物語が終わることを一話まるまる使って表現されると、さすがにクる。
ちょっと泣きそうになった。
しかし、このアニメって最初のほうは、映像はたしかに綺麗だけど、どうも地味な印象だったんで、見続けるかどうか迷ってたんだけど、結局のところ見てよかった。
いや、本当に見てよかった。
久しぶりにちゃんとした物語を見たっていう満足感があった。
そういえば、Yahoo!に一時期、
「日英ファンタジー対決 精霊の守り人対ハリー・ポッター」
なる文字が踊ってた。
結局、これをクリックすることはなかったので、いったい何が書いてあったのか知らないままなのだけど、ハリー・ポッターと精霊の守り人では同じファンタジーとは言っても一点まったく違うところがある。
以下は岡田斗司夫がハリー・ポッターについて書いた文章(かなり昔のものだけど)。
岡田斗司夫の新おたく日記
(前略)
とは言え、実は僕、ETとかタイタニックとか、メガヒット作は大好きだ。売れる作品には駄作はない。さっそくハリー・ポッターを読んでみた。
案の定、おもしろい。どんどん読んでしまう。早く続きが読みたくなる。4巻が出たらすぐ買うだろう。
それでもだ。それでも一億部売れるほどおもしろいとは思えない。
むしろ、ますます「なぜ一億部?」という気持ちは強くなる。
何なの?この、「面白いけど、読み終えた後のあっさり感」は?噛みごたえのなさというか、重みのなさというか・・・
理由は、すぐにわかった。キャラクター設定がめちゃくちゃ単純なのだ。
良い者は、ただ単に良い。悪いものは、ただ単に悪い。
キャラ設定表みたいで、多面性も深みもなければ、変化も成長もない。
単行本一巻から三巻で、主人公は一年生から三年生になる。11歳から13歳という、心も体も目をみはるほど成長する時代だ。
が、主人公のハリー。全然成長していない。行動原理も他人に対する思いやりも、まったく変化ナシ。
スリザリン寮の生徒たちは全員ズルが大好きで、卑怯者ばかり。しかし主人公の所属するギルフィンドール寮の生徒は正しい良い子ばかり。いくらなんでも単純すぎないか?
精霊の守り人には、わかりやすい悪役ってのは一人も登場してこない。
敵味方にわかれて戦うことはあっても、互いが自分の正しいと思うこと、もしくは使命に準じて行動した結果であって、純粋な悪意というものは介在していない。
まあ、それをもって精霊の守り人がハリー・ポッターより上、と主張したりはしないけど。
そもそも、同じファンタジーでもこの二つってまったく異なっているように感じる。
このアニメの魅力というのは色々とあるだろうけど、視る人を惹きつける要素の一つとして、チャグムというキャラクターの存在がある。

この利発で聡明ながらも、子供っぽさを残したキャラクターのおかげで、視聴者は物語に感情移入しやすくなってる。
私は原作小説を読んでいないので、原作との差異を云々語ることはできないんだけど、この人物描写って見事。
序盤の博打のシーンなんて、話として面白いだけでなくチャグムの賢さを上手く表現してたし。
私は誉めるのが極めて苦手なんで、ここらへんにしておきますけど「精霊の守り人は見たほうがいいよ」ってことだけは言っておきたい。
いや、放送が終わってからこんなこと言っても仕方ないんですけど。
だけど、幸いなことに精霊の守り人って11月から再放送してくれるらしいので、すぐ見られます。
しかし、9月に終わったものを11月に再放送って早いな。
あ、それから、このアニメのEDってとても好きだった。
とても美しくて、切なくて。
精霊の守り人オフィシャルサイト
『精霊の守り人』がおもしろすぎて困る件。
『攻殻』から『精霊』へ。神山アニメの変遷。



