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2007年01月28日

秘密さえ設定しときゃ、あとは勝手にドタバタしだすんだよ、バカヤロー その二

ラブコメの作り方 その一
具体例「フルーツバスケット」




前回は、主人公が一人だけ、秘密を抱えているパターンでした。
今回は、複数の人間が秘密を抱えている(共有している)パターン。


ってことで、フルバです。


このマンガをラブコメにいれてしまっていいのかは正直、疑問です。
フルバを読んだことのある人なら、このマンガを「単なるラブコメ」とはみなしてはいないでしょうし。
ですが、ラブコメ要素もたしかにあるわけで、そこらへんには目をつぶってやってみたいと思います。


あ、本題に入る前にちょっと一言。
フルバはアニメ化されているのですが、このアニメは非常に素晴らしいです。
原作のもつ雰囲気をちゃんと大事にしながら、アニメ独自の味わいも出している。
特にオープニングのあの音楽がいいんですよね、マジで。
過度に叙情的にならず、さらりとしているのに泣かせるっていう。
マンガのアニメ化が成功した例としては、最上級に入る出来だと思うのですが、なぜか続編の話がありません。
最近のアニメ製作バブルでコンテンツの不足からエロゲーの類まで、アニメ化されてるってのになぜフルバの続編が作られないのか不思議でなりません。
需要は確実にあるはずです。
ここを読むとアメリカでも人気らしい。
しかも、アニメ化されていない原作部分も腐るほどあるってのにいったいなぜ?
切実に見たいんですけど、続編。



ってことで、本題です。
このマンガには、草摩という一族がでてきます。
この草摩一族というのは、異性に抱きつかれると十二支に変身してしまうという「秘密」を持っています。
草摩由希だったら鼠、草摩紫呉だったら犬といった具合にです。
この秘密は一族以外には他言することのできない秘密なのですが、この秘密を偶然知ってしまったのが、主人公の本田透というわけで、ここからストーリーが始まっていくわけです。


前回、「秘密を抱えた人間は他の人間と認識のズレが生じるので笑いが生まれやすい。だからラブコメには秘密を抱えた人間がよくでてくるのだ」という話をしました。
「みゆき」では、秘密を抱えた人間が真人ひとりだけ、でした。
それではフルバはどうでしょう?


フルバでは、同じ秘密を共有している人間は複数います。
草摩一族の秘密を知っている人間ってことですね。


今、私の手元にフルバ18巻があるので、この巻頭にある「フルーツバスケット キャラクター紹介」に則って話を進めます。
巻頭で紹介されるくらいですから、ここに載ってるのが主要キャラクターってことです。
まず、この見開き2ページの、右半分は本田透、草摩由希、草摩夾、草摩紫呉の四人が載ってます。
1ページを4人で占領してしまうくらいですから、このなかの透、由希、夾の三人は主役級です。


次に、見開きの左側の上部には草摩一族が載ってます。
十二支の面々に、神さまである慊人です。
この草摩一族で左ページの上3分の2くらいが占められています。
それで、この下部3分の1くらいのスペースの右側に生徒会のメンバー4人がいます。
そして、その生徒会の左に「透の親友」ってことで魚谷ありさ、花島咲の二人。


えー、それでは、このなかで「草摩の秘密」を知っている人間はどれだけいるでしょう?
まず右ページの主役級の4人は、当然知っています。
次に、左ページ、上部3分の2を占める草摩一族の11人、これも草摩の人間なので当然知っています。
ということは、見開き2ページの下部に追いやれれている生徒会の面々と透の親友二人だけが、「秘密を知らない人間」だということです。


この見開きページに載っている主要キャラクターは全部で21人います。
このうち、「秘密を知っている人間」は15人です!
パーセント表示にすると、主要キャラクターのうち、なんと71パーセントが「秘密を知っている人間」だということになってしまうのです。


「みゆき」の場合は、秘密を知っている人間が一人だけ、でしたが、フルバの場合はすんごい多いわけです。
ってことは、「みゆき」の場合とは、異なった力学が働くのです。


その力学を説明する前に、常識とは何か?ということを問題にしなければなりません。
常識というのは平たく言えば、「多くの人に常識だとみなされている事柄」のことです。
こういう言い方には、異論のある人もいるでしょう。
エドモンド・バーク由来の保守主義者なんかにはこっぴどく叱られてしまいそうですが、確かに常識というのはこういう側面をもっています。
カラスが白いと信じる百人のなかでは、カラスが白いのが常識ですし、中世に地動説を唱えたガリレオは、そういう意味合いでは常識のない人間とみなされて当然です。
つまり、常識というのは「多数派の意見」のことであり、それが真実であるかどうかとは無関係なのです。


「みゆき」で、若松みゆきと若松真人は本当の兄妹ではありません。
それが真実です。
しかし、他の連中はそのことを知らないので、「二人が本当の兄妹でない」ということは常識とはみなされません。
「みゆき」では、真人ひとりだけがいわば「常識のない人間」だったので、ドタバタも生まれやすかったのです。

みゆきに誰かが求愛する。
それを見ていた真人が嫉妬する、不安になる。
といったかたちでのドタバタです。
ここでは、真人とその他の人間の内面心理が異なっているからドタバタシーンが生きてくるんですね。
なぜ、内面心理が異なるかといえば、それは真人が「秘密を抱えている」からです。


で、フルバ。
このマンガにも、初期のころにはそうしたドタバタシーンが出てきます。
たとえば、「秘密を知らない」魚谷ありさと花島咲が紫呉の家に遊びに行くところとかがそうです。
「秘密を抱えた人間」と「秘密を知らない人間」との内面心理の格差によってドタバタ感がでてます。
しかし、次第にそうしたかたちのドタバタは、ほとんどなくなってしまいます。


いや、中盤、後半になってもドタバタシーンはあるにはあるんです。
紅葉(もみじ)や綾女(あやめ)がでてきたときは、ほぼ例外なくドタバタしてますし。
しかし、紅葉、綾女のドタバタというのは、彼らのキャラクターに拠るものであって、秘密の内部の人間と外部の人間によるドタバタ劇ってのはほとんどなくなってしまう。
それがなぜかっていうと、上で触れたように、「秘密を抱えた人間が多すぎる」からなのです。


常識ってのは「多数派の意見」のことだ、と書きましたが、フルバのなかでは「草摩の秘密」がすなわち常識と化してしまっているからです。
つまり、秘密の内部にいる人間が多すぎて、秘密の外部にいる人間がかすんでしまっている状態です。
ここまで秘密を知っている人間が多ければ、「みゆき」のように、「意識のズレ」なんてものは起こりません。
なにしろ、主要キャラクターの71パーセントが、秘密の内部者なのですから、むしろズレているのは、外の人間だとさえ言えてしまえます。
だから、秘密にまつわるドタバタが生まれにくくなっているのです。


それじゃ、ドタバタを作るときは、秘密を抱えた人間を必ず一人にしなきゃいけないのかってぇと、それはもちろん違います。
要するにこれはバランスの問題なので、たとえば主要な登場人物が20人だったとしたら、そのなかで秘密を知っている人間を2、3人にしてしまえば、秘密の内部と外部におけるドタバタを作りやすくなるでしょう。
とにかく、秘密を知っている人間をマイノリティーにしてしまえばいいのです。
そうすれば、意識のズレがおきやすくなります。


ある意味、フルバというのは、ドタバタラブコメの失敗例といえるでしょう。
その失敗の原因は、いままで書いてきたように「秘密を知っている人間が複数いて、しかもすごく多い」ってことです。
しかし、フルバは「秘密を知っている人間を複数」にしたことで、ドタバタとは別のところで成功した例でもあります。
それが次回書くことです。
つーか、本当は次回書くべきことを先に書くべきだったんだな、間違えた。
ま、いっか。



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