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2007年06月04日

日本のアニメが永遠に繁栄するためには

この前、アニメの制作費について調べていたときに、

「そういえば、この前、こんなこと考えてたっけ」

ということを、ふと思い出したので、それを書いておきます。


今、世界の各地で日本のアニメは人気がある。
テレビなんかでも、日本のオタク文化がこれだけ海外に浸透している、みたいな特集がよくあったりするし。
それが、大人気なのか、中人気なのか、それとも小人気なのかは、それぞれの国、地域によって差があるでしょうが、とりあえず、一定の人気があることだけは間違いない。
しかし、人気とは裏腹に、日本アニメが海外で稼げているとはとても言えない状況なのも事実。


たとえば、北米でのアニメの売り上げは、2003年をピークに減少しています。

北米におけるコンテンツ市場の実態

もっとも、これはポケモン人気が収束したのが一番の原因であって、このジェトロの資料を読むと、アメリカで発売されるDVDに占める日本製アニメは、他の外国語作品の総数より多い、らしいので、そう悲観する状況ではないかもしれません。
ただ、日本アニメファンが増えているのに、稼げていないのもまた事実。


今って結構、アニメにとって大事な時期なんじゃないか、と思う。
ここでは「表現の質がどうこう」という芸術論的な話ではなくて、もっと即物的な話をします。
ここからは「マンガ」「日本のロック」「ハリウッド映画」の順で話を進めます。
この並びを見ると何のこっちゃわけがわからんでしょうが、人にはそれぞれ固有の思考回路みたいなもんがあるもんで、私の場合、こういう形で話を進めたほうがやりやすいってことで。



「マンガ」

英語で!アニメ・マンガ

今、アメリカではナルト、フルーツバスケットが人気があるみたいです。
フルーツバスケットは累計200万部か。
すごい売れてるなあ。



で、今現在、日本のマンガがかなり人気があることは事実みたいなんですが、このアメリカでのマンガの人気がそのうち、韓国マンガ、台湾マンガ、もしくはアメリカ人の描いたマンガ、に取って代わられることっていうのは、ありうる話です。


韓国マンガ、日本のパクリはいつまで

これを読むと、たとえば韓国のマンガ事情ってのは、まだそれほど大したもんじゃないみたいだし、アメリカの「マンガ家」というのもまだ出始めたばかりのようなので、すぐにこうした転覆が起こりうるようにはとても思えませんが、まあ可能性としては充分にある。


「マンガ」という表現は、日本固有の文化に根ざしたものであって、そうそう他国の人間がコピーできるもんじゃない、って言う人もいるかもしれない。


たしかに、「マンガ」が日本文化のなかで育まれた表現であることに間違いはありません。
誰が言っていたのかは忘れましたが、日本人が漢字という表意文字を使っていることと、マンガの記号的表現の相関性と指摘していた人がいました。
それから他の言語と比べて日本語には、擬態語がとても多いらしいですが、これなんかは、マンガのオノマトペを使うのに、とても有利かもしれません。
こうした指摘自体が正しいかどうかは別として、マンガという表現が日本文化と密接に関連していることに間違いはなく、それゆえ、日本人以外の人間が「マンガ」という表現を使いこなすのは確かに困難があるかもしれない。
しかし、こうした他文化から生まれた芸術表現を自分の表現手段とすることは、日本人マンガ家と比べて不利であるという、マイナスの意味しか持たないのでしょうか?



「日本のロック」

こうした文脈で、いきなり、ロックなんていう言葉が出てくると、手塚治虫のマンガ「ロック」のことかと誤解されるかもしれませんが、そうじゃなくてロックンロールのロックです。
音楽のロックってことです。


今じゃ考えられないことかもしれませんが、ロックという音楽が日本に輸入されたとき、「ロックを日本語でやるのは許されるのか」という議論がありました。
日本語のロックが当たり前のものになっている現在では、そうした議論があったこと自体が奇異に映るかもしれませんが、実は「日本語」というのは、ロックをやるのにはとても不向きな言語です。


私は言語学にはまったく無知なのであまり詳しい議論はできないんですが、日本語の音韻的な特徴として「母音重視である」ということがあげられます。


たとえば、英語の「good morning」を日本語風に発音すると、「グッド・モーニング」になる。
英語の発音だと、母音は「good」のuと「morning」のoとiの3つです(発音記号の出し方がわからなかったので、これで勘弁してください)。
ところが、日本語風の発音だと、それに加えて「グッド」の「ド」部分の母音、「モーニング」の「グ」部分の母音の二つが加わるので、母音が5つになってしまう。
つまり、ほとんどの音に母音がついてくるので、発音が明瞭に聞き取れやすい。
また別な言い方をすれば堅苦しい音になってしまうわけです。
こういう母音重視の言語というのは、かなり珍しいらしく、日本語以外ではポリネシア語圏にだけ見られる特徴らしいです。


こうした音韻的特徴を持つ日本語というものは、ロックのリズムに乗りにくい。
一つ一つの音がかっちりしているので、ロックのリズムにはなかなか合わないわけです。


こうした困難を解決するための一つの方法として考え出されたのが、「日本語を日本語風に発音しない」という方法です。
たとえば、英語風に発音してみたりだとか、普通の日本語とは違う区切り方で歌ってみる、とか。
こうしたやりかたをした有名なバンドというと、サザン・オールスターズなんかがあげられるでしょうか。
桑田の歌いかたというのは、かなり独特なもんで、日本語の歌を自然に歌おうとすれば、ああいう歌いかたには絶対になりません。
あの独特な歌唱法というのも、日本語ロックをやるうえでの必然から出てきたものでしょう。


それから、コードギアスの二番目のOPのジン。
このうえなく不評だったアレです。
私には、あの歌の日本語が全く聞き取れなかった。
あれは曲名が「解読不能」だから、「歌詞も解読不能にしてみました」という意図でああいう変な歌いかたをしているのではなく、上記した日本語ロックというものの困難さからああしているのです。
まあ、その結果として生まれたものがいいものかどうかという判断はとりあえず置いておきますが。
(それにしても、あの歌の最後で「強姦だ!」と言っているように聞こえるんですけど、実際は何て言ってるんですかね。まさか、「強姦だ!」なんていう歌詞があるとも思えないし)


これらは、ロックという(他文化の)表現法に、自文化のほうを変形させた例ですが、これとは別な形で日本語ロックをやろうとした例もある。


つまり、日本語のほうにロックという音楽を合わせていくという手法です。
言ってみれば、歌謡曲よりにロックをやる、という手法です。


昔、イエローモンキーというバンドがありましたが、彼らの音楽はとても歌謡曲的です。
イエモンとほぼ同時期に活躍していたバンド、シャ乱Qなんかは、もっと下世話に歌謡曲的でした。
こうした「歌謡曲ロック」をやっていたバンドと、ジンを比べてみると、歌謡曲ロックのほうがはるかに、歌詞が聞き取りやすい。
日本語の発音を崩すようなところがあまりなく、かなり素直に日本語の歌を歌っているという印象がある。
これは、先の例とは逆で、日本語のほうに音楽(ロック)をあわせているから、そうなっているわけです。


ロックという外来文化を受け入れるにあたって、

「外来文化に合わせて自文化を変化させる」

「外来文化を自文化に変化させる」

という、二つの手法がここで見て取れます。


この二つの手法のどちらが優れているか、という話はここではしませんが、外来文化を受け入れるのにあたって、様々な苦労がここにはあり、またその苦労を見ているのはかなり面白い。
特に、歌謡曲ロックなんですが、もし、「オリジナルとは異なっていること」をオリジナリティーと呼ぶのだとすれば、はからずも歌謡曲ロックというものはオリジナリティーを獲得してしまっている。
これは、日本語というものが、「ロックをやるのに適した言語ではない」という、普通に考えれば障害としか思えないものが原因がそういう結果を生んでいるわけです。



「ハリウッド映画」


世界の映画界のなかで、ハリウッド(アメリカ映画)というのは支配的な地位を保っています。
最近は面白いハリウッド映画が少ない、とか言われながらも、いまだにハリウッド映画は特権的な地位を占めている。
世界中の映画館では、今日もハリウッド映画が上映されているし、これからもまた上映され続けることでしょう。


このハリウッド映画の支配的地位というのが、いつから始まったのかはよくわかりませんが、軽く半世紀以上はこうした地位を保っているのは間違いない。
なにしろ「風とともに去りぬ」は1937年です。
なんとこれは、太平洋戦争が始まる前!


では、どうしてハリウッド映画というのは、こんなに長きにわたって世界中で見られてきたのでしょうか?
映画というものは世界中で作られていて、何もハリウッドだけの専売特許ではない。
世界の各地で、さまざまな人種の、才能あふれる人々が映画を撮っている。
日本でも、香港映画ブームがおきたり、あるときはインド映画ブーム、またあるときは韓流ブームなど、一時的に特定の国の映画が流行ることがある。
しかし、結局のところ、ハリウッド映画の根強い人気というものは揺らぎません。
どうして、ハリウッドだけが、映画のなかで別格の地位を築いているのでしょうか?


ハリウッドには、才能豊かな人材が集まるから?
確かにそれもあります。
しかし、それよりももっと根本的で単純な理由があると私は思います。
なぜハリウッド映画が人気があるのかと言えば、それは「金」という直截的な理由によるものだと思うのです。


ハリウッド映画というのは、ご存知の通り、最初から「世界中で売ること」を目的として作られています。
そして実際に世界中で売れる。
投資資金を世界中で回収する仕組みがすでに出来上がっている状態なわけです。
だから、最初から巨額の予算を組んで映画作りができる。
最近だとCGを多用したド派手な映画がそうでしょうし、昔だったらベン・ハーみたいなスペクタクル映画なんかがそうです。


こういう「巨額の予算をかけたことによるスケール感」というのは、他の国の映画ではなかなか真似できることではありません。
日本映画にしろ、他の国の映画にしろ、国内市場という狭いマーケットで売ることを前提にしている映画では、そうそう予算をかけることなんてできはしないですし。
結果、こういう「大作映画」というのは、ハリウッドが独占してしまう。


もちろん、金をかけた映画が面白く、金をかけていない映画がつまらない、というわけではない。
実際、私にはハリウッド映画のほとんどが退屈です。
しかし、金をかけた映画というものに、「金をかけた映画にしかない面白さ」があるのもまた事実です。
もし「ロード・オブ・ザ・リング」が製作費1000万円で作られていたら、あの映画は全く面白くなかったに決まってる。


低予算で作られた映画にも面白い映画はあるでしょうし、またハリウッドの大作映画が大嫌いだという映画通もいるでしょうが、そうしたこととは別に(金をかけた)大作映画というものが人々に求められているのも確かなことです。


つまり、ハリウッド映画の強みというのは、「金」の力によるところが大きい。
「金」を世界中から回収する仕組みを作り上げてしまっているから、一つの映画に大金をかけられるし、またそのことが、ある種の「参入障壁」のような効果をもたらしています。


今、「参入障壁」という言葉を使いましたが、永続的に繁栄する企業というのは、なにかしらの参入障壁を持っていることが多いです。
たとえば、マイクロソフトのように、OSで独占的な地位を占めていることも参入障壁の一つですし、コカ・コーラのように長きに渡って愛される日用商品を保有していることもそうです。
参入障壁を持っている企業は独占的に儲けることができる。


そうした参入障壁の一つとしてスケールメリットというのがある。
スケールメリットというのは、簡単に言えば「大きな会社ほど有利になる」ってことです。


産業の種類によって、スケールメリットが働くものと、働かないものがあるのですが、前者の例としてあげられるのが、自動車産業です。
トヨタの一年の研究開発費がたしか8000億円くらい。
こんなの弱小企業がどうしたって太刀打ちできる相手じゃない。
たとえば、ここに超絶的な天才エンジニアがいたとしても、一代で自動車会社を興すなんてのは不可能な話です。
つまり、ある程度の規模がなければ、自動車会社というのは成り立たないので、それ自体が新規参入を阻む参入障壁になっているわけです。


それとは逆に、だれでも容易に参入できるジャンルがあって、たとえば外食産業なんかが例としてあげられます。
脱サラしてラーメン屋を始めるなんてのがありふれた話であることからもわかるように、外食産業の参入障壁はとても低い。
店を構えるにしても、個人が借金すればどうにかなるような額ですし、その金もないのなら屋台でも引けばいいのだから、外食産業は誰でも参入できるジャンルだと言えます。
とにかく味さえ良ければ、客は来てくれるし、経営も成り立つ。


まあ、実のところ外食産業でもスケールメリットは働きます。
すき家で有名なゼンショーという会社は、最近、企業買収を繰り返しているのですが、これは食材の一括仕入れによって仕入れ値を下げる意図があります。
ですが、すき家のようなチェーン店に個人経営の食べ物家が対抗していくのは充分に可能なわけです。
簡単に言えば、すき家よりも美味いものを作ればいいのだから、そんなに難しいことじゃない(すき家さん失敬)。


今、自動車産業と外食産業の例を出しましたが、それでは映画というのはどっちに近いのか?
これは、両方に近いと思います。


低予算で作られた映画でも面白いものはたくさんあるし、アイデア一つでヒットを狙えるという点では、外食産業に似ている。
しかし、ハリウッドのような大作映画は、他の国の映画界ではなかなか作れないので、この点は自動車産業に似ている。


とりあえず、ハリウッド的な大作映画という分野では、参入障壁が働いているように思えます。


映画通のあいだなどで、アメリカ以外の国の映画監督の人気が出ることはよくありますが、それが決してハリウッド映画の地位を脅かすものにはならないのは、こうした「金」の事情によるものではないでしょうか。




「話は戻ってマンガ、そしてアニメ」


書いてる本人がすっかり忘れかけてたんですけど、最初に何の話をしていたのかというと、海外におけるアニメ、マンガの話をしていたのでした。


で、最初にマンガの話。
海外における(日本の)マンガがこれからも永続的に売れ続ける保証はなく、他国のマンガに取って代わられる可能性があると私が思っているのは、上記の二つの理由(日本のロックとハリウッド映画のところ)によるものです。


まず、マンガという「外来文化」を、他の国の人間が表現手段として選ぶのは、決して不利な面だけではない、ということ。
かえって、そうした外来文化を取り込む過程で、オリジナリティーのある表現が生まれてくる可能性すらある。
(日本のロックは一部の例外を除いては、本場である英米で売れていないので、例が適切ではないと思われるかもしれませんが、それなら、ローリングストーンズの例を出してもいいです。
彼らはアメリカ南部の黒人ブルースが熱狂的に好きだった連中なのですが、その異文化であるブルースを取り入れた彼らの音楽は明らかにブルースとは異なっています)


二つ目の理由としては、マンガという表現が元手のかからないものであるということ。
なにしろ、マンガなんて紙とペンすらあれば、誰でも描けるもんなので、お金がなくても大丈夫。
参入障壁なんてまったくありません。
才能さえあれば、だれでもマンガ家になれる。
もっとも、その国のマンガの出版状況が足かせになる可能性はありますが。


この二つが、マンガが海外で売れ続ける保証がない、と私が考える理由です。


最近のアメリカでは、マンガ関係に明るいニュースが多く(ナルト、フルバが売れている、とか)、アニメ関係に暗いニュースが多いみたいなんですが、次はアニメの話です。


先に結論から言ってしまうと、私は「海外でマンガが売れるよりも、海外でアニメが売れることのほうが、ずっと重要である」と思ってます。


マンガの参入障壁が著しく低い、ということを書きましたが、それではアニメはどうでしょう。
アニメには、マンガと違って元手がかかります。
要するに作るのに金がかかる、って話です。
最近、アニメの制作費について書いたんですけど、一話あたり最低でも500万円はかかる。
まあ、30分の番組が500万円でできるのだから、はっきり言って安いって言えば安い。


深夜の低予算アニメに慣らされているせいで、「アニメは低予算でも面白いものができる」と思っちゃったりしますが、低予算では絶対に成立しないようなアニメも確実にある。
たとえば、攻殻機動隊。
攻殻機動隊のテレビアニメは、一話辺り3000万円という、他のアニメからすればかなりの予算をかけて作られています。
もし、攻殻機動隊が一本600万円とかの低予算で作られていたら、面白いでしょうか?
まあ、それはそれで面白いかもしれませんが、やっぱりあれは、ちゃんと金をかけて作らないと成り立たないアニメだと思います。


低予算でもそれなりに面白いものはできるけど、金をかけたものには金をかけたものなりの面白さがある、という点では映画と同じです。
それを考えるとアニメの場合、「金」がとても重要なわけです。


マンガの場合、海外でどれだけ売れてもフィードバックがあまりありません。
そりゃ出版社やマンガ家は儲かるでしょうが、その儲けた金が新しいものを生み出すということがあまりない。
マンガという表現が元手(金)を必要としないのだから、それは当然の話です。


ところが、アニメの場合は違う。
もし、同じスタッフ、同じシナリオでアニメを作った場合、予算の多寡は確実にそのアニメの出来不出来に響いてきます。
金をかけたほうが良いものができる。


それを考えると、アニメが「海外で売れる」ということは正のフィードバックをもたらすと思うのです。
それに加えてもう一つの作用が生まれる。
先に触れた参入障壁のことです。


ハリウッド映画が長きにわたって繁栄しつづけているのを見ると、一度、そうした金を儲ける仕組みが出来てしまえば、かなりの長期間にわたって、日本アニメは独占的な地位を保つことができるのではないか、と思います。
攻殻機動隊が良い例ですが、あれは最初から海外のマニアを購買層として想定しているみたいです。
売ろうとしているマーケットが大きいために、最初から大きな予算を組んでアニメを作ることができる。
これなんかは金の仕組みが、良いアニメを生むことの好例ではないでしょうか。
(念のため言っておきますが、金さえかければ良いアニメができると言っているわけではないです)
そして、攻殻のようなアニメを作るのには、かなりの金が必要となるため、他の国(アメリカ以外)ではなかなか真似ができない。


最初から大きな予算を組むことができる、という状態が参入障壁の役割を果たすようになるのではないか、と思います。
つまり、日本のアニメもハリウッド映画のように半永久的に栄える可能性があるわけです。
まあ、現実はそうなっていないわけですが。


で、肝心の「どうやったら海外で金を稼げるようになるのか」ということなんですが、それはわかりません。
まあ、そんなことが簡単にわかったら、アニメ会社の人たちも苦労してないでしょうし。
私なんぞに解決できる問題じゃないですし、それ。


ただ一度、金の循環ができてしまえば、それがかなり長期にわたって続くのは事実だと思いますけど。


*なんか、とらぬ狸の皮算用みたいな話になっちゃいましたが、こんなことを最近考えていたもんで。
他にも書こうと思っていたことが、二、三あるんですけど、それは今度書きます。
書かないかもしれんけど。


[参考サイト、書籍]

日本人の脳―脳の働きと東西の文化

この人の唱えている学説はめちゃくちゃ面白いです。
簡単に言っちゃうと、日本語を母語として育った人は、他の言語で育った人と脳の構造が異なってしまう、ということなんだけど。
日本語で育った人間は、虫の声なども左脳で処理するようになる。
つまり、「意味のある音」として捉えるようになる。
しかし、他の言語で育った人は、虫の声などは右脳で処理してしまうため、雑音にしか聞こえない。
そういえば、ハリウッド映画を見ていても、虫の声というのはあまり聞かないような気がする。
あまりにも面白いんで、どれだけ信憑性のある学説なんだか疑っちゃいますけど。

日本語ロックの生き証人


タグ:アニメ

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