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2007年01月13日

萌える名前の作り方番外編その2

[前回の続き]

探偵小説のなかで、もっともキャラ萌えさせてくれるのは「シャーロック・ホームズ」シリーズです。
シャーロック・ホームズというのは、誰もが認める「世界一有名な探偵」です。
探偵小説にまったく興味のない人だって、この人の名前を知らないなんてことはありません。

しかし、それほど有名な探偵だというのに、ホームズの手がけた事件というのは、はっきり言ってトリックがしょぼい!

実例をあげましょう。
「まだらの紐」という短編小説があります。
これは、作者のコナン・ドイルがホームズ・シリーズの短編小説ナンバー1に選んだくらいの小説です。
よっぽどの自信作なんでしょう。

では、それほどの自信作のストーリーをちょっと紹介してみましょう。
(トリックもばらしてしまうので、定年退職したらマレーシアにでもショートステイして、ホームズシリーズをじっくり読破するのが夢、なんていう人は読んじゃいけません)


英国サリー州のロイロット家に住む双子のストーナー姉妹の姉ジュリアが、結婚前に謎の死を遂げる。死の間際に「まだらの紐(原語ではband)」という言葉を発したとのことだ。妹ヘレンがホームズに事件の解決を依頼する。というのも、屋敷の改築で、ヘレンがジュリアが使っていた部屋を利用することになり、夜中に不穏な物音を聞いたためである。

ホームズとワトスンはその部屋に入り、呼び鈴の紐が鳴らないこと、通風口が外ではなく義父のロイロット博士の部屋に向けて開けられていること、ベッドが固定されていることなど不審な点に気づく。


どうも、あからさまに通風口が怪しいです。
なにしろ隣の部屋には義父がいるわけですから。
しかし、この通風口は人間が通るには狭すぎて、義父が直接ジュリアを殺したということではなさそう。
さて、どうやって殺したのでしょう?


答え
義父が毒蛇を使って、ジュリアを殺した。


え?毒蛇?・・・・なんじゃ、そりゃああ?!


義父は、殺人のために毒蛇を訓練していたらしいです。
通風口を通って、呼び鈴の引き綱を伝って上り下りすように。
そうした訓練が実ってジュリア殺害を成し遂げたというわけです。

・・・・なんか書いてて虚しくなってくるような、しょぼいトリックです。
私がこの小説を読んだのはまだ子供のころだったのですが、子供の未成熟な頭をもってしても、このトリックのしょぼさには唖然とさせられました。

死人に鞭打つようで心苦しいのですが、ジュリアもジュリアです。
なぜ、毒蛇に咬まれたってのに、「まだらの紐」なんていうわけのわからないことを言うのでしょうか?
普通、蛇に咬まれたら
「うっわ、蛇に咬まれたぁ、やべーよ、これぇ!」
って言いませんか?
それが「まだらの紐」なんていう、意味不明なことを口走るとは、ドジっ娘ぶりにも程があります。

こんな小説がコナン・ドイルにとっての自信作なんだから、あとも推して知るべしといったところでしょう。

それでは、こんなしょぼしょぼトリックが満載のホームズシリーズがなぜこれだけ人気があるのでしょう?
その理由がキャラ萌えなのです。

ホームズのキャラクター設定は、たしかによくできています。
ホームズのキャラ設定のなかで、もっとも秀逸なのが
「初めて会った人の素性を言い当てる」という特技です。

この特技によって、ホームズはその人物の経歴だったり、利き手だったりを瞬時に見抜いてしまいます。
こうした常人離れした特技がホームズをとても魅力的な人物にみせています。

もっとも、この特技自体も冷静に考えればおかしいところだらけですが。
たとえば、依頼者の左手にヤニの黄色いしみがついていることから、左手でパイプを持っている、つまり利き手は左手だと推論するシーンがあります。
しかし、たとえば私は利き手は右手なのですが、煙草は左手で持っていることのほうが多いです。
なにか書きものをしているときなんかは、右手がふさがっていますから左手で煙草をもったほうがいいですし、逆に、右に灰皿があるときなんかは右手で煙草を持ちます。
要するに煙草を持つ手というのは利き手とまったく関係ないんです。

まあ、そんなツッコミはともかくとして、ホームズに対する人気は、マンガのキャラクターに対する人気とかなり似かよったものです。

なんと言ったらいいのかな?
フィクションのなかに出てくる登場人物に対する読者の欲望というものには二つあると思うのです。

一つが自分に似通った人物に感情移入してみたい、という欲望です。
自分と同じように、日常に溺れるようにして生きている人物が苦悩したり、またその苦悩から解放されたりするところを見て共感するというタイプの欲望です。
夏目漱石、村上春樹の小説はこっちのタイプですね。
だから、変な名字の主人公なんてのはでてこないのです。
鈴木とか、田中なんていう普通の名字のほうがしっくりきます。
こうした欲望のことを、便宜的に「共感型」とでも呼ぶことにします。

もう一つが、自分とはまったくかけ離れた、浮世離れした人物を見てみたいという欲望です。
われわれ凡人というものは、日常のくだくだしい事柄から抜け出すことができません。
世間のしがらみや、つまらない自意識や、生きていくにはどうしたって必要な金や、そうしたもろもろの日常的な事柄にとらわれて生きていくしかないのが、われわれ凡人のつらいところです。
だから、せめてフィクションのなかでだけは、そういうわずらわしいこととは無縁な人物を見てみたいと思うのは自然な感情だといえるでしょう。

たとえば、主人公が時代がかった大恋愛をしていたりとか(冬ソナ)、
主人公が木の葉の里を救うために、他の里の忍者と戦っていたりとか(NARUTO)、
まったく仕事をしているそぶりがないのに、なぜか家出少女を一人やしなうだけの甲斐性があったりとか(銀魂)、
そして、民間人にもかかわらず、なぜか殺人事件の解決を警察から依頼されたり(名探偵)とか、
そういうわれわれの日常とは隔絶したところで、われわれとは違う特殊な人間を見てみたいと思っているのです。

冬ソナには超人的な人物は出てこない、とか言われそうですが、ヨン様はあのドラマのなかで、交通事故に二回もあっています。
普通の人間は人生で二回も交通事故にあったりしません。
つーか、どこまで不注意なんだよ、ヨン様。
もっと左右確認して歩けよ。

こういう、日常から遠く離れた人物を見てみたいという欲望のことを、「非日常憧れ型」と呼ぶことにしましょう。
(うーん、ネーミングセンスが悪いな、これ。まあ、いいや)


名探偵というものは、こういう欲望のもとに生み出されたキャラクターです。
仕事内容が、謎に満ちた殺人事件を解決すること、だという物語上における役割は、NARUTOにおけるうずまきナルトの役割が「木の葉の里を救うこと」だということと似通っています。
どちらもその役割に現実感がまるでありません。
そして、ナルトが螺旋丸などの超人的な活躍を見せて混乱した物語を収束させるのと同じく、名探偵も超人的な推理能力で混乱した殺人事件を終結させるのです。

ただし、ここで面白いことがあります。
物語上での超人的な活躍というところでは、ナルトも名探偵も似てはいるのですが、一つ決定的に違うところがあるのです。
それは、「物語のなかで個人的な悩みを見せるかどうか」ということです。

まずはナルトから見ていきましょう。
ナルトは九尾の狐を、体内に封印されたという設定になっていて、それが原因で小さなころから他のガキどもにいじめられています。
ナルトという少年はよく言えば竹を割ったような性格、悪く言えば単純バカで、あまりそうしたイジメをトラウマとして抱えてはいません。
しかしガアラと戦ったときのセリフ

「一人ぼっちはさびしいよな」

などで見られるように、孤独に苦しむ一人の少年としての素顔が物語のなかでなんどかあらわになっています。
こういう孤独がつらいという感情はだれにでもある、ごく普通の感情です。

次に名探偵です。
まあ、名探偵といっても色々あるわけで、これはすべての名探偵にあてはまることではないのですが、なんというか私のなかにある抽象的な名探偵像ってことですね。
名探偵が自分のトラウマだったり、個人的な悩みを語ることはあまりありません。
物語のなかで名探偵が悩むのは、たいてい殺人事件が上手く解決できないということであり、個人的なトラウマで苦悩することはまずありません。
たとえば、子供時代にイジメにあって、それが原因で対人恐怖症に悩まされている名探偵というのがいるでしょうか?
いません。
名探偵はそういう個人的な悩みからは超越した人物として描かれるのが普通です。


それでは、上の「共感型」と「非日常憧れ型」にナルトと名探偵を当てはめていきましょう。

まず、能力面ですが、これはナルト、名探偵ともに「非日常憧れ型」です。
両者とも常人にはとても不可能な特殊な能力をもっています。

次に、性格面です。
これはナルトのほうが「共感型」なのに対し、名探偵のほうは、ここでも「非日常憧れ型」です。


こうしてみると、名探偵というものが、いかに極端なものかがよくわかります。

たとえば、「文学的」という言葉があります。
なにを文学的だとみなすのかは人それぞれでしょうが、「文学とは人間を描くものだ」という言い方がありますね。
人間の精神の内部を詳しく描写していくのが文学だという考えかたです。
(今では古い文学観なのかな?まあ、どうでもいいけど)
そういう意味で「文学的」という言葉を使うとき、うずまきナルトと名探偵のどちらが「文学的」でしょう?
これ、あきらかにナルトのほうが文学的なのです。

まあ、ナルトの内面描写というのは子供向けあって稚拙なものですが、人格まで超絶的な名探偵と比較すると、ナルトのほうが文学的になっちゃうのですね、これが。

ここで注意が必要なのですが、探偵小説自体がNARUTOよりも非文学的だということではないのです。
探偵小説のなかの登場人物(除名探偵、含犯人)が、それぞれの内面を吐露する場面はよくあります。
そういうことを考えると、探偵小説自体が非文学的とはいえません。
ここで私が言ってるのは、名探偵というキャラクターが非文学的なものだということです。

ある意味で、名探偵というのは、そこらのマンガ、アニメキャラクターよりずっとキャラクター的なのです。
キャラクター化が極限までいった存在、それが名探偵なのです。
昔から中国では仙人伝説というものがありますが、名探偵というのは仙人に近い存在なのかもしれません。
超人的な力を持っている、世事には拘泥しない、などの意味において。
(本当はもう一つの共通点があるのですが、面倒なので省きます)

と、ここで萌える名前の作り方を終わってもいいのですが、せっかくなので、この「共感型」と「非日常憧れ型」を使って、一つアニメを語ってみたいと思います。

ふと気づいたのですが、新年明けてから、アニメのことについてほとんど語ってないし。
年明け後の記事の内容を記すと、
ぬるぬる、ぬるぬる+小梅、エウレカ、アーノルド坊や(ぷっ、なんだこれ?)、ゲーム、ゲーム、ぬるぬる、名探偵。
こんなんじゃ、アニメのブログとはとても呼べません。

まあ、このアニメは、あまり萌える名前とは関係なかったりするのですが、それでも無理やりにでも語ってみましょう。
いつかは、このアニメについて書くつもりでもいたことだし。

ということで、次回は「桜蘭高校ホスト部」の話です。



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この記事へのコメント
リンクありがとうございます(^^)

私もホームズを何冊か読んだのですが、
現代の水準からすれば、確かに安っぽい感じは
しますね(^^;)
コナン・ドイルの作品では「失われた世界」が好きで、
何度か再読してます(^^;)
どちらの作品にも共通しているのは
なんともいえないレトロ感かな、と思っています。

また寄らせてもらいますので、
よろしくお願いします(^^)/
Posted by バルログ at 2007年01月16日 03:54
いえいえ、こちらこそありがとうございます。

ホームズのことを悪く言ってるのはネタ的なところもありますから。
嫌ってるわけではないんですよ。

失われた世界というのは読んだことがないですね。
SF冒険物なんですね。
読んでみようかな。
Posted by 万五郎 at 2007年01月16日 21:20
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