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2007年07月09日

「時かけ」に対する発言集 岡田,

最初はBSアニメ夜話の面白かった部分だけ、書き出そうかと思ったんですけど、ついでなんで、「時かけ」について発言してた人のなかで目についたのも載せちゃいました。

ま、どうせそっちはコピペだから楽ですし。
ただ、アニメ夜話のほうを書き出すのはしんどかった。

んじゃ、最初にBSアニメ夜話「時をかける少女」から。


出演者 渡邊隆史(「時をかける少女」プロデューサー)、江川達也、岡田斗司夫、筒井康隆


江川達也

ーーーこのアニメについてどう思うかと訊かれて

(このアニメは)すごい丁寧に作ってあって、基本がしっかりしてて、自分も絵を描く人なんで、『パーツがズレてる』とか『デッサンがおかしい』とか、変なツッコミしちゃうんですけど、これ非常にクォリティが高くて、素晴らしい映画ですよね。

ーーーなぜ、いま「時かけ」だったのか、と訊かれて

俺ねぇ、これ見て、すごく「冬ソナ」の感じがしたんですよ。

(司会者)「ある意味、純愛的な?」

そうそう。それと、これは高校生の戻らない青春をリフレインしていくわけで、だから、高校生の(ころの)懐かしい、こう戻したいけど戻らない、そういう感情がよく描けていて、あと男一人に女二人の三角関係っていうのが出てますよね。
だから時代的にも合ったんじゃないかな、って感じがしますけどね。



岡田斗司夫

(このアニメは)出来はすごいイイです。そら、そんだけ賞とるわ、って感じなんですけど、あんま好きじゃないです。

(司会者)「それは、なんでそんなふうに(感じるんですか)?」

いや、出来がいいと好きは別だから。俺くらい、大人で頭がいいと、混ぜて語らないんですよ(笑)。

ーーーなぜ、いま「時かけ」だったのか、と聞かれて

「時をかける少女」って、どうしても映画化するときに、みんなアイドル映画として作りたがっちゃうんですよね。
主人公の女の子を、完全無欠でいい子ちゃんにして、っていうふうにして作りたがるもんなんですけど、今回、ようやっとアニメのほうが進歩してきて、そういうものでなくても作品として作れるようになった。もっと現代的なキャラというものを中心にすえれるようになった。
アニメ界としても、これをちゃんと映像化できる準備が整った、というふうに考えてます。


ーーー各々がこの映画のなかで、一番好きなシーンを選ぶところ。千昭がいなくなった後に、真琴が叔母の和子に相談するシーンを一番のお気に入りにあげて・・・

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last3.jpg

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これ好きなところが二つあってですね、一つは原作、前の映画との絡めかたですね。
原作の「時をかける少女」がラベンダーの香りでタイムスリップするっていうのがあるじゃないですか、おばさんが話しながら、徐々にラベンダーがアップになっていくのは、それ(原作)にあわせてやってるんだぞ、と。
本編のなかでは、この叔母さんが、昔の「時をかける少女」の主人公だとは言ってないんだけど、それを匂わせる。これは上品で、いい持っていきかただなー、っていうのが一点目。
二点目、もっと感動したのが、「関係」なんですね。
「時をかける少女」というのは、一人の人間が何回も何回もやり直すことで、ストーリーに分岐ができてきて、人間がいろんなことにチャレンジしてダメだったときに、どうしていくのかっていうのを表わす作品なんですけども、映画のなかで、そういう巨大なことをやっているんですよ。
つまり、主人公(真琴)と叔母さんっていうのは、同じ立場にあったときに、人間が何をするのかっていう分岐点なんですね。
叔母さんは、待つことを選んで、主人公は追いかけていくことを選んだ。その二人の人間の関係性。それは、一人の人間の判断と同じなんですよ。何かあったときに、「じゃあ待とうか」っていうのと、「待つんじゃなく動こうか」っていう、この選択によって、それからの人生が変わるんだ、っていうのを二人の関係で描いたというのがですね、シナリオ的にもいいし、これをゆっくりと落ち着いたシーンで、そのことを語らずに見せるのが、すごいいいなあ、と思ったんです。


ーーー「時かけ」をどう捉えているか、と訊かれて

僕は恋愛ドラマとしてはスゴい作品だな、と思っているんです。
普通、恋愛ドラマというのは、恋愛感情が沸騰してからのことを書くんですね。
沸騰して、「私はあなたのことが好きなんだ!」、そして、「あなたも、この人のことが好きなんだ」というふうにやって、(感情の)ぶつかり合いとすれ違いを書くのが恋愛ドラマなんです。
ところが、「時をかける少女」というのは、もっと原型の、恋愛感情が心の水面に浮かび上がってくる寸前を書いているんですね。
主人公の真琴が何回もタイムリープしてると、相手に対する(真琴の)態度が変わってくるんです。
なんでかというと、真琴だけは記憶を持っているから、何回も人生をやりなおすと、相手のことが好きになったり、相手が自分のことを何も言ってくれないことに不満を持ったりするんですけど、そういうゆっくり水面にあがってくる「好き」という感情を描いているから、普通の恋愛ドラマみたいに、すぐに好きになって、すぐに走り出していったり、じゃないんです。
もっと、(恋愛感情になるかならないかの)ぎりぎりのところを選んでる。
ところがですね、それを描いているかわりに、犠牲にしている部分があって、それが何かというと、世界が狭いんですね。
たとえば、未来の世界が一切出てこない。
それまでの(映画)だったら、あえて書かないようにした、なんですけど、この作品の場合は、真琴の世界観ですべてを描かなきゃいけないから、未来が描けないんですね。
あと、真琴はタイムリープで自分から行く能力がありながら、決して三日以上前に行かないんです。
極端なことをしない。
たとえば、この時代の女の子だったら、一回ぐらい、「じゃあ、明治維新の時代に行っちゃえ」とか「邪馬台国行っちゃえ」とか思うはずなんだけども、絶対に行かないんです。
それはなんでかっていうと、この作品のなかで描かなきゃいけないものっていうのが、ものすごい難しすぎるんですね。
ぎりぎりのリアリティと、ぎりぎりのメンタルなものを描こうとしてるから、やっちゃいけないことがかなり多い作品なんですよ。
(物語を)破綻させないために守らなきゃいけないルールが多すぎて、それを見ていて僕は息苦しさのようなものを感じちゃった。
自分の身近な人間関係と、この世界が関係しているに違いないという確信のことを、よくセカイ系と言うんですけど、「時をかける少女」って、そのセカイ系のヤツなんです。
(このアニメのなかで)起きてる事件自体は大したことなんですよ。
だって、未来から高校生がやってきて「オレの未来では大変なことになっている」なんて(言うんですから)。
だけど、(真琴は)その大変なことを聞かないんですよ。
それはなんでかって言ったら、彼女は目の前の好きな男の子が言ってることを聞くことでいっぱいいっぱいだから。
こういう心持ちを描いちゃうことで、現代の心の表面に浮かび上がってくる恋愛感情を描くことには成功したんだけれども、かわりに何か大きなリアリティみたいなのは外しちゃった。
なんか、そこらへんで、僕はバランス的に納得できないな、って思った。



筒井康隆

ーーー時をかける少女がアニメとして表現されたことについてどう思うかと訊かれて、

今まで、散々、実写でやってきてるわけですよ。
で、全部見ましたけどもね、同じストーリーで、同じシチュエーション、同じエピソード。
そのたびに工夫は付け加えているんでしょうけどね、元が一緒ですから、だんだん衰弱していくんですね。
だんだん、手がなくなって、で、見ているほうの感動も衰弱していく。
だから、今までの実写を、ただアニメにした、というだけではマズいな、と思いましたね。
だから、これをこれだけ変えてもらって、これは良かったと思いましたね。


ーーーアニメが原作の20年後という設定になっていることを、どう思うか、と訊かれて

20年後ということは、つまり現代ということですよね。
ヒロインのキャラクターも変わってくるでしょうし、それは色々とあるんですけども、ヒロインが等身大の女の子になったということね、これがいちばんいいですね。
(原作のヒロインの)芳山和子というのは、たとえあの時代でも、あれだけ思慮深い女の子というのはいないわけなんでね・・・・、だから、タイムパラドックスということを考えないで、ピョンピョン過去へ飛んでいく(真琴)というのはですね、言ってみれば、バカですよね(会場笑)。


江川「そんなこと言っちゃっていいんですか(笑)?」

まあ、だけど、それが現実だもん。それでいいんじゃないか、と思います。だから、リアリティがあるんです。

ーーーこの映画のなかで、一番好きなシーンにカラオケを繰り返し歌うところをあげて、

karaoke1.jpg

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(このシーンが好きなのは)自分がドタバタが好きだということもあるんだけども。
繰り返しというのは、文学的にも重要なテーマになりうるんじゃないかと思ってるんです。
今、僕は新潮という雑誌で、繰り返しばかりの作品を書いてるんですけどもね、そういうところがいいんですよね。
東浩紀という、デリダ(ここ、ゲリラと言ってるように聞こえたんですけど、多分デリダだと思う)なんかを論じている評論家なんだけども、SF大賞に、この作品をトップにあげたんですよね。彼が好きだったのは、そういうところなんじゃないか、と思うんですよね。
(繰り返しには)実験的な文学性があるというふうに、彼は思ったんじゃないかと思います。
(中略)
この、紺野真琴が何回も何回も同じことをやるというのは、ゲーム的なんですよ。ゲームとして人生を見ているということなんです。
で、さっき言った東君というのは、「ゲーム的リアリズム」というのを新しい文学性として主張してるんですけども、それが新しい文学性なんですね。


ーーーこれがなくなったら、「時をかける少女」じゃなくなってしまう、というのはどこか?と訊かれて

いや、別になくなってもいいですけど(会場笑)。
だって、タイトルと僕の名前が出てさえいりゃあ(会場笑)。
(中略)
(時をかける少女は)孝行娘ですよ。よく稼いでくれますわ。
あとは、パプリカとか七瀬とかありますけど、この子が一番稼いでくれる。



渡邊隆史(時かけプロデューサー)

ーーー脚本が出来て、筒井康隆のところにそれを持っていったときのことを訊かれて、

(持っていってから一週間後くらいに)「どうでしょうか?」と伺いにいったと思うんです。ものすごい、ドキドキして行ったんですけど、「原作と全然違う」とおっしゃって、「うーん、これはマズいかなあ」と思ったところが、「良い」とおっしゃって頂いたんで、ものすごいホッとしたっていう思い出があるんですけども(笑)。

(司会者)「タイムリープものは、普通、歴史を変えちゃいけないとかの、タイムパラドックスのつじつまをあわせるという方向に物語がいきがちだけど、この「時かけ」は明らかに前向きに変えていこうとしているじゃないですか?」

そうなんです。
そのへんは物語を作っているときに気にしてたんです。
だけど、9ヶ月くらいかかったシナリオ(制作)の半ばくらいで、「思い切って、そういうこと(タイムパラドックス)に頓着するのを止めちゃったら、どうだろう」って思ってできたのが、コレなんですね。
(中略)
タイムリープするときに起こる問題って、歴史を変えたりとかの問題じゃないんじゃないの、って。
人の気持ちとか、その場のこととか全部なかったことにしちゃうのが、タイムリープですから、「今のありませんでした、リセット」って出来ちゃう。
事件としてリセットかけちゃうだけじゃなくて、そこに関わっていた人たちが感じていたこと、想い、そういうのも全部リセットをかけちゃう。
それは何よりも酷いことなんじゃないの?っていうことなんかは、ずいぶん考えました。



以上が、BSアニメ夜話からの書き起こし部分です。
以下は、目に付いた発言集。
まあ、もう読んだことのあるものも多いとは思いますが。

時をかける少女ー東浩紀

こんばんは。たったいま、細田守監督の『時をかける少女』を観てきました。

興奮が冷めないうちに記しておきますが、これは傑作だと思います。前評判にたがわないすばらしい作品です。いい話でもあります。心が温まりました。いろいろなひとに観てほしいと思います。

(この後にゲームのリセットとの類似点の話になるんですが、それは上のリンク元に飛んで読んでください)

「感情のポリティクス」が横行する背景に、「セカイ系」の人々が量産される現実があることを書きました
ー宮台真司


■内面と風景が浸透し合う内宇宙を描くのに中川監督は沖縄を必要とする。バラードは未来を必要とした。それらに鑑みれば実はアニメこそが内宇宙を描くのに好適なメディアではないかと思いつく。そのことを経験的に熟知するのは、宮崎駿だけだと感じていた。
■そこに逸材が現れた。『ハウルの動く城』を監督する筈だった細田守。最近作『時をかける少女』(06)(以降アニメ版『時かけ』)を見れば誰もが驚嘆する。NHK『タイム・トラベラー』(72)や大林宣彦監督『時をかける少女』(83)と比しても最高傑作だ。


(中略)

■アニメ版は、パラドクス経験を通じて主人公が成長するビルトゥンクス・ロマン。成長した主人公はラストで「時はいじってはならぬ」との認識に達する。それが前述したアニメ版ラスト。この認識の所以を言葉で説明すると哲学になる。それを言葉を使わず伝える。
■敢えて言葉で説明しよう。不幸は幸福の元。幸福は不幸の元。個々人の選択は未来を開示すると共に、あり得たかも知れぬ未来を消去する。開示された未来には他人の不幸が含まれ、消去された未来には他人の幸福が含まれる。そこだけ取り出すと罪深く見えよう。

(かなり長い箇条書きなんで抜粋。それから宮台さん、フォント小さすぎです。目がイテぇ)

文化庁メディア芸術祭アニメ部門シンポジウムー富野由悠季

大林宣彦監督の『時をかける少女』(83)は観たけど、よく分らなかった。好きじゃなかった。でも、みんなが知っている『時かけ』を現代に置き換えて、うまくまとめたよね。

僕が細田監督の『時かけ』の嫌な点は、現代の高校生を安易に描いているんじゃないのかと。主人公たちの『告白したい!』という台詞が『SEXしたい!』と僕には聞こえるんです。ただの風俗映画になっているんじゃないかという危うさを感じるんです。アニメという実写映画以上に記号的なものを使って、映画的構造の中で単に風俗映画にしてしまうのはもったいないぞと。作品としてスタイリッシュな分、若者たちが無批判で受け入れてしまう可能性があるわけです。ウラジミール・ナブコフの小説を原作にした『ロリータ』('62)や文化革命を背景にした『小さな中国のお針子』(2002)といった素晴らしい作品があります。映画をつくる人間は、これぐらいの社会的視野を持っていて欲しいんです。その点、奥寺さん脚本の『時かけ』は高校生しか出てこないのが不満なんです。せっかく叔母さんという面白いキャラクターがいるのに、活かしきれてなくもったいない。もっと社会性があってよかったと思います。演出力が優れているだけに残念です



*今回、初めてテレビ番組の書き起こしやってみたんですけど、
これ、めっちゃ大変でした。
人間って喋ってるときは、その場の雰囲気でなんとなしに言いたいことが伝わるもんだけど、それを文に直してみると、かなり意味が伝わりにくい。
前後の文がつながってなかったりすることが多いです。
なので、分かりやすいように、語順を変えたりしてますので、一言一句そのままというわけではないです。
というか、多分、間違って書いてるところもあると思うんで、先にごめんなさい、って言っときます。
その人が言いたいことは、ちゃんと伝えられてるとは思うんですけど。

しかし、そんななか岡田斗司夫はスゴいです。
言ってることをそのまま書くだけで、ちゃんと意味が伝わる文章になる。
文章を書くみたいに、喋ってるヤツだな、と感心しました。
それから、異常にやせてたんで、最初は誰かわからなかったよ。

時をかける少女 限定版

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