアイドル声優というのは、4,5人くらいくらいしかいないんだけど、「ゆかな」っていう人は自然に覚えた。
平仮名だったから、エンドロールで目についたもんで。



















タグ:アニメ

2007年05月23日

プロダクションI.Gと創通のIRから返事がきた

前回の記事で、バンダイビジュアル以外にも、プロダクションI.Gと創通にも、同様のメールを出したことを、ちょろっと書いていたんですけど、返事がきたんでちょっと紹介してみます。


もっとも、バンビに断られたので、「どうせダメなんだろうな」と思っていたら案の定ダメでしたけど。
両者の返事ってのがほとんど同じ内容だったので、I.Gのほうだけ紹介。


I.Gに聞きたかったのは、「精霊の守り人」について。
このアニメは見た目だけで、明らかに他のアニメとは金のかかりかたが違うように思えたので、どれくらいかかっているんだか知りたかったんだけれども、教えてくれなかった。残念。

これがI.Gからのメール。


アニメーションの制作費に関しましては、劇場作品など一部におきまして
 「制作費何億」と発表されることはございます。
 ただし、TVアニメーションの場合、その制作費を公表することは少なく
 また、制作費を出資しております製作委員会各社も制作費を公表することを
 希望しないため、通常「守秘義務契約」において制作費の公表は禁じられて
 いる場合が通常でございます。

 上記作品もこれらの事情により制作費を公表することはできない状態でござい
 ます。
 事情御推察の上、御理解賜りますようよろしくおねがい申し上げます。

御支援まことにありがとうございます。
株主の皆様におかれましては、今後も御支援賜りますようお願い申し上げます。



なるほど、製作委員会からの守秘義務っていうのがあるらしいです。
それじゃ仕方がないか。
バンダイビジュアルのIRはそんなことすら教えてもくれずに、「お答えできません」だったからなー。
創通のIRも「守秘義務」があることに言及していたので、余計にバンビのIRの態度がそっけなく感じる。


と、ここでちょっと気になることがあった。
というのも、私は以前、こんな記事を読んだことがあったのである。


人気アニメシリーズ『攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX』の最新作『Solid State Society』が、10月23日に六本木ヒルズの大スクリーンに登場した。


 3億6000万円というのは『SSS』の制作費である。通常のOVAは制作費が1億円以下、映画でも数億円で制作されるなかで、破格の制作予算となっている。通常であれば採算を取るには苦しいハードルだが、なんとしてもハードルを越えたいということである。
 それと同時に制作費を強調するのは、『SSS』は他の作品とはクオリティが違うという含みも多分にあったように感じた。

また、神山監督と石川社長によれば、今回の作品の実現は1話3000万円かかったテレビ版『攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX』の制作費が回収出来たら映画を作ってもよいという約束の結果だという。実際には映画にはならなかったが、これが劇場クオリティの作品が登場した理由である。




あのー、プロダクションIGさん・・・・。
あんたんとこの社長と看板監督が、思いっきり攻殻の制作費をバラしてるんだけども、これっていいの?
「SSS」はテレビアニメシリーズじゃないから、別にかまわないのかもしれないけど、テレビアニメのほうは、攻殻機動隊製作委員会ってのがちゃんと作られてるみたいなんだけども・・・・。
これは守秘義務にひっかからないんですか?


そこらへんが激しく疑問なんだけれども、まあとにかく「守秘義務」というものがあるらしいので、アニメ会社に「制作費を教えてくれ」と頼んでも、教えてもらえないことだけは、これでわかりました。


プロダクションIGは、小さい会社のわりには(失礼)、IR資料とかが充実しているみたいなんで、今度紹介してみます。
結構、面白い資料があったりするんで。


それから、プロダクションIGからのメール返信の差出人が、「プロダクションIG」とかの会社名じゃなくて、IR担当の方の個人名で来てたんだけれども、これが結構不思議。
バンビの場合は「バンダイビジュアル(株)企業広報担当より」ってなってたから。
見知らぬ個人名があったから、詐欺メールかなにかかと思っちゃいました。


ついでに言うと創通からの返信の差出人は「SOTSU」でした。
アルファベット表記って・・・・。
なんか、余計なところで格好つけているような気がしないでもない。


あ、創通ってどんな会社か知らない人も案外いるかもしれないので、一応説明しておくと、創通というのは、ガンダムの版権を持っていることで有名な会社です。
ガンダムで有名というか、ガンダムでしか有名じゃない、と言ったほうがいいかもしれないけど。
たしか、おもちゃ関係の版権を持っていたはずだから、ガンプラを買うごとに、創通にいくばくかの金が入る仕組み。


最近のプロデュース作品で言うと、「スクールランブル」と「ひぐらし」とかが有名どころですかね。


*なんとなくだけども、プロダクションIGのIR担当は、人が良さそうな感じがしました。
あんな短い文面で何がわかる、とか言われそうですが、まあそんな感じがしたもんで。

kabuka.jpg

プロダクションIGの株価がこんな感じなので、きっと、

「株価対策はどうなってんだ、コルァ」

とか

「今すぐ株価を上げろや、コルァ」

とか、そんな電話、メールばっか来てるんでしょうけど、めげずに頑張ってください。
応援してます。
株は買いませんけど。



[面白かった記事]
リリカルなのはが大変なことになっている


なのは見てなかったんですけど、なんか俄然興味がわいてきた。
こりゃ面白そう。



タグ:アニメ

2007年05月22日

アニメの制作費ってどれくらい?

アニメの製作費ってどれくらいかかっているものなのか?っていうのが気になったのでちょっと調べてみた。


たとえば、コードギアスってどれくらいの製作費がかかっているもんなんだろう?
結構、気になる。
しかし、どうやって調べればいいのかがわからん。
グーグルで、「コードギアス 製作費」って打ち込んでも、ちゃんとした情報が出てこないし。


それで思いついたのが、「直接、会社に聞けばいいじゃん」ってこと。


株式を上場している会社には、IRというものがある。
IRっていうのは、えっと、何の略だったかな?


ちょっと思い出せなかった(正確には知らないだけ)ので、野村證券の用語辞典を調べてみるとこうある。


IR(Investors Relations)

投資家向け広報[とうしかむけこうほう]

ディスクロージャー

広く投資家に対し、企業活動全般の理解を深めてもらうことを目的とした活動のことをいう。



つまり、株を買おうとしている投資家や、既に株を持っている投資家なんかが、その会社の決算だったり事業内容についてよくわからないことがあったとする。
そうしたときに、その会社のIR係の人に電話をして聞いてみるなり、メールを出して疑問をぶつけてみたりする。
すると、IR担当の人が答えてくれて、投資家も疑問が氷解。
で、株を買うかどうかの判断に役立てる、ということなのである。


ということで、この制度を悪用、、、、じゃなかった、活用して、アニメの製作費について聞いてみようと思った。


で、メールしてみたのが、バンダイビジュアルのIR。
私はバンビの株を持っているわけでもなく、また買う予定もないんだけど、まあ、いつか買う気にならんとも限らないので、そこらへんはまったく問題はない。


で、こんなメールを出してみた。


お仕事でお忙しいところ、大変申し訳ありませんが、質問したいことがあります。
アニメの製作費というものは、一話あたりどれくらいかかるものなのでしょうか?
私が知りたいのは、


ガンダムSeed

舞ーHIME

ゼーガペイン

コードギアス

アイドルマスター(←あまり興味ないんだけど、あえて入れてみた)


これらのアニメについてです。
お時間をとらせてしまい大変もうしわけないんですが、よろしくお願いします。




で、数日後メールが返ってきた。
そういえば、以前別のアニメ会社のIRにメールを出したときも、二、三日かかったっけ。
そのメールがこれ。


バンダイビジュアル(株)企業広報担当より

拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
日頃は格別のお引き立てをいただき、ありがたく御礼申し上げます。

この度は、当社へお問い合わせをいただきありがとうございました。

大変遅くなりましたが、製作費についてのご質問にご回答申し上げます。
アニメーションの製作費は、各作品ごとに異なりますが、
テレビアニメーションの場合、通常1話(30分)あたり、
1千万〜2千万円程度の製作費が必要となります。
なお、各作品の個別の製作費につきましては,
お答えしておりませんのでご容赦いただけますよう、お願い申し上げます。

以上、簡単ではございますが、お返事とさせていただきます。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
敬具





思いっきり、断られた・・・・



「以上、簡単ではございますが、お返事とさせていただきます。」って本当に簡単すぎるよ。
「拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
日頃は格別のお引き立てをいただき、ありがたく御礼申し上げます。」
この部分はコピペでちゃっとやったところだろうし、アニメの制作費の平均が1000万円から2000万円だくらいのことは、さすがにもう知ってたし。


どうして答えてくれないんだろう。
各アニメにどれくらい製作費がかかってるか、なんてことはそう大した企業秘密とは思えないんですけど・・・・。


バンダイビジュアルのほかにも、プロダクションI.Gと創通にも同様のメール送っておいたんですけど(まだ返事はこない)、このぶんだと、答えてくれなさそうだなー。
あーあ、「精霊の守り人」と「ひぐらしのなく頃に」の製作費知りたかったんだけども。
もっとも、この二つのアニメの製作費に対する関心って、真逆ではあるんだけど。
精霊のほうは「どれくらい高いのかなー?」っていう関心で、
ひぐらしのほうは「どれくらい安いのかなー?」っていう関心だから。


ということで、コードギアスの製作費がいくらかは、分かりませんでした。
ごめんなさい。


これだけじゃ、申し訳ないので、アニメの製作費について、色々と調べてみた。


まず最初に、私は「製作費」っていう言葉を使ってたんだけど、「製作費」と「制作費」は違うと言っている人がいた。
なんでも「製作費」というのは宣伝などにかかった費用も含んだ額で、「制作費」が実際のアニメを作るのにかかった額らしい。
だけど、私がバンビに出したメールでは「製作費」と書いたんだけど、その製作費が1000万から2000万という答えが来てる。
これは上記の区分で言うと「制作費」のほうじゃないかと思うんだけど。
宣伝費込みで1000万から2000万じゃ、いくらなんでも安すぎるような気がするんだけど。
ここらへんは、よくわからないなあ。
第一、宣伝費がどの程度まで含まれるのかもわからないし。
たとえば、広告代理店が中抜きする費用まで宣伝費に入るのなら、それはもっと高くなるはずだし。


まあ、とりあえず、ここからは「制作費」についての話。


アニメの予算・制作費を語る


TVアニメ&OVA 1話当たりの予算

1982年 マクロス.           550万円
1988年 銀河英雄伝説.          1000万円
1989年 トップをねらえ        1300万円(制作費2200万円)
1994年 ダーティペアflash       1660万円
1994年 スパイダーマン.         4120万円
1994年 Mega Man.            3090万円
1995年 エヴァンゲリオン.       625万円
1996年 エスカフローネ         3000万円
1998年 カウボーイ・ビバップ    2000万円
1999年 Futurama            1億円
2000年 ワンピース.          1000万円
2000年 ゾイド               900万円
2001年 シスタープリンセス     550万円
2002年 ガンスリンガーガール....  1300万円
2002年 ガンダムSEED         2500万円
2002年 攻殻機動隊         3000万円
2003年 カレイドスター         1800万円
2003年 鉄腕アトム.          3000万円
2004年 SEED DESTINY         3300万円
2004年 SAMURAI 7.           3200万円
2004年 Dragon Booster.       5450万円
2004年 Naked Samoans' Toon...  2960万円


バンビのIRに「お答えできません」と冷たく拒否られた、SEEDとSEED Destinyの予算が思いっきり出てるんだけども・・・・。
IRが教えてくれなかったのに、この情報の出所がどこだかよくわからないし、信憑性がどれだけあるのかわからないんだけれども、とりあえず、ここはこの表を元に話を進めます。
(攻殻機動隊の制作費が3000万円というのは、なにかの記事で読んだ覚えがあるので、この表はそういう情報を集めたものなのかもしれないです。ワンピースもちゃんとしたソースがあるし)


これを見てみると、まず最初に目に付くのが「1995年 エヴァンゲリオン  625万円」。


625万円・・・・。
安すぎるんですけど。
25万っていう端数が泣かせてくれる。


確かにエヴァって、ぱっと見ただけで低予算であることはわかる。
だって、キャラが動かないシーンがすごく多いし。


マクロスの550万円も安いように見えるけど、インフレ率を考えれば、エヴァのほうが安いんじゃないでしょうか。
マクロスの年代って、まだ500円札があった時代だし。
どうも調べてみたら、ちょうどマクロスの放映時期くらいが、500円札が500円玉に代わったくらいらしい。


次に気になったのが、「1998年 カウボーイ・ビバップ 2000万円」と「2003年 カレイドスター   1800万円」。
カウボーイ・ビバップが金をかけて作られているのはよく分かるんだけれども、カレイドスターが1800万円?
カウボーイ・ビバップとほぼ同じじゃないか、それじゃ。
カレイドスターって、そんなに金をかけて作られているようには見えないんですけど。
いったい、どこに金をかけたんだろう?


攻殻機動隊の3000万円は、まあ納得の数字。
ぱっと見で金かかってるのがわかるもの。
それから、ガンダムSEEDとSEED Destinyもかなり高いです。
コードギアスがもともと土6の予定だったことを考えると、これらより少し安い程度なんではないか、と勝手に推察。



「2000年 ワンピース  1000万円」。
これは不可解。
なぜ、超人気マンガが原作で、ゴールデンにやっていた番組がこんなに安いのだろう。
ワンピースのプロデューサー、清水慎治氏の話によると、


アニメプロデューサー論


ワンピースは広告代理店を通さず、フジテレビから直で仕事を受注しているらしいんだけど、随分と安いように思える。
だけど、このなかで、『「ワンピース」は、テレビ局からもらうのは900万円です。うちは人件費がかかりますから、1100万円ぐらいかかります。』と言っているのだから、本当の話なんだろう。


それから、このなかで清水慎治氏は、ワンピースの北米での展開に野望を見せているんだけれども、アメリカではこけたみたいですね、ワンピース。


米国で『ワンピース』はもはやお先真っ暗ですか



どうも、向こうの会社がいろいろといじったのが原因みたい。
ワンピースはアメリカで受けそうな気がするけどなー。
ナルトがあれだけ成功してるんだし。
ワンピースのほうが、ナルトよりもわかりやすいように思うんだけど。


素人考えかもしれないけれども、アニメにかかる費用って、結局のところは「どれだけ枚数を使うか」ってことじゃないのだろうか。
もちろん、監督その他へのギャラや、また3DCGを使ったりすると高くなるらしいんだけど、とりあえず、私の場合はアニメがよく動いていると、「あー、金がかかってるんだなー」って思う。
そういえば、のだめカンタービレのアニメ。
あれの最初のほうって、ぜんぜん動かないからびっくりした。
演奏シーンなんて、止まってる絵をえんえん見せられるだけだったし。
演奏シーンを動かしてみせるのが難しいのは、よくわかる。
音とあわせなきゃいけないし、描くのも大変だろうということは素人ながらわかるんだけど、それにしたって動かなすぎだった。
しかし、最近は演奏シーンとかも、ちゃんと動いてたりしますね。
あれって、どうやって描いてるんだろう。
実際に演奏しているところを実写で撮って、それをトレースしてるのかな。



経済産業省 「アニメーション産業の現状と課題」



まあ、よく言われていることだけれども、広告代理店とテレビ局のピンはねってのはすごいな。


「4 テレビアニメーション番組ビジネス(例)」のところなんだけれども、まず最初にスポンサーから5000万円が出ました。
そのうち、4000万円程度を広告代理店とテレビ局がピンはね。
で、残った1000万円程度が制作会社に。
この1000万円でアニメを作れ、って話になってる。


なんなんだろ、この中間搾取ってのは。
実際に物を創ってる人間に金が回らず、ただピンはねしてるだけの人間が肥え太るってのは、激しく納得いかない。


アニメーターのなかには、年収が100万円以下の人間が多数いることは知られているけど、広告代理店とテレビ局の平均年収がこれ。



電通     1335万円

博報堂    1271万円

フジテレビ  1574万円

TBS      1560万円

日本テレビ  1431万円 

テレビ東京  1219万円



もちろん広告代理店、テレビ局がアニメだけで儲けているわけじゃないけど、いくらなんでも差がありすぎ。


特にテレビ局なんてのは、日本でいちばんの既得権益者じゃないか、と思うんだけど。
というのも、たとえば建設会社の談合ってのが時々ニュースに出たりする。
談合の何が悪いかっていうと、「自由な競争をなくして、需要と供給による価格調節を無くしてしまう」ところなわけだ。

それでテレビ局は、その「建設会社の談合」を糾弾したりするわけだけど、それじゃあ、あんたらはなんなの?ってこと。
テレビ局ってのは電波法で競争相手の新規参入が阻まれている状態なわけ。
つまり、競争相手が限定されたぬるま湯のなかで仕事してる。
それなのに、どうして建設会社の談合を平気で糾弾できるんだかわけがわからん。
「自由な競争原理」から最も隔離されているのがテレビ局じゃないのか。
テレビ局に比べたら、建設会社のほうが、ずっと競争原理にさらされてるだろうに。


外国なんかでは、テレビ局は国に電波料を払うのが一般的らしいんだけど、これは確かにまともな制度だと思う。
電波帯は国民共有の財産なわけだから、それを使用するのに金を払うのは当然。



しかし、こういうのは本当にどうにかならんもんですかねえ。
アニメーター達のやる気だけに依存してる状態は不健康だと思うんだけど。
ちゃんと、人並みの収入も確保してやらないと、人材が集まらないだろうに。
とりあえず、テレビ局の人間の報酬は一律20%カットな。
そのぶんを、制作会社に回すように。


メディア業界の偽装請負について


 テレビ番組の制作現場も同様だ。制作の現場では、たいていの場合、テレビ局の正社員であるプロデューサーが責任者兼権力者であるが、どの番組でも、たぶん、テレビ局の局員よりも、制作会社の社員の方が、関わるスタッフの数が多いし、さらに、例の「あるある・・・」の場合のように、この制作会社がさらに下請けを使っているケースもあるが、番組に関わる人々は、大半が一つの現場で、プロデューサーなりディレクターの指示の下に動いている。そして、テレビ局が、たとえば、下請け会社の社員の社会保険について気にしているとは思えない(私の推測です。ちがっていたら、どなたか教えて下さい)。もちろん年収は、個人差があるとしても、一段階下るごとにざっと半分だろう(孫請けでは4分の1)。


*このなかで、ワンピースのプロデューサーの清水慎治氏の話を出したんですけど、そのなかの以下の部分が面白かったんで紹介してみます。
制作費云々とは全然関係ないんだけど。



ワンピースにはルフィという主人公のほか、ゾロという剣豪、料理人で女性の優しいサンジ、ナミというおきゃんな女の子、チョッパーというトナカイ、ウソップ、ニコ・ロビンがいる。普通だとサンジとかゾロがかなり人気で、もちろん人気はあるんですが、ルフィが今でも一番人気だというのが、ワンピースのすごいところなんです。
僕はこれがやりたかったんですよ。少年マンガを読むとき、その主人公を通してものを見ていくものです。だから、ワンピースでもゾロやサンジにいくら人気があっても、脇役にスポットをあてない。人の作品をあまり批判するのは悪いですが、はっきり言ってしまうと、「NARUTO」はそこで失敗してしまったんですね。NINJA学園にナルトという落ちこぼれがいて、カカシ先生とか格好いい脇役がいるのですが、その格好いいキャラクターに媚びてしまったんです。確かに、中高生の女の子達はキャーキャー言って煽るのですが、脇役を綺麗に作りすぎてしまって、肝心の主人公であるナルトを掘り下げて、おバカだけれども強いというところを押していかなかったので、せっかくいい素材だったナルトがぼけてしまった。



うーん、だけどアニメで比較すると、ナルトのほうが私は好きですけど。
戦闘シーンとか神がかっているときがあるし。


[面白かった記事]

第4回 スーファミ萌えキャラ10選 超マイナーキャラ編

涼宮ハヒルの消失

グレンラガンは男の背中を追う物語
タグ:アニメ

2007年05月18日

美少女フィギュア!・・・じゃないフィギュア

やっぱ、美少女フィギュアっていいよねー。


もともと二次元だったものが、三次元になっているという素晴らしさ。
色々な角度から見れるという視覚的悦び。
実際に手にとって触ることができるという触覚の感動。


オタク系のサイトではサイドバーに、



こんなのや




こんなのを載っけてるところがよくあるけれども、これ、とても購買欲をそそられる。
今すぐ欲しいと思ってしまう。
ついつい買ってしまいそうになるんだけれども、そのたびに自分が並外れた貧乏人であることに思いを致し、泣く泣く購買をあきらめています。


と、このように、「美少女=フィギュア」「フィギュア=美少女」という図式が皆さんの頭のなかには出来上がっているとは思うんだけれども、中には「フィギュア=???」とでも言いたくなるようなフィギュアがこの世の中には存在している。
「美少女=フィギュア」という既成概念をぶっ壊してくれる、その存在感。
「いったい、どこのターゲットを想定してるんだ?」と言いたくなる、その異質性。


ということで、今回は皆さんの購買欲を絶対にかきたてないであろうフィギュアを紹介してみようと思っています。











@金田一耕助フィギュア



なんなんだろう?
このフィギュアに、そこはかとなく漂うマイナーな感じってのは。


ためしにセイバーの画像と並べてみた。




こうしてみると、セイバーのほうがメジャーで、金田一耕助のほうがマイナーな感じがしないだろうか?


日本人のなかでセイバーを知っている人はどれくらいいるのだろう?
たぶん、5%とか、せいぜい10%、そのくらいのもんじゃないんだろうか。
それに比べてみれば、金田一耕助なんてのは、日本人なら誰でも知っている超メジャー級のキャラクターである。
それなのに、フィギュアにしてみると、金田一のほうが格下に見えてしまうというのは、これ不思議。
ちなみに、この金田一フィギュアは在庫がないので買えません。
意外と売れてんのね。



Aシド・ビシャスフィギュア


ベースが弾けないベーシストで有名なセックスピストルズのシド・ビシャスのフィギュア。
このフィギュアに対する疑問というのは二つあって、まず一つ目の疑問。


@ シド・ビシャスってそんなに人気があるの?

セックス・ドラッグ・ロックンロールを地でいった人として、確かに彼は有名ですが、シド・ビシャスのファンってそんなにいます?
ドラッグに溺れる破滅型のロックスターということで言えば、シド・ビシャス以外にも、ジミヘン、カート・コバーンなどたくさんいるわけで、しかも彼らは(シドとは違って)音楽の才能にも恵まれていてカリスマ性もある。
そんななか、わざわざ音楽の才能の皆無なシドを好きになるっていうのは、相当な好事家のように思うんだけどもどうだろう。
そういえば、マンガのNANAの本城蓮のモデルって、このシドですね、たぶん。


A パンクスがフィギュアを愛でるの?

このフィギュアを買ったパンクスは、自室でこっそりシドのフィギュアを愛でているのでしょうか?
優しい微笑みなんか浮かべちゃったりして。
その振る舞いは、すでにパンクスとは呼べないような気がする。
パンクスならば、購入した瞬間にこのフィギュアを床にたたきつけるくらいの意気込みを見せてもらいたいところ。
ところで、話は変わるんだけれども、ロックスターとかがライブでギターを壊したりするじゃないですか?
ギターのみならず、ドラムセットとかも滅茶苦茶にしちゃう猛者もいたりする。
あれを見ると「こいつバカなんじゃねーか?」と思ってしまうのは私だけなんでしょうか?
すんごいバカに見えるんだけども。


このシドフィギュアは、日本製らしいですが、どうも欧米ではロックスターのフィギュアって一般的なものらしい。





「誰だ?このおばちゃん」と思ったでしょうが、これはローリングストーンズのミック・ジャガーらしいです。
名前出されないと誰だかぜんぜんわかりません。





これは、誰だかわかる。
ニルヴァーナのカート・コバーンだ。
しかし、このフィギュア、顔がリアルすぎて、なんか怖いんですけど・・・・。
やけに髪がごわごわしてるような感じなのは、

「一ヶ月に一回しか風呂に入らない」

というカートのグランジ魂を表現しているんでしょうか?



B 極道の妻たち 岩下志麻

ヤフーオークション


sima.jpg

sima2.jpg

画像を見る限り、このフィギュアは出来がいいです。
しかし、有名女優のフィギュアだというのに、ここまで「萌え」と無縁なフィギュアというのも、また珍しい。
たぶん、大方の人は、美少女フィギュアを買ったあとに、

「とりあえず、パンツを見てみる」

という行動をするのが一般的かと思われますが、この岩下志麻フィギュアには、そんな破廉恥行為をすることを許さないような「威厳」がある。
うーん、さすが極妻。
パンツ見るかどうか、っていう行動選択以前に、このフィギュアを買うことはまずないと思うんで、そんなのは取り越し苦労ってやつですが。



C 赤木しげるフィギュア


さて、ラストはアカギフィギュア。
これはラストを飾るに相応しい逸品。
なにしろ、アカギといえば、

akagi.jpg

「横から見るとアゴが二つあるように見える」

で有名なあの赤木ですよ。


三次元で表現されることを全力で拒否しているような、赤木しげるのフィギュアなんて果たして可能なのでしょうか?


いやー、これはどうだろう。
さすがに、これは無理なような気がする。


これは商品ではなく、個人製作のものらしいんですが、そのアカギフィギュアがこれ。


アカギフィギュア


私はフィギュアの出来がどうこうはあまりよくわからないんですが、これはかなり素晴らしい出来なんじゃないでしょうか?
一目見ただけで、これが他ならぬ「赤木しげる」であることがわかります。


「赤木を三次元にする」という難事業に挑んだ猛者がいたことに、我々は感謝の意を表すべきではないでしょうか?
もっとも、横から見ると「アゴが二つある」ようにはなっていないのは残念。
っていうか、そんなのそもそも無理なんだろうけど。





*この記事を書くにあたって、色々なフィギュアを調べてみた。
もっとも、アマゾンやグーグルの検索窓に「フィギュア ○○○」って打ち込んでいっただけなんだけども。


「フィギュア 寅さん」

とか

「フィギュア 田原総一郎」(あえて打ち込んでみた)

とか

「フィギュア 司馬遼太郎」(←だめもとで打ち込んでみた)

とか打ち込んだのは日本広しといえども私だけだろうと思うと、誇らしいような誇らしくないような、そんな気分。


そうやって調べていったんだけれども、一つ気づいたことがあって、どうも時代劇関係のフィギュアが少ないような気がする。
水戸黄門フィギュアとかはあるにはあるんだけれども、大岡越前とか遠山の金さんとかはないみたい。
時代劇フィギュアって結構、隠れた需要がありそうに思うんだけどなー。
もちろん、アクションフィギュアで刀とかも抜刀可能な仕様だといい。
大岡越前フィギュアなんかは、すごく欲しいんだけど。


[参考サイト]

萌えっとうぇぶ

タグ:フィギュア

2007年05月15日

コードギアスはなぜ売れたのか?A

前回の続き。


世の中には名ゼリフと呼ばれるのがある。
たとえばシェイクスピアの「生か死か、それが問題だ」みたいなやつ。


シェイクスピアの戯曲には他にもたくさん名ゼリフがあって、たとえば、あんなのとかこんなのとか、、、、えっと、、、、えっと、、、、、


あれ?出てこない・・・・・。
おっかしいなー。
なんたることだ。
この他の名ゼリフというと、「おおロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」しか私の頭のなかには浮かんでこなかった。
自分のバカさ加減にちょっと愕然とする。


まあ、愕然としているだけでは話が進まないので、ちょっとgoogleさんの力を借りてみると、他にはこんなのがあるらしい。


「人間は泣きながらこの世に生まれてくる。阿呆ばかりの世に生まれたことを悲しんでな」


「シーザーを愛さなかったわけではない、シーザーよりローマを愛したのだ」


「弱きもの、汝の名は女なり」


おお!最後のは、なんか聞いたことがある。
やっぱ、シェイクスピアはスゴいなー。
こんな名ゼリフをたくさん残してるなんて(読んだことないけど、シェイクスピア)。


「生か死か、それが問題だ」みたいなのが名台詞と呼ばれるのには、なんの疑問もない。
聞いた瞬間に、記憶に残るし、格好いい言い回しだな、と思う。
しかし、こういう名台詞って普段の生活で使い道があるんだろーか?ってのは甚だ疑問。


たとえば、私が「生か死か、それが問題だ」などとしかめっ面でつぶやいていたとしたら、周りの人間からどう思われるだろう?
気がふれていると思われるか、バカだと思われるか、それとも気がふれたバカだと思われるのがオチである。


要するにこういう名ゼリフというものは、我々の暮らしている日常に属した言葉ではない。
もっと非日常的でけれんみのある言葉なのであって、だから日常で使うと妙な感じが発生してしまう。
(もっとも英語のなかにはシェイクスピアから派生した言葉が無数にあるらしいけれども、それとはまた別の次元の話をしてる)


シェイクスピアが書いてたのは何かっていうと「戯曲」である。
「戯曲」っていうのは、要するに「演劇」の台本。


実は、この文では「名ゼリフ」というものについて考えてみたい、と思っているんだけども、ためしにシェイクスピアの「戯曲」とディケンズの「小説」を比べてみると、「名ゼリフ」と呼ばれるものは、圧倒的にシェイクスピアのほうが多いと思う。
当然、私はディケンズだってまともに読んだことはないんで、そんな人間が言うのも何だけど、これは絶対そう。


なぜ、そんなことが言えるのかっていうのは、「戯曲」と「小説」というものの表現手段に差があるためだ。
戯曲、つまり演劇というのは登場人物の意思、行動を台詞で直接、お客さんに伝えなきゃいけない。
だから、インパクトのある言い回しが多用される。
一方、小説は地の文がメインになりがちである。だから、戯曲に比べると一つ一つのセリフはそう重視されなくなる。
その代わり、地の文でも、登場人物の心理描写を細かくすることができるので、小説のほうが細かな心裡描写はやりやすい。


次に、演劇と映画を比べてみる。
ここでの差異というのは、すぐに気づくものだろうけど、その発声の仕方。
演劇出身の役者が映画に出たりすると、すぐ「発声の仕方が変」と文句を言われるのはよくあることだけど、たしかに演劇の発声の仕方というのは、普通じゃない。
すごくハキハキと喋るし、声を常に張り上げている。
多分、舞台で末席にまで声を通すために、ああいう発声の仕方というのが編み出されたのだろうけれども、やっぱり最初はちょっと違和感を感じる。
それに比べると、映画のなかでの役者の演技というのは、我々の日常にずっと近いものである。
まあ、多少の違いはあるけれども、概して、普通の喋り方をするし、聞いていてあまり違和感を感じない。


大雑把に、戯曲ー小説、演劇ー映画、を比べてみると、


戯曲・演劇  非日常的 けれんみのあるセリフ回し 大げさな身振り


小説・映画  日常的(リアル) 一般的なセリフ 普通の身振り


ということが言えると思う。
SF小説とかファンタジー映画のどこが日常的なんだ、とか言われるかもしれないけれども、そういう世界観設定での奇抜さ云々ではなくて、表現方法とか演技の面での話をすると、こんな感じになるんじゃないかってことです。


要するに演劇というのは、歌舞伎にしろ何にしろ、我々の日常とはちょっとずれた表現方法であって、名ゼリフを吐く登場人物たちもまたどこか非日常的であったりする。


さて、ここらへんからが本題なんですが(コードギアスのコの字も出てこないんで、もう大半の人が読むのやめちゃってるでしょうけど)、アニメのなかでも名台詞と呼ばれるのがたくさんある。


今まで散々ネタにされた名ゼリフの宝庫といえば、やっぱガンダムですよ。
ということで、ガンダムから名セリフと呼ばれるものをいくつか抜き出してみる。


「親父にもぶたれたことないのにっ!」(アムロ)


「ザクとは違うのだよ、ザクとは!」(ランバ・ラル)


「認めたくないものだな。自分自身の若さ故の過ちというものを・・・」(シャア)


確かに印象に残るセリフである。
これらのセリフを読むと、そのシーンがすぐ頭に浮かんでくる。
そういう意味では、確かに名ゼリフと呼ばれてもおかしくない。


しかし、これ純粋に言葉だけ見てみると、あることに気づく。
なんというか・・・・、案外「ふつー」な感じがしないだろうか?
シェイクスピアの「人間は泣きながらこの世に生まれてくる。阿呆ばかりの世に生まれたことを悲しんでな」みたいな気取った感じ、ちょっとこの日常とはずれた感覚ってのがない。


たとえば、ランバ・ラルの「ザクとは違うのだよ、ザクとは!」。
これなんかは、ただ単に自分の乗っているグフがザクとは違うという事実を述べているにすぎない。


次にアムロの「親父にもぶたれたことないのにっ!」。
このセリフにも気取ったところがぜんぜんない。
シェイクスピア的な名ゼリフとは質が異なっている。
ただ、このアムロのセリフっていうのは分析してみると、ちょっと面白い。
というのも、このセリフは「親父にもぶたれたことがない」という事実を示すことによって、アムロが父親と疎遠であったことを示しているからである。
つまり、このセリフは、アムロという少年の内面描写を行っていると考えることができる。


ランバ・ラルとアムロのセリフって、どちらかと言えば日常寄りの言葉であって、上記の戯曲ー小説の対比で言うと、小説よりの言葉である。
小説というものが、内面描写に優れたメディアであることを考えると、アムロのセリフは特に「小説的」だ。
(今ふと思ったのだけれども、小説的っていうのは大雑把すぎてわかりにくいかもしれないです。自然主義文学的とか私小説的とでも言ったほうがいいのかもしれない)


と、ランバ・ラルとアムロのセリフが案外「日常的」であるということを書いたんだけれども、ここで一人だけ異質な人がいる。


そう、シャアである。

「認めたくないものだな。自分自身の若さ故の過ちというものを・・・」


これ、ランバ・ラルとアムロのセリフとは明らかに異質。
ひねくれた言い回し、どこか自分の言葉に酔っているかのような響き。
言ってみれば、シャアのほうは、言葉が「戯曲的」なのである。


考えてみれば、シャアというキャラクター自体がまったくもって「日常的」ではない。
自分の父親が殺されたことへの復讐心に燃え、仮面をかぶって素性を隠し、憎むべき怨敵の部下となって働いている。
どこをどうとっても「非日常的な」キャラである。


それと比較して、主役のアムロはどうだろう?
たしかに、彼には「ニュータイプ」という、わけのわからん特殊能力がつけられているけれども、それを除きさえすれば、その性格、言動を見るに、そこらの少年とまったく変わらない「日常的」キャラである。


とりあえず、ガンダム、Zガンダムを見てみると、主役の少年(アムロ、カミーユ等)は「小説的」キャラが多く、敵キャラ(シャア、ギレン、シロッコ、ハマーン・カーン)に「戯曲的」「演劇的」キャラが多いように感じる。
シロッコにしろ、ハマーン・カーンにしろ、身振りが大仰だしね。


私は以前、「人型ロボットに思春期の少年が乗り込む理由」この文章のなかで、ロボットアニメは思春期の感情の揺れを描き出すのに適したメディアなんじゃないか、みたいなことを書いた。
それが正しいのかどうかはいまだにわからんけれども、とりあえず、今まで私が見たロボットアニメのなかの主人公というのは、「小説的」なキャラが多いような気がする。


エヴァの碇シンジにしろ、ラーゼフォンの神名綾人にしろ、ゼーガペインのソゴル・キョウにしろ。
彼らはすべてがすべて、とんでもない運命に叩き込まれるわけで、シャアと同じく「非日常的」なキャラじゃないか、と言われるかもしれない。
それは確かにその通りなんだけれども、彼らロボットアニメの主人公たちの描かれかたって、内面描写に特化してる感がある。
まあ、簡単に言えば、うじうじ悩んでいるところを延々と描写していく、ってことなんだけれども。


ここらへん分かりにくいかもしれないので、違う言い方をすると、「アムロ、カミーユ、シンジが自分と同じだ」と考える少年少女はたくさんいるだろうけど、「シャア、シロッコと自分が同じだ」と考える少年少女はまずいないだろう、ってこと。
シャアというのは、憧れの対象にはなっても、共感の対象にはならない。


さて、やっとこさ、コードギアスの話。
この文では名ゼリフというものを中心に話を進めてきたので、ルルーシュのセリフをいくつか抜き出してみる。


「それとも気づいたか?撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるヤツだけだと」


「おれはおまえに会うまでずっと死んでいた。無力な屍のくせに生きてるってうそをついて。何もしない人生なんて、ただ生きているだけの命なんて、緩やかな死と同じだ」


「我々は、力あるものが、力なきものを襲うとき、再び現れるであろう。たとえその敵がどれだけ大きな力を持っているとしても。力あるものよ、我を恐れよ。力なきものよ、我を求めよ。世界は我々黒の騎士団が裁く」


どうだろう、このセリフの数々。
気取っていて、大仰で、非日常的で演劇的で。
「親父にもぶたれたことないのにっ!」よりも「認めたくないものだな。自分自身の若さ故の過ちというものを・・・」に明らかに近い。
というよりも、ルルーシュはシャアよりもずっとシャアだと言える(この言い回し、わけわかんね)。


ルルーシュって、よく夜神月と比較される。
まあ、当たり前っていえば当たり前の話だけど。
だけど、もう一人とてもよく似ているキャラがいて、それがこのシャアだと思うのだ。


妹がいて、肉親を殺されたことへの復讐心を持ち、強固な意志と行動力を有し、そして二人とも仮面を被っている。
これだけ共通点があれば、夜神月よりもシャアのほうがずっとルルーシュに似ているんじゃないかと思うんだけどどうだろう?


シャアが演劇的なキャラだ、ということを書いたんだけれども、そういう意味でルルーシュというのもまた演劇的なキャラである。
というより、シャアよりも遥かに演劇的なキャラだ。
「ルルーシュに自分が似てる」と思う人はまさかいないだろう。
ルルーシュの大仰な身振り手振り、気取ったセリフ回しなんてのは、「リアルであること」を求める人たちから見れば噴飯物でしかないのかもしれないけれども、あれは「演劇」だと思ってしまえば、別にそう気になることでもない、と思うのだ。
演劇での非日常的な演技も、一回その世界に没頭してしまいさえすれば、「リアル」と「リアルでないもの」の線引きってのはぼやけてしまうのだから。


私がコードギアスを面白いと思ったのは、「主人公の内面描写による視聴者の共感」というロボットアニメでよく使われる手法をばっさり切り捨てているところ。
いや、もちろんコードギアスでも内面描写はあるんだけれども、それがまったく現実感がない。
「現実感がない」なんてことを書くと、悪口のようにとられるかもしれないけれども、全然そうではなくて、むしろ誉めている。
自分とまったく共通点がない、異能の人物の活躍劇は見ていて胸が躍る。


しかし、ここで一つ疑問というか違和感を感じるところがあって、それが監督の谷口悟朗のこと。
私は谷口監督の作品って、無限のリヴァイアスとプラネテスしか見たことがなかったんだけど、この二つを見る限り、この監督って「リアル志向」なんだとばかり思っていた。
「リアル志向」という言葉は、「自然主義文学的な内面描写に特化している」とかいう言葉に置き換えてもいいんだけれども。
コードギアスみたいな現実離れしたものを作りそうな人には思えなかった。
ところが、谷口監督のインタビューを読んでみたら、こんな箇所が。


谷口悟朗監督インタビュー 第1回 役者志望から日本映画学校へ


(大学時代、進路に迷ったことに関して)

――ドキュメンタリーの道も候補のひとつだったんですか? 

谷口 当時私は、大衆演劇の人たちを追いかけてドキュメンタリーを撮っていたんです。その人たちの考え方には影響を受けました。彼らは、芝居小屋に足を運んでくださった人にどう楽しんでもらうかをとても大切にしていたんです。それは特にアニメを演出する側になってから意識するようになりました。
 

第7回 『無限のリヴァイアス』から『コードギアス 反逆のルルーシュ』へ


――監督が示すべきは「幹」ということですが、今考えていることが「幹」たり得るかどうか、などはどう判断するのでしょうか?


谷口 うーん、具体的に言いづらいんですが、頭のまわりに各バラバラのパーツが浮いているイメージなんですよ。そのパーツのだいたい3割ぐらいが、こう中心に固まってくると、幹が出来てきたっていう感じがします。

――立体イメージなんですか?


谷口 そうですね。キャラクターのパーツから伸びていくベクトルがいろいろなところで交差していく感じなんです。それで、そのベクトルからはずれたものが出てくると、これはベクトルに合わせたほうがいいか、はずれっぱなしにしたほうがいいか検討すると。目先のことしか考えずにやると、必ずこのベクトルがブレてくるんですよ。ちなみに、立体的なイメージで思い浮かべているのは、これはなにもキャラクターに限っただけでなく、メーカーとかタイアップ先企業とか、そういうビジネス的な要素も入っているんです。

――ビジネス的要素というのも入るのですか。


谷口 そうですね。私が、大衆演劇の人に影響を受けたというのはお話しましたよね。やはり私たちの仕事というのは、基本的にお客さんよりも目下にいて、お客さんからおひねりをいただいて暮らしているということを忘れてはいけないように思うんですよ。芸術家だなんて堕落した言葉は自分で使うべきではない。あれは他人に対しての、評価・感想としてのみ使うものです。

――『プラネテス』(※1)で谷口監督を知った視聴者にとっては、谷口監督は「リアル志向」というイメージがあると思うのですが。


谷口 『プラネテス』はああ作ったというだけです。実は『ガン×ソード』(※2)を監督した一つの理由は、そういうイメージで縛られたくなかったので、もっと良い意味でB級テイストな作品をやって、イメージの固定化を避けたかったんですね。



私もプラネテスの印象が強かったので、谷口監督のことを誤解していたのかもしれないなあ。
もっと、大衆演劇的なサービス精神に溢れた人だったのか。


しかし、この人は優秀な監督だと思う、ホントに。
21話、22話、23話なんて、すごく面白かったし。


*しかし、演劇の例でシェイクスピアを出したのは、はっきり間違いだったかもしれない。もっと、大衆演劇的なもの、たとえば歌舞伎とかを例に出せばよかったのかもなー。
しかし、歌舞伎なんてろくに知らないし。
ここらへん、自分の無教養を深く反省する次第。


*ここであげてる戯曲ー小説の対比って、すごく分かりづらいかもしれないですが、三島由紀夫の小説と戯曲を読み比べると、そこらへんの差異というのがわかるんじゃないかと思います。
三島由紀夫の小説はひどく退屈ですが、戯曲のほうはとても面白いです。

コードギアス関連記事のまとめ

[参考サイト]

シェイクスピア戸所研究室

ガンダム名台詞

コードギアス名言集


コードギアス 反逆のルルーシュ volume 07

2007年05月13日

コードギアスはなぜ売れたのか?@

比較することに意味がないような気がしながらも、あえて比較しつづけてきた「ゼーガペイン、ラーゼフォン、コードギアス」。


今回はコードギアスの感想なわけですが、最初に断っておくと、今回は比較しません。
それとはちょっと違う路線で書いたほうが書きやすいかな、と思うので。
まあ、もともと比較してる部分がほとんどなかったわけだけど。
それでもとりあえず、ゼーガペインとラーゼフォンの記事はこちら。

ゼーガペイン

ラーゼフォン


コードギアスのDVDは、なかなか売れてるらしいです。
それじゃ「なぜ売れたのか?」というテーマで書こうかと思ったのですが、これ無理。
「なぜ売れたのか?」みたいなマスを大雑把に区切って、分析するっていうのが私はどうも苦手で、その理由ってのはたぶん「私がへそ曲がりだから」という部分によるものなのだろうなあ。
たぶん、私が電通に入っていたら、入社早々、窓際族の仲間入りさせられていたに相違ない。
よかったァ、プーで。


そういうわけで、「なぜ売れたのか?」というテーマで書きたいんだけれども、たぶん、それは的外れのものになってしまいそうなので、最初に断っておきます。
つまり、マスに対する分析ってのは、この文ではほとんど行いません。
純粋に作品だけを見て書いてみる。
って、それじゃいつもと同じなわけだけど。
それじゃ、とりあえずスタート。





まず最初に、コードギアスに関わっている人、会社、または登場人物を書き出してみる。



監督 谷口悟朗


企画 竹田青磁


キャラデザイン CLAMP


製作会社 サンライズ


主役キャラ ルルーシュ



次に、ここに抜き出した人たちからイメージするものを右横の()内に記入してみる。



監督 谷口悟朗(プラネテス)


企画 竹田青磁(反米左翼)


キャラデザイン CLAMP(カードキャプターさくら)


製作会社 サンライズ(ガンダム等のロボットアニメ)


主役キャラ ルルーシュ(デスノートの夜神 月)



なんなんだろう、このイメージのバラバラなことといったら。
恐ろしいくらいに統一性がない。
なんか、小泉純一郎とシャナと小倉優子と松井秀喜と中島らもが一つのリングでバトルロイヤルでもしているような、そんな感じ。
まあ、そんな私のチャチな心象風景はどうでもいいんですけど。


しかも、このコードギアスが恐ろしいところは、これらの雑多な要素がすべてつぎ込まれているというところ。
ふつう、これだけバラバラなイメージを一つのアニメにまとめることなんてできやしないもんだけど、それがまがりなりにも詰め込まれている。
これだけ見ると、コードギアスが売れたのは「売れそうな要素をつぎ込んだから」という理由のようにも見える。


実際、これらの要素のうち、「売れる」ということにまったく関係のないのは、『竹田青磁(反米左翼)』だけであって、『CLAMP(カードキャプターさくら)』『ルルーシュ(デスノートの夜神 月)』なんかはあからさまに「売れそう」な要素だし、『谷口悟朗(プラネテス)』は「売れる」という意味からいえば、ちょっと微妙な感じはしなくもないが、熱狂的なファンがついているので、これも「売れそう」な要素の一つとして考えてもいいんじゃないか、と思う。
こうして売れそうな要素がたくさん集まっていて、それで実際に「売れてる」わけなので、原因(売れそうな要素がいっぱい)と結果(DVDが売れている)が直接的に結びついているように見える。
しかし、コードギアスが売れた理由って、本当にこうした「売れる要素」の寄せ集めによるものなのだろうか?
もちろん、そうした要素が「売れた」という結果に結びついているのは否定はしないけれども、それよりも、もっと違う理由で「売れている」ように、私には感じられる。
まあ、私の感覚は当てにならんので、まったく的外れなのかもしれないけど、とりあえずそれを書いてみます。


次に、上記の要素の一つ一つがコードギアスのなかでどう生かされているかを見ていくと、どうも「脇が甘い」感じがしないだろうか?
「脇が甘い」じゃなくて「要素が薄い」といってもいいんだけど。


たとえば、『竹田青磁(反米左翼)』のところ。
コードギアスのなかで「反米左翼」というテーマは上手く生かされているだろうか?
このアニメのなかでは、日本は占領されている。
しかし、その「占領されている」ということに対しての屈辱感や憤りみたいなのがそれほど伝わってこない。
というのも、主要キャラのなかで「日本人」なのは、スザクとカレンなわけだけど、スザクは名誉ブリタニア人、カレンはブリタニア人と日本人のハーフ。
彼ら二人の生活の拠点はブリタニア人と同じ。
つまり、コードギアスのなかでは「日本人の生活」というものが、ほとんど描かれていないのだ。
だから、占領されている、ということに対しての、実地的な感情がわかない。
どこか観念的なものになってしまっている。


それから、これは蛇足かもしれないけど、なぜブリタニア「帝国」なのだろう?という疑問も残る。
もしアメリカを模すのであれば、「帝国」などではなく、実際のアメリカがそうであるように「民主主義国家」として描けばよかったのに。
アメリカが戦争好きなのは、帝国主義的だからだろうか?
それは確かに帝国主義的であるという理由にもよるだろうけど、アメリカが絶えず戦争を繰り返すのは、「アメリカが民主主義国家」だからという理由もある、と私は思っているので、「帝国=悪」「民主主義=善」などという単純な発想は勘弁してほしかった。
「帝国=悪」「民主主義=善」などという図式を作ってしまったせいで、後半の「合衆国日本」という脱力感あふれる国名が出てくるわけで、そこらへんはなんとかならんもんか、と思う。
まあ、こういうのはどうでもいい話ではあるけど。


次に『ルルーシュ(デスノートの夜神 月)』の部分。
このルルーシュというキャラは、どう見てもデスノートの月(ライト)をモデルにしてるとしか考えられないんだけれども、まあ、パクリだなんだというのは、正直どうでもいい話なので置いておく。
それで、ライトとルルーシュを比較したときに、ちょっと気になるのが、

「ルルーシュがあまり頭が良いようには見えない」

ってところ。
「すげぇ!ルルーシュって頭がいいなぁ!」と感嘆できるようなシーンって実はあまりない。
デスノートでは、ライトが頭がいいことを示すシーンってのがたくさんある。
たとえばデスノートを最初に手に入れたとき、どうやってデスノートを隠すか、っていうシーンは異常に細かく描写されている。
そういう細かな神経の使いかたの積み重ねが、心理戦としての凄みを与えているし、ライトの頭が良いことの証左にもなっている。
ところが、ルルーシュの描写のされ方ってのはどうだろう?
そういう細かさってのはあるだろうか?
ルルーシュは仲間の前でもヘルメットをかぶっているのだけれど、私は「いったい、ルルーシュはいつヘルメットをかぶるのか」が不思議で仕方がなかった。
だって、黒の騎士団のアジトに行くまでは素顔で行ってるわけでしょ?
素顔のままで、黒の騎士団の誰か(特にカレン)と出会ったらどうするつもりなんだろ?
ここらへんの描写って一切ない。


こんなふうに、一つ一つの要素をとってみると「ヌルイ、ヌルすぎる!」っていう感じが否めない。
少しコードギアス関連のブログを読んだりもしたけれど「コードギアスを面白くない」と言っている人たちは、こういう「ぬるさ」に不満を漏らしてる例が多いように感じた。


確かに、要素の一つ一つを取り出してみると「ヌルい」。
私もそう思う。
しかし、それじゃあ、「コードギアスが詰まらないか?」って言われるとそれは違う。
私はこのアニメを面白いと思う。
すっげー面白かったもの、コードギアス。


しかし、コードギアスの面白さっていうのは、ゼーガペイン、ラーゼフォンの面白さとは全然違う。
これらはみんな「ロボットアニメ」なんだけれども、面白さの質っていうのは水と油みたいに違う。
私は、今までそれほどロボットアニメを見てきたほうではないけれども、コードギアスの面白さっていうのは、今まで見たロボットアニメの面白さとはかなり異質なものを感じた。


それで「コードギアスの面白さってなんなんだろう?」ってことを考えていたんだけれども、一つコードギアスと似た面白さを持ったアニメを思いついた。
それが、このアニメ。



アカギ



いったい、どこが似てんだ?とコードギアスファンとアカギファンの双方からお叱りを受けそうな感じがするんだけども、まあ待ちなさい。
今、証拠を見せてあげるから。



zero.jpg

washizu.jpg
なんか似てない?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや、ただ単に鷲巣巌とゼロのシルエットが似てるというだけで、二つのアニメが「似てる」と言っているわけではなくてですね(汗)、まあ、色々な部分で似てると思うのですよ、アカギとコードギアス。


まずは、大仰な身振り。
上の鷲巣巌の画像を見て欲しいんだけれども、この人が何をやっているか分かります?
これ、麻雀を打ってるだけ、なのだ。
ただ単に牌をツモってるだけなのに、なんなのだろう、この大げさな身振りってのは。


それに加えて、時代がかったセリフ回し。
これなんかも共通するところ。


コードギアスのセリフ回しについては、次回に詳述しようと思っているので、今回は触れないけれども、コードギアスの面白さというのを考えるうちに、このセリフ回しというのが、重要なポイントだと私は思った。
コードギアスのセリフというのは、他のロボットアニメと比較すると、かなり変わっているもので、それがこのアニメに対する「面白くない」という評価と「面白い」という相反する評価を生み出しているように感じるので、それを次回に書いてみる。


ということで、その話は次回します。
「あれ?アカギとの比較はもう終わり?」って思われるかもしれませんが、「終わり」です。
いやー、最初はアカギとの比較でコードギアスを語ろうかとも思ったんだけど(本気)、実は違う方向で話を進めたほうが面白いな、と思ったんで、アカギとの比較は切りました。
まあ、ゼロと鷲巣の画像を並べてみたい、という誘惑には勝てず、中途半端な形で残してしまったんだけれども。
不覚。

[このブログ内の関連記事]
google trendsによると、2007年の最強アニメはコードギアスらしい
コードギアス関連記事のまとめ
コードギアスはなぜ売れたのかA
「巨乳=バカ」説をアニメで検証してみた1

コードギアス 反逆のルルーシュ 1 コードギアス 反逆のルルーシュ 2 コードギアス 反逆のルルーシュ 3 コードギアス 反逆のルルーシュ volume 04 コードギアス 反逆のルルーシュ volume08 コードギアス 反逆のルルーシュ volume09 (最終巻) コードギアス ナイトメア・オブ・ナナリー 1 (1) (角川コミックス・エース 175-1) コードギアス 反逆のルルーシュ 2008年カレンダー 公式ガイドブックコードギアス反逆のルルーシュThe Complete








2007年05月08日

アニオタがフランスを語ってみる

フランスの大統領選挙も終わったということで、今日はフランスのことでも語ってみようか、と思ってます。


「え?いきなりフランス?このあいだ『テッサとエッチしたい』とかぬかしてたヤツがいきなりフランスを語るっての?」


とか言われちゃいそうですが、なめるな!


このブログでアニメ以外のことを書いたのは、格闘技とアーノルド坊やだけという私ですが、フランスに関する知識の二、三は持っているのだ。
たとえばフランス人といったらあれですよ。
ボードレールとかランボーとか。
ゆとり世代の皆さんには、ちょっと高度すぎる知識かな?
ごめんね、教養があるところをひけらかしちゃって。
知らない人のために教えてあげると、ランボーっていうのは、ジャングルで戦ってた英雄です。


と、このように、その気になれば、蓄積された教養をもってして、花の都巴里の香りを皆様の鼻前に漂わすことだって不可能ではない。



さて、それではそんな教養に満ち溢れた私が仏蘭西(フランス)のことを語って進ぜよう。
テーマはこれだ。


「フランス人は体臭がキツい」

フランス人「セックスの前にシャワーを浴びる日本人の感覚は理解に苦しむ」

「セックスの前にシャワーなんて」
フランス人なら、そういう。
日本人のように“事”の前にきれいさっぱり、身を清めてから、という感覚は「理解に苦しむ」とも。
つまり、汗こそが体臭の源。フェロモンに他ならない。欲情をそそるために人間が持ち合わせている自然の妙薬を、みすみす水で洗い落としてしまったら
“その気”にもなれない。「もったいない」というわけだ。

かのナポレオンも凱旋前に、長く離れていた愛妻ジョゼフィーヌに「もうすぐ帰る。
風呂には入らぬように」と書き送ったという。
それは、身も心もセクシーな気持ちで満たす最高の“ラブレター”だったに他ならない。

実際、フランスでは毎日風呂に入る習慣はない。周りに聞いてみても「1週間に3日程度」
という友人が多い。
もっとも、適度に体臭を留めおくためだけでなく、1人ずつ湯を張り替える風呂事情で
かさむ水道代節約もあってのことだろう。


うん。フランス人は風呂に入らない。
驚くべきことに、フランスではいまだに「シラミ取りシャンプー」が売っているのだという。
汚ぇーな、おい。


そういえば、福田和也という文芸評論家が「中国とフランスは似てる」ということを言っていた。
「中国」と「フランス」なんて、普通の人の頭のなかでは、まったくの別物として認識されてると思う。
アニメでたとえると、「ハヤテのごとく」と「精霊の守り人」くらいの違いがあるように感じる。
けれども、福田の言っていた共通点はたしかに、この二国に当てはまっていて、それが面白かったのを覚えているので紹介してみる。


・陸軍国であること

たしかに両国ともどちらかといえば陸軍の力が強い。ナポレオンもイギリス海軍に苦しめられてたし。もっとも、ロシアの陸軍に負けちゃったのが、一番の敗北だけど。
反対に海軍国っていうと、イギリス、アメリカとかのアングロ・サクソン系の国になるかな。


・料理に対して異常な情熱を持っていること

世界三大料理のうちに入ってるからね。しかし、世界三大料理のうちのもう一つは、たしか「トルコ料理」のはずだけど、なんで「トルコ料理」?美味いのか不味いのか以前に、喰ったことねーんですけど、トルコ料理。これ昔から疑問。


・中華思想をもっていること

中華思想ってのは、要するに「自分の国がいちばん偉い」ってこと。中国はデカい国であり、昔は文明の中心地であったので、そういう中華思想があるのは理解できるけれども、フランスに対しては何故?と思わざるをえない。
だって、ヨーロッパのうちで、フランスが特に文化的に優れた国だとはとても思えない。音楽だったら、明らかにドイツのほうが発展してたし、哲学だってドイツのほうが上。絵画とかの分野ではたしかにフランスは中心地であったかもしれないけど、それでもルネサンスの時期の中心地はイタリアだし。
たしかに、昔のイギリスの宮廷だったり、ロシアの宮廷ではフランス語を喋っていた。
しかし、その程度のことをもって「フランスの文化が一番」っていうのは、どうも夜郎自大に過ぎやしないか、と思うんだけどもどうだろう?
フランスって結局、ヨーロッパのなかでは、one of themに過ぎないような感じがあるんだけどな。


・性に対して飽くなき執念をもっていること

世界のなかで、二大変態国をあげろといわれれば、私も「中国」と「フランス」をあげる。
フランスにはなにしろマルキ・ド・サドがいますしねえ。
中国の歴代皇帝のなかにも、並外れた変態が幾人もいる。


映画「西太后」のなかで、西太后は恋敵の女の両手両足を切り落し、壷のなかに押し込めてたっけ。
あの拷問なんかはかなり性的なものを感じさせる。
これ、実は中国では西太后以前にも同じことをやった人がいて、その名を呂太后と言う。
この人は、漢の高祖の嫁。
つまり、劉邦の奥さん。
項羽と劉邦の劉邦ですよ。
この呂太后という人は非常に嫉妬心の強い人だった。
で、劉邦の后の一人の両手両足を切り落とし、厠(トイレ)に突き落とした。
要するに「お前はウンコでも食ってろ」ってこと。
この状態で、この両手両足を切り落とされた女は一年(だったと思う)生き延びてたらしい。
人間って、そんな状態で一年も生きていられるのか。
暗澹とするような話。
両手両足を切り落とされながら、糞尿のなかで人糞を喰いながら、生をつなぐというのは、なんとも想像しがたい苦痛だろうと思う。


フランス、中国の変態たちって、日本人の私なんかにはどうも脂ぎっていて、生理的に受け付けないところがある。
やっぱ、食い物が脂っぽいと、性欲のほうも脂っぽくなるのか。



と、このような共通点をあげたあとで(他にもあったかもしれないけど忘れた)、「両国とも衛生観念がない」ということを言っていた。


ベルサイユ宮殿にトイレがなかったのは有名な話。
どこで、用を足していたかというと、「柱の陰」でしてたらしい。
昔のヨーロッパでは、よくペストとかが大流行してたけど、それって不潔な環境だったからじゃないのか?
上下水道が張り巡らされていた江戸とはえらい違いだ。


フランス人に限らず、ヨーロッパ人が「風呂に入らない」のはキリスト教の影響だということを何かの本で読んだことがある。
なんでも「体を清潔にしておくのは、異性の劣情をそそらせる行為であるから」あまり風呂に入らないらしい。
ふーん。
だけど、上記のサイトで書かれているように、彼らは「体が臭い」ところに劣情を催しているみたいだけども。
私が読んだ本を書いたのは、たしか日本人だったので、体が臭いことに性欲を催す人間というのが想定外だったのかもしれない。
こういう生理に根ざした部分の文化っていうのは、どうも理解しがたいところがあるなあ。



・・・・しかし、これのどこが「フランスを語っている」ことになるんだか。
ごめんなさい、私にフランスを語るなんて無理です。

2007年05月06日

ラーゼフォンは失敗作か?

たまたま、同時期にゼーガペイン、ラーゼフォン、コードギアスとロボットアニメを見たもんで、この3つを比較してみようと思ってるんですけど、そもそも比較する意味あるの?これ。
ぜんぜん違うタイプのアニメだしなあ。
ロボットアニメという以外に共通点がほとんどないような気がする。
まあ比較する意味がなさそうな気がするんだけれども、そこを敢えて比較してみます。


ということで、前回はゼーガペイン(ゼーガペインの記事はこちら)だったので、今回はラーゼフォン。





えっと、ラーゼフォンの放映時期は2002年か。
結構、昔といえば昔な感じです。
さて、実際に見てみるか。


このラーゼフォン、見る前から厄介そうな感じがしてたんだけど、いきなり一話目でこんなロボットが出てきて、軽く脳みそをぶっ飛ばしてくれる。


robot.jpg

気色悪い・・・・・



一話目からこれでは先が思いやられるというもんですが、そこから中盤あたりまでは、案外ふつうに楽しめた。
もっとも、このラーゼフォン、明らかに「欠けている」ところがあって、それにはすぐ気づいたんだけれども、その「欠けた」部分については後で詳述。


ゼーガペインと比較してみた印象では、「女の子がやたらに多い」ような印象を受ける。
「女の子」というとわかりにくいかもしらんけども、「美少女キャラ」とか「萌えキャラ」って言ったほうがわかりやすいか。


haruka.jpg

紫東 遙 
ラーゼフォンのメインヒロイン。年が30近くという時点で、かなりの人のストライクゾーンから外れてしまうかもしれないけど、私的にはこのくらいの年齢がストライクゾーンど真ん中なんで、何も問題なし。



megu1.jpg

紫東 恵
遥の妹。ちょいとツンデレ気味。


megu3.jpg

これがデレ部分。


kuon1.jpg

如月 久遠
謎の少女。よく日傘をさしてる。






kuon2.jpg

ぶふぉっ!し、失礼。




このほかにも何人か、萌えキャラが登場してくるので、ゼーガペインと比べると、やたらに「萌えアニメ」っぽく感じる。


しかし!
よくよく、考えてみたら、ゼーガペインにだって、萌えキャラは多数出てきてたのだった。


とりあえず、ゼーガペインに出てきた萌えキャラを数えてみると、


カミナギ・リョーコ(幼なじみキャラ)

ミサキ・シズノ(ミステリアス系)

ミナト(委員長属性)

メイウー(ちょいツンデレ)

メイイェン(?とりあえず胸元は開いてる)


と、かなり多い。
しかも、今気づいたんだけど、それなりに萌え要素をつけられてもいる。
(ゼーガペインを見てるときは、ぜんぜんそんな感じしないんだけど)


それなのに、ゼーガペインがぜんぜん「萌えアニメ」に見えない理由を探ってみるとそれは「作画がそんなに良くないから」ということなのかもしれない。
特にシズノ先輩なんだけど、私はとうとう最後まで、この人をキレイだとは思えなかった。


それと比較してみると、やっぱラーゼフォンの作画はとてもいい。
後半、ちょっと崩れるところがあるけども、安心して見てられる。
ここらへんは、さすがボンズというか、大したもんだと思う。


それに加えて、カメラアングルとかがやたらにエロっぽかったりする。
そのエロっぽいカメラアングルのターゲットになるというか、餌食になっているのが、この紫東 恵。

megu2.jpg

どういうわけか分からないけど、彼女に対するアングルがやたらに変態的な感じがして、かなりそそられる。
たとえば、背中越しのアングルで、胸のふくらみを強調しているシーンとかがあって、こういう変態的な視線はかなり好き。
あ、もちろん服は着てますよ。
だけど、視線の在りかたってのが、妙になまめかしい。
なぜ、恵だけ、こういうエロティックな画面構成になっているのか、ちょっとわからんけど。
だって、主要キャラじゃないからね、彼女。
なんか妙にエロっちぃんで、彼女がいちばんのお気に入りになってしまったんだけども。


こういう変態的な視線と作画の良さが相まって、ラーゼフォンは萌えアニメとしては結構楽しめるんじゃないでしょーか。


と、ここまでは誉めてきたけど、ここからが問題。


作画の良さだったり、神秘的な映像表現という点では、ラーゼフォンはゼーガペインをはるかに凌駕している。
これは間違いない。
とても美しいアニメだということは確か。
けれども、肝心のストーリーという点ではどうだろう?


これが非常にわかりずらい。
ラーゼフォンというアニメは、数々の謎が提示され、しかもその謎が宗教的な映像でほのめかされていたりするもんで、ストーリーがわかりにくいのは当然といえば当然なんだけども、そういう意味で「分かりにくい」と言っているわけじゃない。
別に難解な世界観設定というのはそれはそれでいい。


このラーゼフォンの「ストーリーのわかりにくさ」っていうのは、ひとえに「主人公の心理が判然としない」というところに起因してる。


たとえば、12話か13話あたりで、主人公の神名 綾人が、「自分は人間じゃなく、ムーリアンである」ことに気づいて、苦悩するシーンが出てくる。
ここの描写にはかなり時間が割かれていて物語上の葛藤を示す大事なところなんだけれども、これは明らかに変。


というのも、2話目あたりで、神名 綾人は自分の母親の血が青いことを知ってしまっている。
普通、自分の母親の血が青かったら、「自分も人間じゃないんじゃないか?」って疑問に思わないか?
それなのに、中盤までこの神名 綾人はそのことに何の疑問も抱いてない。
ここらへんがすごく妙な感じを受ける。


これだけだと、細かいところにいちゃもんつけてるだけに思われるかもしらんけど、そのほかにも変なところがある。
それは綾人が戦う理由がよくわからないこと。
ラーゼフォンに乗って、敵のドーレム(あの気味悪いロボットみたいなやつ)と戦うっていうことは、すなわち「母親と戦う」ことと同じだということが暗示されているのに、なぜか綾人はそのことに逡巡を覚えたりしない。
なんか、ただ状況に流されてなしくずしに戦っているだけのように見える。


別に状況に流されて戦う、というのは、ロボットアニメのなかではよくあることだから、それはそれでいいんだけど、その「戦う」ことに対して、綾人がどう思っているのかが伝わってこない。
特にラーゼフォンの場合、「戦う=母親と戦う」っていうことなのに、そのことに対する感情が描かれていないのは、明らかな欠陥であるように感じる。


ゼーガペインもまたラーゼフォンと同じく「世界観が難解」な部類に入るアニメではある。
(もっとも両者の世界観はかなり異なってはいるけど)
しかし、ゼーガペインの場合は、主人公の感情がストレートに理解できる。
見ていて「難しいなあ」とか「わかりにくいなあ」とか思うのは、「ゼーガペインに乗ってるときでも幻体なんだから、操縦桿を握ったりしてるのも実際には握ってないんだよね?」とかの、世界観のコードについてそう思うのであって、主人公の感情がわかりずらいとは全然思わない。
前回のゼーガペインの記事で書いたように、そこのところの感情の揺れというのは、わかりやすすぎるほどわかりやすいのがゼーガペインのすごいところ。
それに比べるとラーゼフォンはやっぱりわかりにくい。


まあ、このラーゼフォンと比較すべきなのは、ゼーガペインなんかじゃなくて、エヴァンゲリオンなんだろうと思うから、一応比較してみる。


ラーゼフォンというのは、一見して明らかなように、エヴァの影響のもとにあるアニメ。
たとえば、宗教的なモチーフを多用するということもそうだし、物語の後半で世界が終末を迎えるなんてのも、まさにそう。


細かい設定は忘れてしまったけれども、エヴァンゲリオンというのがシンジの母親の遺伝子だかなんだかを埋め込まれたロボットで、つまりエヴァに乗るということが「母親への胎内回帰」を意味してた。
エヴァ(母)のなかで、温かい羊水につつまれて敵と戦うという、すこし異様なイメージがエヴァにはあった。
それに加えて、綾波というのが、これまた母親のクローンだかなんだかで、ここでもまたシンジの欲望が母へと向かっている。
母じゃない、ただ一人の女、他の男とセックスでもしてしまえそうな女というのが、アスカなんだろうけど、彼女に対してシンジはオナニーするだけ、という有様。
ラーゼフォンでは、母親と対立し、自分の好きな女(遥)を選ぶんだけども、ここらへんは、そうしたエヴァへの回答として見ることもできる。
つまり、母の影響下から抜け出して、他者としての女性と契りを結ぶというイニシエーションの物語として。
ラーゼフォンの劇場版で、綾人は遥とセックスするシーンがある。
同じく劇場版で、オナニーしてしまっていたシンジとは大違い。



エヴァンゲリオンでは、ラーゼフォンと同じく、さまざまな謎が出てきて、それが暗喩的に示される。
今さらこんなことを言うのはなんだけど、これってほとんどが先を考えずに、伏線をばら撒きまくっただけの話であって、最後に収拾がつかなくなってあんなことになっちゃってるのは皆さんご存知の通り。
それに比すれば、ラーゼフォンの物語はとても上手く出来てると思う。
「お前、それ結末考えてなかったろ?」みたいなところはあまりない。


それなのに、ラーゼフォンのストーリーって、やっぱりエヴァに負けてる。
その理由はすでに書いたように、主人公の感情が上手く描写されてないから。

「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」
に代表されるように、シンジの感情表現ってモノローグで示されることが多く、それってあまり洗練された演出とは言えないのかもしれないけど、とりあえず、シンジが何を考えているのかっていうのはわかる。
丸分かり。
そのうえで、シンジを好きか嫌いか、っていう視聴者の好悪が出てくるんであって、ラーゼフォンの綾人の場合、「こいつが何を考えているのかよくわからない」ので、そもそも好悪の感情すら出てこないんである。
いくら謎めいた伏線を上手く終結させたところで、主人公の感情がよくわからないんじゃ何も意味はないと思う。


このラーゼフォン、テレビアニメが終了したあとに、劇場版が作られている。
それも見たんだけど、これがちょっと面白かった。





この劇場版はほとんどのシーンがテレビアニメの編集なんだけど、セリフが大幅に変えられている。
そこでは、上で書いたような問題点が改善されている。
たとえば、綾人が「自分が人間じゃない」ということに気づくのが、かなり早くなっているし、「戦うことは、自分の故郷(母)と戦うこと」であることが、これまた早い段階で示される。


これを見て「あー、自分が思ったのと同じ批判が当時いっぱいあったんだろうなー」と思って、可笑しかった。
やっぱ、みんな同じこと考えるのね。
この改善された劇場版のほうでは、綾人と遥の恋物語というところに焦点があっているんだけど、こっちのほうがずっといい。
こっちのバージョンで見ると、ストーリーに一本スジが通っているように見えるもの。
テレビアニメも最初から、この路線でいったほうが良かったのに。


さんざんけなしたので、最後に一つ誉めておくと、朝比奈が死ぬシーンは素晴らしいとおもいました。
ある意味では子供じみた発想かもしれないけど、私はこのシーンがすごく好き。


[追記]アップした後で気づいたんだけど、ちょうどエヴァにおける綾波に相当するのが、久遠ですね。
綾人の欲望が久遠に向かってない、という点をとってみても、ラーゼフォンにおける「母離れ」というテーマは明白なように思うけど。


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