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2007年04月12日

絵が下手なマンガ

絵が上手いか下手かってのは、
主観に依存するところ大なんで、
そう明確に線引きすることって難しい。


たとえばネギま!の赤松健って上手いの?これ。
上手いといえば上手いんだろうし、
線に色気がなくて嫌だな、と思ったりもする私のような人間もいたりするわけで。


まあ、そこの線引きってのは微妙なものがあったりする。


ただ、なかには、「おそらく大多数の人が下手と認めるであろう絵柄」を描くマンガ家もいる。
で、私が思いついたのは、ここらへんのマンガ。



ナニワ金融道




ミナミの帝王




カイジ





これ以外にもたくさん「絵の下手なマンガ」ってのはあるんだろうけど、
私の頭に浮かんできたのはこの3つだった。


このなかでいちばん絵の下手なのはどれかっていうと、
こりゃ間違いなく、「ナニワ金融道」。
このマンガのなかでは時々、セックスシーンが出てくるんだけど、
これ、ぜんぜん色っぽくない。
というか、セックスしてる感じがまったくしないのがスゴい。
なんか、裸の人形がただ絡みあっているだけ、に見える。
おそらく、血気盛んな中学生であっても、
この絵でヌくことはできないだろーな。
もし、ナニワ金融道でヌくことが出来た中学生がいたら、ご一報ください。
そんなあなたには細木数子のヌード画像を進呈したいと思います。


比較的、絵が上手いのは、ミナミの帝王、ですかね?
ただ、これはナニワ金融道に比べると通俗的ではある。
どっちも金貸しのマンガなのに、「どうしてミナミの帝王のほうをとりわけ通俗的とみなすんだ、お前は?」とおっしゃる御仁もあるかもしらん。
うーん。
何て言ったらいいんだろう?
ここで言う通俗的というのは、
「物語のなかにわかりやすいカタルシスがあるかどうか」っていう意味合いかなあ?


ミナミの帝王って、勧善懲悪的な度合いが強いマンガで、主人公の萬田銀次郎はトイチの金貸しの割りには、妙に正義の味方っぽいところがある。
言ってみれば水戸黄門的な安心感があって、それゆえにVシネマであれだけの人気があるんだろうけど、そこが通俗的に見えてしまう原因。
この3つのなかだと、いちばん通俗的なのは、このミナミの帝王だと思う。



ところで、この3つのマンガ、ナニワ金融道、ミナミの帝王、カイジにおいては、
絵が下手なことが、あまりマイナスになっていない、っていう感覚は、
たぶん、共有してもらえるんじゃないでしょうか?


絵が下手だから、最初から見る気がしない、っていう人もいるかもしれないけど、
実際に読んでみると、絵の下手さがそう気にならない。
それどころか、絵が下手なことがかえって良い効果を生み出しているような感じさえする。
これ不思議。


というのも、たとえば「NANA」の絵がナニワ金融道のそれだったとしたら、
どうだろう?


nana.jpg「シンちゃん、会いたかった・・・・」
レイラ





ありえない。
激しくありえない。
すぐさまこの女(レイラ)をロシアンフックでぶん殴ってしまいたくなるくらいありえない。
これを見た皆さんも、すぐさま、このレイラを脳細胞からデリートしたいと願ったであろう。


ということは、青木雄二の絵柄でNANAのストーリーを描くことは不可能ということなのである。
ま、当たり前だけど。


で、NANAのストーリーって何なの?と言えば、
それは恋愛とか恋愛とか恋愛とか、ま、そういうもん。
つまり、恋愛ものでは、この絵柄は受け付けない。


それじゃ、これらの「絵が下手なマンガ」が許容されるストーリーとはいかなるもんなのか?
まあ、それはこの3つのマンガのストーリーの共通点を探ればいいだけの話。


その共通点ってのがなにか、っていうと、それが「金」。
金貸しが主人公である、ナニワ金融道、ミナミの帝王、
それにギャンブルをテーマにしている、カイジ。
みんな金がテーマになっている。
金にまつわる人間の悲喜劇を描いているのが、これらのマンガである。


つまり、金にまつわるストーリーなら、絵が下手でも気にならない、ということが言えそうであるが、これはどうした理由によるものであろう。


人間にはさまざまな欲望がある。
その欲望を心のおもむくままに叫びたてると、破廉恥な人間だと思われる。
恥知らずだと後ろ指をさされる。
よって、真っ当な社会生活を送れなくなる。
だから、常識のある人は、心のなかの欲望を、そのまま表に出したりはしない。


しかし、人に言えない欲望を心のなかに溜め込んでおくというのは、
意外にこれがしんどいものであって、
あまり溜め込んでおくと、それが爆発してしまう。
爆発してしまうと、これがまた大惨事なので、一層困った事態と相成る。


しかし、世間というものは、案外上手く出来ているもので、
そうした欲望に綺麗な名前をつけて昇華してしまう、という機能を持っている。
たとえば、それが如実に現れるのが、
映画、ドラマ、小説、マンガ等のフィクションの世界なのであるが、
これらの作り物の世界で、登場人物たちは、おのれの欲望を発散し、がなりたてる。
人々はそれを見て、読んで、うさを晴らす。


欲望が、どのように美化されているのかの例を一つ二つ出してみる。



性欲。

人間にとって根源的な欲望でありながら、この欲望を思う様に吐き出すと、警察のご厄介になったり、村八分にあったりしてしまう、という厄介な代物。
極めて即物的に言えば、男と女が出会って、肉体を結合しあい、体液を交換する、というそれだけのことである。
ただ、その行為自体を見れば、別に恥ずかしいことでもなければ、また、とりたてて、美化すべきものとも思われない。
が、しかし、この性交を、恋愛などという言葉で呼ぶと、なにやら風雅なものに思えてくるから、不思議なもんである。
そして、恋愛という名前で美化された性欲を人々は消費していく。
男と女の惚れたはれたを見て、やきもきしたり、はらはらしたり、しまいには泣き出したり。
冬ソナとかね。
ところが、冬ソナ見て感動しているおばちゃんに、もし、ぺ・ヨンジュンとチェ・ジウのセックスを見せたらどういう反応するだろう?
まず、感動はしないだろう。
それどころかあべこべに劣情を催したりするのだから、人間って不思議なものである。



権力欲

ただ単に「権力欲」なんていう言葉を見ると、いかにも胡散臭い感じがする。
ハゲ上がった頭に脂汗を滲ませた政治家が、裏で権謀術数の限りをつくし、それをもっておのれの権力の拡大浸透を企図し、多数の人間からペコペコされて、ご満悦。
こういういかがわしい趣きがある。
が、しかし、この欲望とて、フィクションのなかではちゃんと美化されている。
それが英雄と呼ばれる存在を描いたもの。
たとえば、本邦で言えば織田信長などの戦国武将であったり、中国でいえば三国志であったり。
こうした題材を描いた書物などに出てくる英雄というのは、畢竟、「巨大な権力欲に突き動かされた人間たち」である。
大勢の人間を自分につき従えたい、領土があれば、それを寸毫でもいいから拡張したい。
そうした、人並みはずれた欲望を持った人間が英雄と呼ばれる。
町内会の会長の座を虎視眈々と狙っている、近所のジジィすら、私には不快に感じられるので、そんな欲望丸出しの英雄はさぞ不快であろうと思われるのだが、実際にそうした類のフィクションを見ると、そんな不快感は微塵も感じない。
それどころか、爽快感すら感じる。
これまた不思議な人間心理というべきものであって、どうしてちっぽけな権力欲を持った人間を見ると不快で、人並みはずれた権力欲が爽快なのか、わけがわからん。
わけがわからんが、ともかく、こうした形で、権力欲というものも、またフィクションのなかでは美化されているといえる。



で、問題の「金銭欲」。

フィクションのなかで、この欲望は、美化されることが明らかに少ない。
たとえば、本田宗一郎のような、事業を起こし、成功し、そして富を得た成功者の伝記というのは読んで面白いものだろうと思う。
しかし、本田宗一郎は、「金が欲しくて頑張った」のではなく、「頑張ったら金がついてきた」という形のものなので、本田宗一郎の伝記が金銭欲を美化している、とはいえない。
もちろん、最初から「金を得ることだけを求めて、結果、金を得た」式の成功者もたくさんいるのだろうけれど、そういう人の話ってあまり聞かない。
というか、人々はそうした話をあまり聞きたがらない。
それどころか、そういう「成金」は、とっとと失敗して破産でもすればいいのに、くらいに思っている。
結局、尊敬される経済的成功者というのは、松下幸之助、本田宗一郎、井深大などのように、「金以外のなにか」を求めて、結果、金持ちになった人々であり、金銭欲しかない人間は軽蔑される、と相場が決まっている。


人間の持っているもろもろの欲望のうちでも、金銭欲というのはなかなか美化されにくいものである。
これは、ちょっと考えてみるとなかなか不思議ではある。
たとえば、権力欲と比較してみるとよくわかる。
「自分の領土をとにかく広げていこう」とする、アレキサンダー大王やチンギス・ハーンに我々はロマンを感じる。
一方、「自分の金を無限に増やしたい」という金銭欲を持った人間には不快感を感じる。
しかし、アレキサンダー大王やチンギス・ハーンがやったことは、戦争であり、言ってみれば人殺しである。
それにくらべ、ただ自分の金を増やしていこうとするのは、それなりの迷惑を蒙る人間が出てくるのは確かではあるが、それでも戦争に比べたら、ずっと被害者は少ない。
それなのに、我々の感情は真逆の方向へ向かう。


うーん、なんでだろう?
人間、お金がなきゃ生きていけないのにね。
ベルマークをいっぱい集めても生きていけないんだよ、知ってた?
なんでだかは分からないが、まあとにかく金銭欲というのは、卑近な欲望であるとみなされていて、そうそう美化されるもんではない。


で、マンガの絵柄の話。


マンガの絵柄というのは、そのストーリーの種類別に異なっていて、たとえば、少女マンガは少女マンガに特徴的な絵柄というものがあるし、格闘マンガには格闘マンガに特徴的な絵柄がある。
上で、ナニワ金融道風のレイラを出してみたけれども、これがもし鳥山明の描いたレイラだったとしても、それなりに違和感は出てくるはずである。


要するにストーリーに適した絵柄がある、という当たり前のことを言いたい。
じゃあ、ここで一歩踏み込んで「金にまつわるストーリー」に適した絵柄ってのも当然あるんじゃないのか?


既に書いたように、金銭欲というのは卑近な欲望とされていて、美化されるところの少ない。
だったら、その絵柄だって、見目麗しい美少年の登場してくる少女マンガ系の絵柄じゃだめだろうし、鳥山明のような肉体の線をシンプルにした絵柄なのも変。
結局、金銭欲という、汚い(と見なされている)欲望を描くには、それなりに汚い絵のほうが向いてるんじゃないか、と思う。


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