2008年09月28日

コードギアスR2 最終回の感想

コードギアス最終回、見終わったんだけど、なかなか感想に困る内容だったかなあと。
まあルルーシュを死なせることによってしか、物語が収拾つかないだろうなとは思ったたけど。あとナナリーの眼が見えないっていう設定は、ただ単に、庇護対象としてのキャラ付けだけではなくて、ギアスが効かない、つまりは物語の枠外におかれているという意味合いもあったんだなあ、といまさらながらに気づいたり。


ところで、ルルーシュが殺される前に、ナナリーやカレンが拘束されてるのがやたらと色っぽかった。
特にナナリー。正直、あそこがこのアニメのなかでナナリー最大の見せ場だったんじゃないかと。
カレンも縛りがいのあるキャラというか、縛られたカレンが最も美しいとすら言えるので、もっとカレンも見たかったかなあ。まあ、中盤で思いっきり縛られてたんで、まあいいけど。


二期の中盤以降はあまりにドタバタが過ぎて、そんなに好きではないんだけど、それでも面白いアニメだったのは確かなんじゃないかと。
なんだかんだで、みんな楽しんでたわけだし。


メインブログの最新記事:シルエットだけでマンガキャラを当ててみるクイズ

2008年01月11日

2007年アニメベストなんとか

サイオンジ探偵社
こっちで書いたものを転載しときます。


精霊の守り人
精霊の守り人 8

アジア的世界を舞台にしたファンタジー。
逃走劇のなかで擬似的な親子関係を築いていくってのがこの作品の本筋。
だけど、その擬似的な親子関係はバルサとチャグムの別れという形でちゃんと終わりを迎える。
いったん築いた親子関係を捨てることで成長を描いてるところが好き。

[参考]
『精霊の守り人』がおもしろすぎて困る件。
『精霊の守り人』の続編はないのですか


DARKER THAN BLACK 黒の契約者
DARKER THAN BLACK-黒の契約者- 1 (通常版)

契約者と呼ばれる異能力者が出てくるアクションもの。
これの好きなところは実はユーモア感覚。
このアニメは味方ですら信用できない、っていう、言ってみればハードボイルドな世界観なんだけど、そのなかで時折はさまれるユーモアってのがかなり好きだった。
今のアニメって共同性を前提とした笑いが多いような気がする。
それは視聴者と作り手のあいだでの共同性である場合もあるし、登場人物間での共同性であったり。
まあ、そういう共同性によりかかった笑いってのも確かにいいもんだし、好きではあるんだけど、この黒の契約者みたいに、共同体の存在にたよらない笑いってのが、もっとあっていいんじゃないかと。
笑いを緊張の緩和と評したのは桂枝雀でしたっけ?
そういうタイプの笑いが多いかなあ、このアニメは。
携帯の着メロが変とかの、どうってことないネタではあるんだけども、それでも緊張感のある場面でそれが出てくるとやっぱり可笑しい。


バッカーノ!
BACCANO!(バッカーノ!) 01

禁酒法時代のアメリカを舞台にしたアクションもの。
アクションシーンのレベルがめっちゃ高かった、これ。
アニメ的な誇張を含んだアクションなんだけど、それにもかかわらず、痛みを感じることができたところも好感。
今まで一回も書いたことがないけど、実は暴力が大好きなんで。
ストーリーは昔の筒井康隆のスラプスティック的な感じで面白かった。
ただ、話の筋がつかみづらいところはあったかな。
だけど、それも最後まで見ればちゃんとわかるし。


ぽてまよ
ぽてまよ 6

ある日、突然あらわれた「ぽてまよ」という謎の生き物との日常を描いたアニメ。
言葉を持たず、「かわいい」や「萌え」の記号を組み合わせただけで作られているこの奇妙な生物を「かわいい」と思ったし、また「萌え」られたのが自分でも不思議だったので入れてみた。
どうも新しい感覚を発見したような気がする。
何を発見したのかは、皆目見当がつかないけど。

[参考]
この変なハマり具合は一体なんなんだ……『ぽてまよ』の魅力に迫ってみる
「ぽてまよ」の海外反響


瀬戸の花嫁
瀬戸の花嫁 三

ラブコメ。
特筆すべきところはあまりないんだけど、面白かったので。


コードギアス 反逆のルルーシュ
コードギアス 反逆のルルーシュ 1

ロボットアニメ。
グレンラガンもそうなんだけど「あえてやりきってみせる」感が印象的。
去年、見たロボットアニメがエウレカセブンとゼーガペインだったので余計そう思うのかもしれないけど、深いところを志向せずあくまで浅いところにとどまる態度ってのが面白かった。
後半ルルーシュが「合衆国日本」を建国宣言したのは、見ていて思いっくそ恥ずかしかったんだけど「まあ、いいか、コードギアスだし」と諦めがついたくらい。
だけど、あそこはユフィが死ぬっていう盛り上がりどころだったから、「合衆国日本」すらなければ、もっと感情移入できたんだけどなあ。残念。


ef - a tale of memories.
ef - a tale of memories.3

恋愛もの。
efに関しては、もう書いちゃったんで、特に書くべきこともないんだけど、とりあえず11話はよかった。
「ゴミを捨てた」にはかなりビビった。
このアニメが他者を描けているかどうかというのはよくわからないけど、それでもとりあえず他者の持つざらっとした手触りがあるのは確かだと思う。

[参考]
総論。アニメ『ef - a tale of memories.』とは何だったのか?


ってことで、数えてみたら7つでした。
なので、ベスト7ってことですかね。
ベスト7・・・・・、今まで聞いたことない言葉ですけど。
だけど、なんか、カッコいいからいいか。

ついでに書いておくと、2007年の個人的最萌えキャラはグレンラガンのニアです。
いや、ヨーコでもいいんだけど、ヨーコは成長すると乳がデカくなりすぎて、ちょっと気持ち悪かったりしたので、そこで減点。

*なんか忘れてると思ったら、電脳コイルとカイジ忘れてました。
だからベスト9ってことですかね。はい。



2007年12月06日

CLANNADが善意で出来ているとすると、ef - a tale of memories.は悪意で出来ている

作画崩壊って単純には表現できない感情を何とか表現しようとした果てでもあるよね

ずいぶんと前の記事だけど、これは素晴らしかった。

なのはの『作画崩壊』の話から、ギャルゲー的なキャラは造形上から表情が乏しいということが書かれている。
私は絵を描ける人間ではないので、こういう視点がとても斬新で面白かったです。
もし読んでない人がいたらぜひ。

で、このなかの一節にこういうことが書かれている。

思うにいわゆる神作画というのは、これまで「アニメの女性キャラの作画で、普段と違って情報量の多い作画の時に使われた言葉」とか、「キャラ表から外れないで動作が丁寧な作画」みたいなニュアンスで使われてきたけど(作画オタの人が言う神作画についてはここでは触れない)、それに加えて「手塚治虫の言うマンガ記号論的な喜怒哀楽の表情から外れない程度に、情報量が多くて丁寧な作画」という側面があるのではないか、と。


手塚治虫のマンガ記号論っていうのは、目や口といった絵を記号のようなものとみなし、その記号の組み合わせで自分の絵が出来上がっている、つまり自分の描いてるマンガは象形文字のようなものではないか、と手塚が語っていた例のアレ。

手塚治虫は自分のマンガを記号の組み合わせで出来ていると(自嘲的にか)みなしていたようだけれども、すべてのマンガ表現が記号的であるとは私には思えない。
たとえば、小畑健や井上雄彦の絵が記号の組み合わせで出来ているのだろうか。

もちろん、見る人が見れば「アレも記号の組み合わせで出来てるんだよ」ということになるのかもしれないけど、とりあえず、私の目にはそう見えない。

一口にマンガと言っても、記号の組み合わせで出来ている度合いってのは、その漫画家によってかなり違ってるように思う。
たとえば、記号の組み合わせの度合いが高いのはケロロ軍曹とか。
アレなんかはまさに記号の組み合わせで感情を表現してるわけだし。

マンガの話はとりあえず、ここではおいておくことにして、ギャルゲーの話。
記号の組み合わせで出来てると言えば、ギャルゲーのキャラってまさにそうだよなあ、ってことをこの記事を読んでて思った。

ギャルゲーをやってるとき、自分は文章を読むのが面倒くさくて、ついついスキップ機能を使ってしまうんだけど、スキップしながらギャルゲーのキャラを見てると「福笑い」を見てるような感覚に陥ることがある。
同じ輪郭のなかで、眉をひそめたり、目をしかめてみせることで感情を視覚的に表現してる。
まさに手塚治虫の記号論と同じ原理でギャルゲーの視覚表現は成り立っている。

また、ギャルゲーは、普通のとき、怒ったとき、悲しいときなどの感情に対応した立ち絵を何種類か作って、それを適宜に出すことによって、キャラの感情を表わすわけだけども、これなんかは感情の記号化とでも呼べるんではなかろうか。

もちろん、ギャルゲーにおける感情表現というのは、視覚的なものに限られたわけじゃない。
文章によって表わすこともできるし、または声がついていれば、声優の演技によっても感情を表現することができる。
だから、ギャルゲーが感情の表現として稚拙なメディアだというつもりはないけれども、こと視覚的な部分に限ってみれば、かなり感情表現が限定されているということは確かだと思う。

で、ここからが本題。

今期のギャルゲー原作のアニメ、CLANNADとef - a tale of memories.。

B000WQ6IXUCLANNAD 2 (初回限定版)
神田朱未 桑島法子 能登麻美子
ポニーキャニオン 2008-01-16

by G-Tools


B000X431E0ef - a tale of memories. 2
やなせなつみ 岡田純子 田口宏子
ジェネオン エンタテインメント 2008-01-11

by G-Tools


この二つのアニメのキャラに対する態度というか姿勢がまったく異なっているのが個人的に面白かった。
原作ゲームはどっちも未プレイなんで、これはアニメだけを見た感想。

まずはCLANNAD。

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CLANNADはキャラの表情がとても豊かに描かれているように感じる。
きわめて記号的なキャラにもかかわらず。

これは京アニという会社がこうした記号の組み合わせに習熟してるということもあるだろうし、また表情以外のところで感情を表現してることもあるかもしれない。
たとえば、キャラの動きや仕草とか。

京アニのCLANNAD観察眼

これを読むと原作ゲームをやった人の脳裏に浮かんだキャラの動きや仕草に違和感がないように作られてるらしい、CLANNADって。

こういう部分での信頼感があるから、前記した記事にあったように、観鈴の顔を崩したり、ハルヒの顔を崩したりという、キャラの記号の組み合わせを崩す行為に対してもちゃんと支持が得られるらしい。

京アニのキャラに対する姿勢ってのは愛情であり善意だ。
どれだけ活き活きとキャラを動かすことができるか、そこに情熱が傾けられている。


ef - a tale of memories.

これはCLANNADに比べれば、表情が乏しい。
キャラの動きにもそうこだわっている節はない。

しかも、このアニメのなかでキャラは様々に変形される。

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影絵にされたり、切り刻まれたり。
このアニメのなかでは、感情を表現するのに、こんなふうにキャラを変形させることで、そのキャラを見ている人物の内面描写がされていることが多い。

CLANNADのキャラに対する姿勢が全き善意だとしたら、ef - a tale of memories.にあるのは悪意だ。

悪意という言葉が悪いとしたら批評性とでも言っていい。

キャラなんて所詮は記号の組み合わせに過ぎないとでもいうような醒めた意識がなければ、こういう絵にはならないだろうと思う。

それが端的に表れているのがOP。

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ここでは、それぞれのキャラが影絵で示された後、崩壊していく様が描かれている。
キャラ自体も記号に過ぎず、それはいつでも壊すことが可能であるという感覚。
ここにあるのは、そんな暴力的な批評性だ。

CLANNADに比べると、たぶんef - a tale of memories.のほうが、萌えという感情を喚起する力は弱い。
それも圧倒的に弱いと思う。
キャラの表情を崩すといったレベルではなくて、キャラ自体を崩してみせているんだから、それも当然だろう。

作り手の側がキャラ自体を記号にすぎないと思っているのかどうか、それはわからない。
作中で京介という映研部員が
「オレはただ斬新な画が撮りたいだけなんだよ!」
みたいなことを言うシーンが何回かあるんだけど、ただ単に斬新な画が描きたいだけなのかもしれない。
だけど、とりあえず自分はこれを悪意だと受け取ったし、また批評性だと思った。

そして、そうであるがゆえにef - a tale of memories.は面白いと思う。
なぜなら、アニメやギャルゲーに含まれる「萌え」を虚仮にしてるような痛快さがあるからだ。

そういえば、手塚治虫もこのアニメと同じように、キャラを影絵にしたりとか、図像の一つとして扱っていたような記憶があるんだけど、そういうところで通底した感覚があるのかもしれないなあ。
キャラは記号に過ぎないという醒めた感覚と、またそうであるがゆえに遊びを入れられる度量みたいなもんが。

前述したように、私はこのゲームをやってないんで原作に対する批評性ってのがどれほどのもんなのかよくわからないんだけど、

ゲーム中のイラストは、他のアドベンチャーゲームに多く見られる立ち絵をベースとするのではなく、イベント画を多用し、ヒロイン分岐を無くすことによりプレイヤーにゲームを攻略させるのではなく、鑑賞させることに重点を置いている。(Wikipedia)


これや、

『ef - a tale of memories.』が面白い!〜アニメにおける「わかりやすさ」の探求〜

僕がminoriの作品で他に知っているのは『Wind -a breath of heart-』くらいなので、あまり詳しいことはわかりませんが、エロゲの欺瞞に対して自覚的なエロゲメーカであることは間違いありません。


これなんかを読むとこうした批評性ってのはもともと原作ゲームに組み込まれていたものなのかもしれない。

とりあえず、ef - a tale of memories.は面白い。
このアニメを見始めたのは日本のアニメは本当に世界一か?さんと tukinohaの絶対ブログ領域さんで絶賛されてたからなんだけど、面白いアニメを教えてもらえて感謝。

[関連記事]
これはスゴイ!『ef-a tale of memories.』第7話が大変な領域に足を踏み入れて来た

*今、ブログ引っ越そうかと思って、FC2で作ってる最中です。
サイオンジ探偵社

ブログ名も変えてみました。
元が元だけに思いっくそカッコ悪いままですけど。

過去記事もいくつか移すつもり。
移すと言っても、移してもいいかと思えた記事が10個ぐらいしかないんですけど。
情けな。

当分はミラーサイトみたいな感じになりますが、そのうち、引っ越すつもりなんで、ブックマークされてる方はご面倒おかけしますが、こっちへ付け替えていただくと幸いです。



2007年12月03日

「恋空」っていうケータイ小説を読んでみたんだけど・・・・・

・・・・・・・・な、なんだ、コレ?






色々と悪口なんで折りたたみ

2007年11月02日

銀魂の制作費って○○○○の半分以下だったんだ・・・・

銀魂のウンコ回が面白かった。


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ウンコだらけの回。
見せ方が上手いなー。
そういえば、ここらへんってマンガで読んでないところだから、やたらに新鮮。

しかし、銀魂って放送開始が2006年の4月だから、もう1年半たっているのか。

最初のころは、やたらにスベってる印象があったアニメ銀魂だけど、何ヶ月か放映していくうちにこなれてきた印象がある
力がいい具合に抜けてペースを上手くつかめるようになったというか。

たとえば、銀魂の特徴の一つとして新八のツッコミが長文、というのがある。

「そんなの勝新と沢尻エリカを金網デスマッチさせるようなものじゃないかっ!」
  ↑こんなの。

こういうのってマンガだと、一瞬にしてそのフキダシが目に入るから、テンポが悪いようには思わないけれども、アニメだとちょっとマズい。
これを全て発語しなきゃいけないわけだから、テンポがずれてしまう。
たぶん、漫才師でもこういう長いツッコミというのはなかなか難しいはず。

初期の銀魂が妙に冗長に感じていたのは、ここらへんの問題もあったのかもしれない。
だけど、今はそういう冗長な感じっていうのはあまりない。
これは声優さんが上手くなったのか、カット割とかの工夫なのか、それとも見てるこっちが慣れただけなのか、それはよくわからんけど。

ところでウンコ回の数話前に総集編をやっていたのだけれど、冒頭でこんなやりとりがあった。


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新八:実は半年分の制作費を前回で使い切っちゃったらしくて。

神楽:何だとォ!使い込みアルか?それともグリーンピアでも建てたアルか、この野郎ォ。

新八:建てるか、そんなもの!・・・・まあね、スタッフがちょっと頑張っちゃったら予算オーバーしちゃったらしくて。

銀時:しょうがねぇなァ。まあ、制作費カツカツだしなぁ。

神楽:もっと予算くれよ、この野郎!

銀時:せめて、○○○○○の半分でいいからくれよ、サンライズぅ。

新八:どさくさにまぎれて何言ってんの?!


そっか。
銀魂の制作費ってガンダム00の半分以下なのか・・・・。

いや、ガンダム00とは断言できないわけだけど、まあガンダム00だろうなあ、これ。

一話あたり、ガンダムSEEDが2500万円、SEED DESTINYが3300万円の制作費っていうデータがネットにあったけれども、これから推定するにガンダム00の制作費ってたぶん3000万円前後?
まあ、あの戦闘シーンとかを見ると、それくらいはかかっていて当たり前のような気はする。

すると、銀魂の制作費は1000万円前後ってことか。
まあ、そんなところか。
ワンピースが1000万円くらいなわけだから。
(これはワンピのプロデューサーがこう発言していたので確かなソース)

ちょっと話はずれるけれども、以前、アニメの制作費の記事を書いたときに、
「制作費という言葉が曖昧だから、何を計上するかによって数字は変わってくるんじゃないか」
というご指摘を受けたのだけれど、確かに制作費というのはかなり曖昧なものなのかもしれない。

たとえば、ガンダム00の制作費に竹田プロデューサーの給料を計上するのかどうか、で数字は変わってくるからなあ。
いや、多分、計上はしてないだろうけど、それは。
アニメの制作って色々な会社が関わってるから、厳密な意味で制作費というのは出ないのかもしれない。
あくまで大雑把な数字でしかないってことかも。

これはあくまで自分の主観によるものだけど、ためしにサンライズ作品のアニメで制作費の多そうな順に並べてみた。
基準は見た目、ただそれだけ。

ガンダム00>コードギアス>アイドルマスター>ゼーガペイン>銀魂=ケロロ軍曹

見た印象からだとこんな感じかな。
当たってるか当たってないか、それは知りません。
まあ、ガンダム、コードギアスまでなら当たってるとは思うけど。


それから、また話はズレるのだけれども、銀魂のED。

gintama008.jpggintama009.jpg


このEDは、こんな感じで男キャラの上半身裸映像がえんえん続くという、ある特定の層を狙い撃ちにしたものなのだけれども、自分は確実にその特定の層に入っていないので、なんだか置いてけぼり喰らった気分になる。

男の人はぜひ一度見てみるといいと思うよ。
凄まじい疎外感を感じるから。

[追記]
そういえば、この銀魂EDでは男の乳首が描かれていない。

私は男なのでよくわからないのだけれど、女の人って「男キャラの乳首が描かれていない」ほうがいいのだろうか?

男の場合、TO LOVEるの乳首が描かれているかどうかで大騒ぎしたりする。
つまり、乳首が描かれていたほうが断然嬉しいわけだけど、女の人はどうなのだろう?

乳首が描かれていたほうが嬉しいのか、乳首が描かれていないほうが嬉しいのか、それとも、そんなのどうでもよく、乳首に特段のこだわりは持っていないのか?

そこらへんが疑問。

しかし、こんなことがわざわざ[追記]に書き込むほどの重大事なのか、そっちのほうがずっと疑問なわけだけど。


B000UVXLQE銀魂 シーズン其ノ弐 04
杉田 智和.釘宮 理恵 高松 信司
アニプレックス 2007-10-24

by G-Tools





タグ:銀魂

2007年09月29日

精霊の守り人が終わった・・・・

ストーリーのクライマックスは前回で終わっていたんで、最終回はこの物語の「終わり」のみを描いたものだった。

物語が終わることを一話まるまる使って表現されると、さすがにクる。
ちょっと泣きそうになった。

しかし、このアニメって最初のほうは、映像はたしかに綺麗だけど、どうも地味な印象だったんで、見続けるかどうか迷ってたんだけど、結局のところ見てよかった。
いや、本当に見てよかった。
久しぶりにちゃんとした物語を見たっていう満足感があった。

そういえば、Yahoo!に一時期、
「日英ファンタジー対決 精霊の守り人対ハリー・ポッター」
なる文字が踊ってた。

結局、これをクリックすることはなかったので、いったい何が書いてあったのか知らないままなのだけど、ハリー・ポッターと精霊の守り人では同じファンタジーとは言っても一点まったく違うところがある。

以下は岡田斗司夫がハリー・ポッターについて書いた文章(かなり昔のものだけど)。

岡田斗司夫の新おたく日記

(前略)
とは言え、実は僕、ETとかタイタニックとか、メガヒット作は大好きだ。売れる作品には駄作はない。さっそくハリー・ポッターを読んでみた。
 案の定、おもしろい。どんどん読んでしまう。早く続きが読みたくなる。4巻が出たらすぐ買うだろう。
 それでもだ。それでも一億部売れるほどおもしろいとは思えない。
 むしろ、ますます「なぜ一億部?」という気持ちは強くなる。
 何なの?この、「面白いけど、読み終えた後のあっさり感」は?噛みごたえのなさというか、重みのなさというか・・・
 理由は、すぐにわかった。キャラクター設定がめちゃくちゃ単純なのだ。
 良い者は、ただ単に良い。悪いものは、ただ単に悪い。
 キャラ設定表みたいで、多面性も深みもなければ、変化も成長もない。
 単行本一巻から三巻で、主人公は一年生から三年生になる。11歳から13歳という、心も体も目をみはるほど成長する時代だ。
 が、主人公のハリー。全然成長していない。行動原理も他人に対する思いやりも、まったく変化ナシ。
 スリザリン寮の生徒たちは全員ズルが大好きで、卑怯者ばかり。しかし主人公の所属するギルフィンドール寮の生徒は正しい良い子ばかり。いくらなんでも単純すぎないか?


精霊の守り人には、わかりやすい悪役ってのは一人も登場してこない。
敵味方にわかれて戦うことはあっても、互いが自分の正しいと思うこと、もしくは使命に準じて行動した結果であって、純粋な悪意というものは介在していない。
まあ、それをもって精霊の守り人がハリー・ポッターより上、と主張したりはしないけど。
そもそも、同じファンタジーでもこの二つってまったく異なっているように感じる。

このアニメの魅力というのは色々とあるだろうけど、視る人を惹きつける要素の一つとして、チャグムというキャラクターの存在がある。

seireinomori.jpg

この利発で聡明ながらも、子供っぽさを残したキャラクターのおかげで、視聴者は物語に感情移入しやすくなってる。
私は原作小説を読んでいないので、原作との差異を云々語ることはできないんだけど、この人物描写って見事。
序盤の博打のシーンなんて、話として面白いだけでなくチャグムの賢さを上手く表現してたし。

私は誉めるのが極めて苦手なんで、ここらへんにしておきますけど「精霊の守り人は見たほうがいいよ」ってことだけは言っておきたい。
いや、放送が終わってからこんなこと言っても仕方ないんですけど。

だけど、幸いなことに精霊の守り人って11月から再放送してくれるらしいので、すぐ見られます。
しかし、9月に終わったものを11月に再放送って早いな。

あ、それから、このアニメのEDってとても好きだった。
とても美しくて、切なくて。


精霊の守り人オフィシャルサイト

『精霊の守り人』がおもしろすぎて困る件。
『攻殻』から『精霊』へ。神山アニメの変遷。

精霊の守り人 3

精霊の守り人 4


2007年09月06日

あるアニメキャラがずっと同じ服装だったのでとんでもない勘違いをしたっていう話ーNHKにようこそ!

海外アニメファンの疑問「アニメのキャラっていつも同じ服だよね」お茶妖精

これを読んで、そういえば昔、アニメキャラがずっと同じ服を着ていたために、すさまじい勘違いをしたことがあったな、ってことを思い出した。

実は、この勘違い話はかなり以前に一度書いていたりするのだけれど、改めて読み返してみたら、なんか恥ずかしかった。
とても恥ずかしかった。

昔、書いたものを読み直すといつも羞恥心に襲われるのはこれ不思議。
答え:いつも恥ずかしい文章書いてるせい。

過去の文章を紹介すると恥ずかしいってのと、それからちょっと付け加えたいことがあったんで、もう一回書いてみます。


これはNHKにようこそというアニメを見ていたときの話。

N・H・Kにようこそ! ネガティブパック<オリジナル無修正版> 第6巻

まず最初に言っておくと私はこのアニメの事前情報をほとんど知らなかった。
知っていたのは小説が原作で引きこもりが主人公だということくらい。
だから、ストーリーがどう展開していくのかまったくわからない状態だった。
視聴していたのがそういう状態だったってことは留意していただきたい。

ここで簡単にこのアニメのストーリーを説明しておく。

佐藤という引きこもりの青年の前にある時、中原岬という謎の美少女が現れる。
どういうわけか岬は佐藤を引きこもりから救い出そうとして色々世話を焼くが・・・・。


こんな感じで序盤は展開していく。

この中原岬はアニメの序盤でいつも同じ服を着ていた。
黒と黄色のロンT。

misaki.jpg

男の佐藤(しかも引きこもり)ですら、服を代えていたりするのに、この中原岬はいつも一緒の服。
正確に言えば、最初の登場シーンでの服装は違っていたりするんだけど、それ以外ではいつもこの格好をしていた。

年頃の女の子がいつも同じ服装ってのは明らかに不自然。

で、私はこう思った。

「ははーん、これは何かの伏線だな」と。

考えてみればこのアニメは「引きこもりの前にある日突然、美少女がやってくる」という現実ではまずありえない話なのだ。

そして、このアニメの序盤では中原岬が喋るのは佐藤だけだった。
佐藤の隣人である山崎と中原岬が会話するシーンはない。

そして、もう一つ付け加えると、佐藤は引きこもりが嵩じてありえない妄想にふけるシーンが最初にあったりする。


さて、こうした要素から、このアニメのこれからのストーリーを推理してみよう。
(NHKにようこそのストーリーを知っている人はたくさんいるだろうけど、ここは視聴当時の私になったつもりで考えてください)

1中原岬はいつも同じ服を着ている。

2中原岬は佐藤以外の人間と会話するシーンがない。

3佐藤はよく妄想している。



これらの要素から導き出される結論はただ一つ。

中原岬という美少女は佐藤の頭のなかにしか存在しない少女だ、ということである。

つまり、佐藤は妄想のなかで中原岬という自分にとって都合のいい美少女を作り上げてしまったのであり、中原岬は現実には存在していない。
だから、服装も変わらないのだし、佐藤以外の人間(たとえば山崎)と会話したりもしないのである。

ビューティフル・マインドという映画がある。
この映画は実在の天才数学者、ジョン・ナッシュの半生をもとにしている。

ビューティフル・マインド

この映画もまた、私は予備知識なしで見ていた。

このジョン・ナッシュという人は統合失調症を患ってしまうのだけれど、映画のなかではその発症する過程が描かれている。
映画だけあって、実際の統合失調症とはかけはなれている描写らしいのだけれど、予備知識(ジョン・ナッシュが統合失調症にかかったこと)なしにこの映画を見ていると、映画のなかで起こっていることが主人公の妄想なのか現実なのか、最初のほうはよくわからない。
たとえば、CIA(だったと思う)から、ジョン・ナッシュは暗号解読の仕事を引き受けるのだけど、これが現実なのか妄想なのかわからない。

どっちが現実なのだろう、って混乱する。
そういう効果を狙って、この映画は作られているんだと思うのだが、NHKにようこそもそうしたタイプのストーリーなのだな、と私は推理したのである。

つまり、NHKにようこそというこのアニメは佐藤の妄想を描いているのだと。

そして、そういうストーリーなのだと思ってこのアニメを見ると、これがとんでもなく切ない。

何気ないシーンでも心に響く。胸を打つ。

一緒に歩いて会話している、その相手が幻でしかないのだから。

udekumi1.jpg
「ねえ、佐藤くん、腕組んでみよっか」

udekumi2.jpg
この、ぷにゅっとした感触は!!!

udekumi3.jpg


腕組みをしてみたら彼女の胸がヒジに当たってドギマギする、っていうなんてことはないシーン。
しかし、岬ちゃんが佐藤の妄想にしかすぎないのだと思うと、このありふれたシーンが切実に悲しい。

おそらく、このアニメのエンディングは中原岬が佐藤の妄想であることが明らかになって終わるのだろう。

それを想うとそれだけで泣けてくる。
楽しかった岬ちゃんとの日々。
しかし、それは自分の作り出した妄想でしかなかった。
その事実にやっと気づく佐藤。
驚愕、悲嘆。
そして今まで立っていた地面が崩れていくような絶望感。

このエンディングの悲しさってのは半端無い。

こんな感じで、このアニメの序盤、私は自分勝手にエンディングまで想像して、涙をこらえながら見ていたのである。

が、ご存知の通り実際のストーリーはこんなじゃない。


中原岬は実在する!

中原岬は実在する!

中原岬は実在する!


そう、岬ちゃんは実在してた。

ある程度、話数が経過してみると中原岬が山崎と話をするシーンも出てくるし、違う服を着て登場してきたりする。

つまり、岬ちゃんは佐藤の妄想の産物なんかではなく、ちゃんとした人間らしい(ちゃんとした人間っていう表現もどうかと思うが)。
しっかりと中原岬は実在してるらしいのだ。

なんなんだよ、一体。

「岬ちゃん=妄想」説に流した私の涙を返してほしい。

まあ、それは勝手にこっちが妄想してただけだけどさ。
だけど、本当に悲しいお話だったのだ、妄想版「NHKにようこそ」は。


・・・・・・と、このようにアニメキャラが同じ服を着ていたために思いっきり勘違いしたことがあった。

ところで、このNHKにようこそというアニメはとても面白かった。
後半、作画が崩れて酷かったりはしたけれど私は大好きだった、このアニメ。

なので、それから原作の小説を読んでみた。

NHKにようこそ! (角川文庫)


感想を言うと、これも面白かった。

最近、自分の誉め言葉のボキャブラリーに「面白い」と「スゴい」しかストックされてないことがわかって愕然としてたりするんだけど、一言でいえばこの小説はスゴく面白かった。

そして、小説を読んでみてわかったのは、アニメを見ていて私が思いっきり勘違いしたのもちゃんとした理由があるんだなってこと。

というのも、この小説って私小説の要素とライトノベルの要素を合体させて作られているのだ。

佐藤という主人公が引きこもりで将来に何の希望も持てずにいる、っていうところは私小説的な部分。
アニメでは描かれなかったけれど、小説のなかでは佐藤がクスリをやるシーンなんかもあったりする。
ここらへんも私小説っぽい。

で、岬ちゃんという美少女がある日、突然、主人公の前に現れるっていうのはライトノベル的な部分。
ライトノベルで、いきなり非日常的な美少女が現れるっていう展開はありふれてるし。

そして、私小説とライトノベルでは「人間観」みたいなものが違う。

私小説で、「彼女はずっと同じ服を着ている」なんていう描写があれば、それは貧乏であるか汚ギャルであるかのどっちかだが、ライトノベル的な世界ではずっと同じ服を着ていてもさほど不思議じゃない。
そういえば、シャナは炎で浄化されるから風呂に入る必要もないし、服を着替える必要もない、ってな描写があったような気がする(うろ覚えだけど)。

この人間観についてもう少し付け加えると、私小説で
「憧れてた女と性交してたら、彼女が風呂に入らない女で体臭がキツく幻滅した」
ということを書くのは全然アリだ。
実際、こんな陳腐なことを書くかどうかという選択肢はあるけれども、とりあえず、こういうことを書くのに支障はない。

だけど、ライトノベルで
「憧れてたシャナと性交したら、思いのほか体臭がキツく幻滅した」
と書くことはありえない。
というか、そもそも「シャナと性交」っていう時点でアウトなわけだが。

さて、アニメのNHKにようこそに話を戻す。

既に述べたように私はこのアニメについての事前情報をほとんど持っていなかった。
そして、一話目を見たら、最初のほうで引きこもりの佐藤の妄想話がえんえんと繰り広げられていた。

たぶん、ここで混乱したのだ。
「このアニメはひょっとして私小説的なアニメなのか」って。

私小説的なアニメなんていままで私は見たことがない。
私小説的なマンガなら知ってるけど。

しかし、主人公が引きこもりってことは私小説的な展開があってもおかしくはないだろう。

次に謎の美少女、岬ちゃんが登場してきて、しかも彼女は服を替えないというライトノベル的な存在。

そのちぐはぐさに「中原岬は佐藤の作り出した妄想」という”私の妄想”が始まってしまったのだと思う。

実際は私小説とライトノベルの合体技であって、それに私の脳みそがついていかなかった、ってだけの話なんだけども。

ついでに書いておくとこの作品は、ライトノベル的存在として現れた中原岬に実は私小説的な内面が隠されていた、というストーリー展開で終わっている。
つまり中原岬も佐藤と同じ私小説的な存在である、っていう結論になっている。

*小説のなかで、中原岬はファッションに金をかけない、という描写があったので、アニメでずっと同じ服を着ていたのは、それを表現したものかもしれない。
だけど、ファッションに金をかけないってのと、ずっと同じ服を着てるってのはぜんぜん違うと思うけどなあ。
私も服に金をかけるほうじゃないけど、さすがにずっと同じ服を着てたりはしないし。

それからNHKにようこそのアニメDVDのジャケ写って、実際の作品と思いっきりイメージがずれてないか?

N・H・Kにようこそ! ネガティブパック<オリジナル無修正版> 第10巻

N・H・Kにようこそ! ネガティブパック<オリジナル無修正版> 第3巻

N・H・Kにようこそ! ネガティブパック<オリジナル無修正版> 第4巻

N・H・Kにようこそ! ネガティブパック<オリジナル無修正版> 第7巻

いや、何を狙ってるのかは分かりますよ。

わかりすぎるほどよくわかる。
けど、実際の作品のイメージとはぜんぜん合ってないんだけど。
恐ろしいくらい合ってないんだけど。

[つけたし]
勘違いだと思ったら実は超鋭い洞察だった話

猫は勘定にいれませんさんがこれに関連して書いてくれた文章。
滝本竜彦氏には脳内彼女と会話する内容の小説があるそうです。
私はこの超人計画っていう小説を知らなかったので(タイトルだけは知っていた)とても参考になりました。
どうもです。

2007年08月03日

桜蘭高校ホスト部の美醜基準は変だと思う

考察:美少女作品が美少女ばかりな理由

このやまなしなひびさんの記事のなかでは、なぜ美少女ばかりがフィクションのなかに出てくるのかについて、いろいろと考察されてます。
その考察については、リンク元に行って読んでいただくことにして、この記事を読んでいたら、ふと、昔、感じたことを思い出したんで、今日はそれについて書こうかと。

ところで、このブログを読んでいただいてる方の90%以上は、アニオタだろうと思います。
残りの10%は、「巨乳」とか、「おっぱい」とかの検索ワードここに辿りつく人なんでしょうけど、そういう人は、ここに来てから10秒くらいで他に行っちゃうみたいなので、あまり意味ないし。

しかし、「おっぱい」とか「巨乳」と単独で検索エンジンに打ち込む人って、いったい何の情報を求めてるんだろう?
もちろん、「おっぱい」「巨乳」の情報を求めてるのは分かるけど、普通、
「おっぱい 画像」とか
「巨乳 動画」とか組み合わせるもんじゃないのかな。
とりあえず、私だったら、そうしますけど。

まあ、そんなエロ検索における、複合語の是非なんてことはどうでもいい話で、とにかく、このブログを読んでいただいてるのはアニオタの皆さんばかり、ということは多分間違いない。

実は、今回の記事は非アニオタの人に読んでもらいたいんだよなあ。
「フェイト」という言葉を聞いても、「fate/stay night」も「フェイト・テスタロッサ」も想起しないような、一般人に読んでもらいたかったりするんですよ。

なぜかっていうと、アニオタだと「桜蘭高校ホスト部」のことを知っているに違いないから。
実際に、マンガを読んだり、アニメを見たことはなくても、「ホスト部」のヒロインがだれか、ってことは知ってたりするでしょうし、アニオタだと。

そういう、既に「ホスト部」に対するイメージがある人じゃなくて、「ホスト部」のことをぜんぜん知らない人に向けて書きたいな、とか思ってたりするんですけど、実際に一般人がこのブログを読むなんてことは、まずありえないので、それが困った。

困ってばかりいても仕方ないので、とりあえず、今回の記事は、ホスト部を知らない人に向けて書いている、という態で書きますんで、そこんとこよろしくお願いします。


[気を取り直して]
さて、一般人のみなさん、こんばんは。

「青空」を聴いても泣き出したりしないし、語尾に「あぅーっ」をつける女がいたら即座にグーパンチ食らわせたくなる、そんな一般人のみなさんに質問。
次の3人は桜蘭高校ホスト部に出てくるキャラなのですが、このなかでいちばん可愛いのは誰でしょう?

@倉賀野 百華
kurakano.jpg


A藤岡ハルヒ
haruhi.jpg


B宝積寺 れんげ
renge.jpg


人の審美眼というのは、それぞれなんで、一概にはいえないけど、とりあえず、私が一般人になった気持ちで答えると(なんじゃ、そりゃ)、@の倉賀野 百華がいちばん可愛いと思う。
とても愛らしい。

Aの藤岡ハルヒはいくらなんでも目が大きすぎる。
西川きよしみたいなギョロ目。
顔と目のバランスがありえない。

Bの宝積寺 れんげ。
なんかどうでもいい。

おそらく、おそらくだけども、この画像だけ見れば、一般人はこんなふうに感じるんじゃないか、と思う。
@ABは、実は私が可愛いと思う順に並べてみたもんなんだけど。

しかし、アニオタの皆さんはご存知のように桜蘭高校ホスト部、という作品のなかのヒロインはAの藤岡ハルヒである。

@倉賀野 百華とB宝積寺 れんげは脇役。
れんげはアニメでこそ、登場回数はかなり多いが、マンガだとあまり出番がない。

@の倉賀野さん。
実は私は彼女のことが大好きで、アニメを見てるとき「早く彼女が出ないかなー」と心待ちにしてたりしたんだけど、彼女はれんげよりも遥かに脇役キャラ。
そもそも、アニメのなかでは彼女の名前が出てくるのって一回くらいのもん。
倉賀野さんは男装したハルヒのファンということになっていて、それなりに出番はあったりするんだけど、大勢いるファンの一人でしかなくて、個体認識すらまともにされない。
その気になって見れば、結構出てるんだけどね、彼女。

そもそも、ホスト部のなかでAの藤岡ハルヒというのは、絶対的なヒロインである。
昔の一人スター制をしいていた親日におけるアントニオ猪木のような存在なんである。

周りの男たちから「可愛い、可愛い」といわれるのは常にハルヒ一人。
他の女の子というのは、あってなきが如し。
逆ハーレム状態。

だけど、既に書いたように、ハルヒって絵だけ見ると決して可愛くないと思うのだ。
もちろん、人それぞれの審美眼ってのがあるから、あくまで、これは私個人の感じ方なんだけど。
しかし、私の感じ方っていうのは、そんなにずれてはいないとは思う。

こんなことを書くと、私が藤岡ハルヒというキャラのことが嫌いなのか、と思われそうだけど、実は大好き。
涼宮ハルヒよりも藤岡ハルヒのほうがずっと好きだったりする。
ハルヒのキャラは好きなんだけど、画像だけ取り出して見るとやっぱ可愛くはない。

実はやまなしなひびさん書いた文のなかに、こういう一文がある。

眼が大きくて、鼻が小さくて、色が白くて、スリムで、でもおっぱいはあって―――とヒロインが出来たとしても、作品の中でこのコ一人が眼が異様に大きいというのも不思議な話です。なので、周りのキャラもある程度近付けて……とやっていくと、美少女インフレの出来上がり。誰が可愛くて、誰が可愛くないのか、よく分からない世界になってしまいます。

「作品の中でこのコ一人が眼が異様に大きい」作品ってのが、実はあって、それがこの桜蘭高校ホスト部なんですよ。

やまなしなひびさんは、そんなのは不思議(不自然)と書いておられるけど、たしかに、この桜蘭高校ホスト部のハルヒは不自然だと思う。
実際に、このマンガ、アニメを見ると、そんなに気にならなかったりはするんだけど、あえて距離を置いてみると、すんごく不自然。

たしか、マンガの最初のほうで、ホスト部の作者である葉鳥ビスコがこんなことを書いてた。

「ハルヒを可愛く書こうと思ったら、どんどん目が大きくなっちゃった」

一般的に言って「目が大きい」っていうのは、可愛いことの条件とされていることは確かだけど、それをマンガの中でやっちゃったら不自然なことになってしまった、ってことなんじゃないだろうか。
ハルヒの目を大きくするより、他のキャラの目を小さくしたほうがよかったんじゃないか、って気がするけども。

*ホスト部のほかにも美醜の基準が変だと思うのがあって、たとえばスクランとか。
スクランのなかで、一番もてるとされているのは八雲なわけだけど、八雲って可愛いか?
ちょっと吊り目すぎる、と思うんだけど。

私は八雲のことはあまり可愛いと思えないんだけど、実は八雲もキャラとしてはかなり好きだったりして。
スクランだと、八雲か沢近かなー?
好きなのは。

*書き終えたあとで気づいたんだけど、これってやまなしなひびさんの論考とはぜんぜん関係がないな、って。

ごめんなさい。
人の話を聞かない人間なもんで・・・・・。

桜蘭高校ホスト部 Vol.9




2007年08月02日

コードギアス 24、25話の感想

自分はどうもレビューとかが苦手みたいなんで、このレビューもやらないでおこうかなと思ってたんですけど、コードギアスで検索してくる人が1日100アクセスとか、あったりすると、やっぱ、やらなきゃいけないのかな、とか変な義務感が出ちゃったりして、それはまったく意味のない義務感なんだろうけども、まあ、そういうことだから、とりあえず、やってみます。

しかし、まだ見てない人もいるわけだから、ネタばれとかしちゃいかんのか。
うーん。
それは難しすぎるなあ。
ただでさえレビューとか苦手なのに。

とりあえず、できるだけネタばれしないようにやってみるか。







コードギアス 24、25話レビュー

nagurareru.jpg
父さんにもぶたれたことないのに!


bera.jpg
妖怪人間ベラ「早く人間になりたい」


「今から、ハイエナを追い払うライオンの形態模写しまーす」
lion.jpg
「がおー」


いやー、ライオンの形態模写に徹するスザクが素敵すぎる。
スピード感といい、吠え方といい、一級の芸。

いままで、スザクにはまったく共感できなかったんだけど、初めて感情移入できた。
ライオンから、最後のウミガメの産卵シーンの形態模写につながる流れってのは、大変素晴らしいもんでした。

燃えたよ。激燃え。
やっぱ、コードギアスは燃えるなー。

早く続きが見たい。

終わり。

・・・・・とりあえず、これで話の流れは全く理解できないはず。
よかった、よかった。

[追記]
見ての通り、この記事はろくでもないんですが、こんなろくでもない記事でも一定数の人に読んでもらってるみたい。
そうすると、なんだか申し訳なくなってきた。
なので、24、25話についてのちゃんとした感想を書いてるブログさんをアップしときます。
コードギアス 24話「崩落のステージ」25話「ゼロ」感想ーチェキ空ブログ

それから、コードギアスだけでなく、ロボットアニメ全般についての面白いエッセイがあったので、それもついでに。
ロボットアニメ雑感(“あり得なさ”と“本物っぽさ”)ー囚人022の避難所




[ちょっとした豆知識]
ところで、みなさん、アムロがブライトに殴られたときのセリフって覚えてますか?

私は
「父さんにもぶたれたことないのに!」
で記憶してました。

「ぶたれた」の部分が「殴られた」で記憶してる人もいるかもしれませんが、多分、多くの人はこんな感じで記憶してるんじゃないかと。

ところが、
ガンダムの名セリフ、父さんに殴られたことorぶたれたことどちらが正しいですか?
ここを読んでみたら、これが正解らしい。

「殴ったね!」(アムロ)
「殴ってなぜ悪いか!貴様はいい、そうして喚いていれば気分も晴れるんだからな!」(ブライト)
「ぼ、ぼくがそんなに安っぽい人間ですか!」(アムロ)
「2度もぶった! 親父にもぶたれたことないのに!」(アムロ)
「それが甘ったれなんだ! 殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか!」(ブライト)
「も、もうやらないからな、誰が2度とガンダムなんかに乗ってやるものか!」(アムロ)


「殴った」とか「ぶった」のどっちが正しいか、ということよりも、


お、親父?


「親父」ってのは記憶になかった。
これは意外。

アムロみたいに軟弱な少年なら「父さん」って言いそうなもんだけど。
いや、ここはキャラクターの性格からして、「父さん」と呼ぶべきでしょう、アムロは。

ちなみに、
「親父にもぶたれたことないのに」
「父さんにもぶたれたことないのに」
をそれぞれgoogleで検索してみると、
「親父にもぶたれたことないのに」が17100件、
「父さんにもぶたれたことないのに」が16500件でした。
やっぱり、「父さん」で記憶してる人が結構いるみたい。











2007年07月22日

あえて「時かけ」のアラ探しをしてみる

今、「ゲーム会社の時価総額ランキング」っていう記事を作ろうとしてるんだけど、これが結構、大変。

上場してるゲーム会社って、ちょっと多すぎですよ。
ランキング作る、こっちの身にもなってほしい。
めちゃくちゃ勝手な言い分だけども。

あ、それから、前回の「アニメ会社の時価総額ランキング」っていう記事は、書き終わってから「あ?これ、すんごい長文」って気づいたんだけど、読んでくださった方、どうもすみません。
無駄な時間とらせちゃって。

ところで、さっき、テレビで「時をかける少女」をやってたんで、つい見ちゃいました。
DVD持ってるんで、見る必要なんてなかったんだけど。
もう3回見ちゃってるし。

ついでに3回見たごとの感想。

1回目ー「いい青春映画だな」と思った。

2回目ーなぜか知らないけど、涙が出た(たぶん、ビール飲んでたせいだと思う)。

3回目ーなぜか知らないけど、ボロ泣きした(たぶん、焼酎を飲んでたせいだと思う)。

もう時かけについては3回も書いちゃってるんで、くだくだしい事は書きませんけど、この映画は好きです。
大好きです。
だいしゅきデス(あえて幼児ふうに言ってみた)。

もう、このアニメに対する愛情表現は十分にしつくしちゃってるんで、今日はあえて、時かけのアラ探しをしてみようと思います。
好きな女の子のスカートめくりするような気分で。

まず、思いつくのがタイムパラドックスの件。

しかし、これは私の場合、ぜんぜん気にならなかった。
はっきり言って、私の脳みそは普通の人よりゆるゆるに出来てるんで、そういう細かいことは気にならんのですよ。
推理小説読んでも、犯人を当てたことなんて一度もないしな。なはは。

次に声優が下手だ、っていう件。

仲里依紗

この真琴役をやった仲里依紗って人は、もともとモデルなんですか。
なんか、スウェーデン人のクォーターらしいけども。
しかし、この人の名前ってどこで区切ったらいいのかわからん。
仲里 依紗だと思ったら、仲 里依紗(なか りいさ)らしい。

普通の声優さんに比べると、この人の声って明らかに低い。
だけど、女子高生の声にはちゃんと聞こえる。
というか、実際に女子高生なんだろうし。
声優の人が女子高生役をやると、一般的な女子高生よりも声が高くなる傾向があるような気がする。
まあ、平野綾とかは、低めの声を出してるけど。

この仲里依紗っていう人の演技はたしかに下手だと思う。

だけど、これは、そんなに気にならなかった。
かえって、新鮮だったくらい。
声優の演技って、たしかに大したもんだとは思うけど、たまにはこんなのもあっていいと思う。

これは、私が声優アイドルにまったく興味がない、ってことも影響してるんだろうけど。
まあ、トトロの糸井重里くらい、下手だとさすがに殺意がわくけどね。

たぶん、時かけに対するアラ探しってのは、上の二点がいちばん多いんだろうけど、私はそんなに気にならなかった。
そんなことよりも、気になったのがコレ。

・作中に出てくる絵がしょぼい。
tokikake.jpg

いや、絵に対する評価なんて、人それぞれだとは思う。
思うけれども、コレって、いい絵ですか?

私には、これがいい絵だとはとても思えないんだけども。
どこがいいの、コレの。
なんか、美大生が、環境保護がどうこうとか、理屈つけながら製作した絵に見える。

千昭は、この絵を見るために、わざわざ未来からやってきた、ってことになってるけど、こんな絵を見るために、そんな苦労をした千昭の精神状態をちょっと疑わざるをえない。
なんで、こんな絵がそんなに見たかったんだろ、千昭は。

時かけに対する私の一番の不満がこれ。

・・・って、すんごくしょうもないところで文句をつけてるな、私は。
一番、しょうもねぇーよ。






2007年07月09日

「時かけ」に対する発言集 岡田,

最初はBSアニメ夜話の面白かった部分だけ、書き出そうかと思ったんですけど、ついでなんで、「時かけ」について発言してた人のなかで目についたのも載せちゃいました。

ま、どうせそっちはコピペだから楽ですし。
ただ、アニメ夜話のほうを書き出すのはしんどかった。

んじゃ、最初にBSアニメ夜話「時をかける少女」から。


出演者 渡邊隆史(「時をかける少女」プロデューサー)、江川達也、岡田斗司夫、筒井康隆


江川達也

ーーーこのアニメについてどう思うかと訊かれて

(このアニメは)すごい丁寧に作ってあって、基本がしっかりしてて、自分も絵を描く人なんで、『パーツがズレてる』とか『デッサンがおかしい』とか、変なツッコミしちゃうんですけど、これ非常にクォリティが高くて、素晴らしい映画ですよね。

ーーーなぜ、いま「時かけ」だったのか、と訊かれて

俺ねぇ、これ見て、すごく「冬ソナ」の感じがしたんですよ。

(司会者)「ある意味、純愛的な?」

そうそう。それと、これは高校生の戻らない青春をリフレインしていくわけで、だから、高校生の(ころの)懐かしい、こう戻したいけど戻らない、そういう感情がよく描けていて、あと男一人に女二人の三角関係っていうのが出てますよね。
だから時代的にも合ったんじゃないかな、って感じがしますけどね。



岡田斗司夫

(このアニメは)出来はすごいイイです。そら、そんだけ賞とるわ、って感じなんですけど、あんま好きじゃないです。

(司会者)「それは、なんでそんなふうに(感じるんですか)?」

いや、出来がいいと好きは別だから。俺くらい、大人で頭がいいと、混ぜて語らないんですよ(笑)。

ーーーなぜ、いま「時かけ」だったのか、と聞かれて

「時をかける少女」って、どうしても映画化するときに、みんなアイドル映画として作りたがっちゃうんですよね。
主人公の女の子を、完全無欠でいい子ちゃんにして、っていうふうにして作りたがるもんなんですけど、今回、ようやっとアニメのほうが進歩してきて、そういうものでなくても作品として作れるようになった。もっと現代的なキャラというものを中心にすえれるようになった。
アニメ界としても、これをちゃんと映像化できる準備が整った、というふうに考えてます。


ーーー各々がこの映画のなかで、一番好きなシーンを選ぶところ。千昭がいなくなった後に、真琴が叔母の和子に相談するシーンを一番のお気に入りにあげて・・・

last1.jpg

last3.jpg

last1.jpg

これ好きなところが二つあってですね、一つは原作、前の映画との絡めかたですね。
原作の「時をかける少女」がラベンダーの香りでタイムスリップするっていうのがあるじゃないですか、おばさんが話しながら、徐々にラベンダーがアップになっていくのは、それ(原作)にあわせてやってるんだぞ、と。
本編のなかでは、この叔母さんが、昔の「時をかける少女」の主人公だとは言ってないんだけど、それを匂わせる。これは上品で、いい持っていきかただなー、っていうのが一点目。
二点目、もっと感動したのが、「関係」なんですね。
「時をかける少女」というのは、一人の人間が何回も何回もやり直すことで、ストーリーに分岐ができてきて、人間がいろんなことにチャレンジしてダメだったときに、どうしていくのかっていうのを表わす作品なんですけども、映画のなかで、そういう巨大なことをやっているんですよ。
つまり、主人公(真琴)と叔母さんっていうのは、同じ立場にあったときに、人間が何をするのかっていう分岐点なんですね。
叔母さんは、待つことを選んで、主人公は追いかけていくことを選んだ。その二人の人間の関係性。それは、一人の人間の判断と同じなんですよ。何かあったときに、「じゃあ待とうか」っていうのと、「待つんじゃなく動こうか」っていう、この選択によって、それからの人生が変わるんだ、っていうのを二人の関係で描いたというのがですね、シナリオ的にもいいし、これをゆっくりと落ち着いたシーンで、そのことを語らずに見せるのが、すごいいいなあ、と思ったんです。


ーーー「時かけ」をどう捉えているか、と訊かれて

僕は恋愛ドラマとしてはスゴい作品だな、と思っているんです。
普通、恋愛ドラマというのは、恋愛感情が沸騰してからのことを書くんですね。
沸騰して、「私はあなたのことが好きなんだ!」、そして、「あなたも、この人のことが好きなんだ」というふうにやって、(感情の)ぶつかり合いとすれ違いを書くのが恋愛ドラマなんです。
ところが、「時をかける少女」というのは、もっと原型の、恋愛感情が心の水面に浮かび上がってくる寸前を書いているんですね。
主人公の真琴が何回もタイムリープしてると、相手に対する(真琴の)態度が変わってくるんです。
なんでかというと、真琴だけは記憶を持っているから、何回も人生をやりなおすと、相手のことが好きになったり、相手が自分のことを何も言ってくれないことに不満を持ったりするんですけど、そういうゆっくり水面にあがってくる「好き」という感情を描いているから、普通の恋愛ドラマみたいに、すぐに好きになって、すぐに走り出していったり、じゃないんです。
もっと、(恋愛感情になるかならないかの)ぎりぎりのところを選んでる。
ところがですね、それを描いているかわりに、犠牲にしている部分があって、それが何かというと、世界が狭いんですね。
たとえば、未来の世界が一切出てこない。
それまでの(映画)だったら、あえて書かないようにした、なんですけど、この作品の場合は、真琴の世界観ですべてを描かなきゃいけないから、未来が描けないんですね。
あと、真琴はタイムリープで自分から行く能力がありながら、決して三日以上前に行かないんです。
極端なことをしない。
たとえば、この時代の女の子だったら、一回ぐらい、「じゃあ、明治維新の時代に行っちゃえ」とか「邪馬台国行っちゃえ」とか思うはずなんだけども、絶対に行かないんです。
それはなんでかっていうと、この作品のなかで描かなきゃいけないものっていうのが、ものすごい難しすぎるんですね。
ぎりぎりのリアリティと、ぎりぎりのメンタルなものを描こうとしてるから、やっちゃいけないことがかなり多い作品なんですよ。
(物語を)破綻させないために守らなきゃいけないルールが多すぎて、それを見ていて僕は息苦しさのようなものを感じちゃった。
自分の身近な人間関係と、この世界が関係しているに違いないという確信のことを、よくセカイ系と言うんですけど、「時をかける少女」って、そのセカイ系のヤツなんです。
(このアニメのなかで)起きてる事件自体は大したことなんですよ。
だって、未来から高校生がやってきて「オレの未来では大変なことになっている」なんて(言うんですから)。
だけど、(真琴は)その大変なことを聞かないんですよ。
それはなんでかって言ったら、彼女は目の前の好きな男の子が言ってることを聞くことでいっぱいいっぱいだから。
こういう心持ちを描いちゃうことで、現代の心の表面に浮かび上がってくる恋愛感情を描くことには成功したんだけれども、かわりに何か大きなリアリティみたいなのは外しちゃった。
なんか、そこらへんで、僕はバランス的に納得できないな、って思った。



筒井康隆

ーーー時をかける少女がアニメとして表現されたことについてどう思うかと訊かれて、

今まで、散々、実写でやってきてるわけですよ。
で、全部見ましたけどもね、同じストーリーで、同じシチュエーション、同じエピソード。
そのたびに工夫は付け加えているんでしょうけどね、元が一緒ですから、だんだん衰弱していくんですね。
だんだん、手がなくなって、で、見ているほうの感動も衰弱していく。
だから、今までの実写を、ただアニメにした、というだけではマズいな、と思いましたね。
だから、これをこれだけ変えてもらって、これは良かったと思いましたね。


ーーーアニメが原作の20年後という設定になっていることを、どう思うか、と訊かれて

20年後ということは、つまり現代ということですよね。
ヒロインのキャラクターも変わってくるでしょうし、それは色々とあるんですけども、ヒロインが等身大の女の子になったということね、これがいちばんいいですね。
(原作のヒロインの)芳山和子というのは、たとえあの時代でも、あれだけ思慮深い女の子というのはいないわけなんでね・・・・、だから、タイムパラドックスということを考えないで、ピョンピョン過去へ飛んでいく(真琴)というのはですね、言ってみれば、バカですよね(会場笑)。


江川「そんなこと言っちゃっていいんですか(笑)?」

まあ、だけど、それが現実だもん。それでいいんじゃないか、と思います。だから、リアリティがあるんです。

ーーーこの映画のなかで、一番好きなシーンにカラオケを繰り返し歌うところをあげて、

karaoke1.jpg

karaoke2.jpg

(このシーンが好きなのは)自分がドタバタが好きだということもあるんだけども。
繰り返しというのは、文学的にも重要なテーマになりうるんじゃないかと思ってるんです。
今、僕は新潮という雑誌で、繰り返しばかりの作品を書いてるんですけどもね、そういうところがいいんですよね。
東浩紀という、デリダ(ここ、ゲリラと言ってるように聞こえたんですけど、多分デリダだと思う)なんかを論じている評論家なんだけども、SF大賞に、この作品をトップにあげたんですよね。彼が好きだったのは、そういうところなんじゃないか、と思うんですよね。
(繰り返しには)実験的な文学性があるというふうに、彼は思ったんじゃないかと思います。
(中略)
この、紺野真琴が何回も何回も同じことをやるというのは、ゲーム的なんですよ。ゲームとして人生を見ているということなんです。
で、さっき言った東君というのは、「ゲーム的リアリズム」というのを新しい文学性として主張してるんですけども、それが新しい文学性なんですね。


ーーーこれがなくなったら、「時をかける少女」じゃなくなってしまう、というのはどこか?と訊かれて

いや、別になくなってもいいですけど(会場笑)。
だって、タイトルと僕の名前が出てさえいりゃあ(会場笑)。
(中略)
(時をかける少女は)孝行娘ですよ。よく稼いでくれますわ。
あとは、パプリカとか七瀬とかありますけど、この子が一番稼いでくれる。



渡邊隆史(時かけプロデューサー)

ーーー脚本が出来て、筒井康隆のところにそれを持っていったときのことを訊かれて、

(持っていってから一週間後くらいに)「どうでしょうか?」と伺いにいったと思うんです。ものすごい、ドキドキして行ったんですけど、「原作と全然違う」とおっしゃって、「うーん、これはマズいかなあ」と思ったところが、「良い」とおっしゃって頂いたんで、ものすごいホッとしたっていう思い出があるんですけども(笑)。

(司会者)「タイムリープものは、普通、歴史を変えちゃいけないとかの、タイムパラドックスのつじつまをあわせるという方向に物語がいきがちだけど、この「時かけ」は明らかに前向きに変えていこうとしているじゃないですか?」

そうなんです。
そのへんは物語を作っているときに気にしてたんです。
だけど、9ヶ月くらいかかったシナリオ(制作)の半ばくらいで、「思い切って、そういうこと(タイムパラドックス)に頓着するのを止めちゃったら、どうだろう」って思ってできたのが、コレなんですね。
(中略)
タイムリープするときに起こる問題って、歴史を変えたりとかの問題じゃないんじゃないの、って。
人の気持ちとか、その場のこととか全部なかったことにしちゃうのが、タイムリープですから、「今のありませんでした、リセット」って出来ちゃう。
事件としてリセットかけちゃうだけじゃなくて、そこに関わっていた人たちが感じていたこと、想い、そういうのも全部リセットをかけちゃう。
それは何よりも酷いことなんじゃないの?っていうことなんかは、ずいぶん考えました。



以上が、BSアニメ夜話からの書き起こし部分です。
以下は、目に付いた発言集。
まあ、もう読んだことのあるものも多いとは思いますが。

時をかける少女ー東浩紀

こんばんは。たったいま、細田守監督の『時をかける少女』を観てきました。

興奮が冷めないうちに記しておきますが、これは傑作だと思います。前評判にたがわないすばらしい作品です。いい話でもあります。心が温まりました。いろいろなひとに観てほしいと思います。

(この後にゲームのリセットとの類似点の話になるんですが、それは上のリンク元に飛んで読んでください)

「感情のポリティクス」が横行する背景に、「セカイ系」の人々が量産される現実があることを書きました
ー宮台真司


■内面と風景が浸透し合う内宇宙を描くのに中川監督は沖縄を必要とする。バラードは未来を必要とした。それらに鑑みれば実はアニメこそが内宇宙を描くのに好適なメディアではないかと思いつく。そのことを経験的に熟知するのは、宮崎駿だけだと感じていた。
■そこに逸材が現れた。『ハウルの動く城』を監督する筈だった細田守。最近作『時をかける少女』(06)(以降アニメ版『時かけ』)を見れば誰もが驚嘆する。NHK『タイム・トラベラー』(72)や大林宣彦監督『時をかける少女』(83)と比しても最高傑作だ。


(中略)

■アニメ版は、パラドクス経験を通じて主人公が成長するビルトゥンクス・ロマン。成長した主人公はラストで「時はいじってはならぬ」との認識に達する。それが前述したアニメ版ラスト。この認識の所以を言葉で説明すると哲学になる。それを言葉を使わず伝える。
■敢えて言葉で説明しよう。不幸は幸福の元。幸福は不幸の元。個々人の選択は未来を開示すると共に、あり得たかも知れぬ未来を消去する。開示された未来には他人の不幸が含まれ、消去された未来には他人の幸福が含まれる。そこだけ取り出すと罪深く見えよう。

(かなり長い箇条書きなんで抜粋。それから宮台さん、フォント小さすぎです。目がイテぇ)

文化庁メディア芸術祭アニメ部門シンポジウムー富野由悠季

大林宣彦監督の『時をかける少女』(83)は観たけど、よく分らなかった。好きじゃなかった。でも、みんなが知っている『時かけ』を現代に置き換えて、うまくまとめたよね。

僕が細田監督の『時かけ』の嫌な点は、現代の高校生を安易に描いているんじゃないのかと。主人公たちの『告白したい!』という台詞が『SEXしたい!』と僕には聞こえるんです。ただの風俗映画になっているんじゃないかという危うさを感じるんです。アニメという実写映画以上に記号的なものを使って、映画的構造の中で単に風俗映画にしてしまうのはもったいないぞと。作品としてスタイリッシュな分、若者たちが無批判で受け入れてしまう可能性があるわけです。ウラジミール・ナブコフの小説を原作にした『ロリータ』('62)や文化革命を背景にした『小さな中国のお針子』(2002)といった素晴らしい作品があります。映画をつくる人間は、これぐらいの社会的視野を持っていて欲しいんです。その点、奥寺さん脚本の『時かけ』は高校生しか出てこないのが不満なんです。せっかく叔母さんという面白いキャラクターがいるのに、活かしきれてなくもったいない。もっと社会性があってよかったと思います。演出力が優れているだけに残念です



*今回、初めてテレビ番組の書き起こしやってみたんですけど、
これ、めっちゃ大変でした。
人間って喋ってるときは、その場の雰囲気でなんとなしに言いたいことが伝わるもんだけど、それを文に直してみると、かなり意味が伝わりにくい。
前後の文がつながってなかったりすることが多いです。
なので、分かりやすいように、語順を変えたりしてますので、一言一句そのままというわけではないです。
というか、多分、間違って書いてるところもあると思うんで、先にごめんなさい、って言っときます。
その人が言いたいことは、ちゃんと伝えられてるとは思うんですけど。

しかし、そんななか岡田斗司夫はスゴいです。
言ってることをそのまま書くだけで、ちゃんと意味が伝わる文章になる。
文章を書くみたいに、喋ってるヤツだな、と感心しました。
それから、異常にやせてたんで、最初は誰かわからなかったよ。

時をかける少女 限定版

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2007年04月05日

Airと一本勝負

[対戦者] Air 対 私(西園寺)

[試合形式] アニメ「Air」を見て、私が泣いてしまった場合、Airの勝ち。
私が泣かなかった場合、私の勝ちとする。


[判定基準] 実際に涙が流れなければ、「泣いた」と判定しない。「感動した」「じーんときた」程度の感情の揺れでは、「泣いた」とはみなされない。


[試合時間] 12話分の視聴時間とする。


[反則] 感情を無理に押さえつける、意図的に感情をあらぬ方向にそらせる、等の行為はこれを反則とする。
たとえば、感動しそうな場面に差し掛かったとき、
「草薙素子@うさ耳メイドバージョン」
「草薙素子、SOS団に入部希望」等の無意味なギャグを頭に思い描き、これをもって自然な感情を阻害することを禁ずる。
これらの反則行為が発覚した場合、一年間のアニメ視聴禁止処分に加え、一ヶ月間の「Air」Tシャツの強制着用を課す。





さて、唐突にも程があるって感じですが、上記の内容どおり、今回は、


Air(製作 京都アニメーション) 対 私(無職同然)


の異種格闘技戦です。


そもそも異種格闘技戦のルールとして、もっとも多くの人たちを納得させるものとして始まったはずの総合格闘技が、いまや「総合ルールに最適化された格闘家」たちによる戦いへと進化した現在、異種格闘技戦なんてのは「かみあわない戦い」としてしか認識されていません。
だけど、やっぱ昔の異種格闘技戦ってワクワクしたもんだよなあ。
血沸き、肉踊る興奮っての?
「一体、どの格闘技が最強なんだ!?」っていう素朴にして好奇心かきたてられる疑問。
試合が始まるまでのワクワク感だけは、今の総合格闘技よりもはるかに上だった。
もっとも、試合が始まると、案の定すんごく詰まらなかったりするんですが。


そんな異種格闘技戦の昭和臭あふれるドキドキ感を現代によみがえらせてしまおうという素晴らしいこの企画。
なんてったって、「アニメ」と「人間」を戦わせてしまおうというんですから、発想の規模がデカい。
梶原一騎でも新間寿でも、こんな無謀な企画は考えつかなったに相違ない。
まあ、あえて比肩することができるものを探し出してみれば、

「ウィリー・ウイリアムス(極真空手) 対 熊」

くらいのもんでしょうか。



しかし、この突飛な企画とて、「人間対猛獣」という古代ローマの昔から延々と続けられてきた、人間の一般的な想像の範疇に収まってしまう企画。
それに比べてみれば、私の考え出した「アニメ対人間」という企画の斬新さには遠く及ばない。
そもそも戦う必然性が毛ほどもないところに、むりやり戦いを持ち込む、このシュールレアリズム的発想。
我ながら自分の頭の良さにほれぼれする。


さて皆さんも、「いったいどっちが勝つんだ?」と期待に胸をドキドキさせて心臓発作起こしかけている頃合いだとは思いますが、ここで残念なお知らせです。
この勝負、おそらく私の圧勝で終わると思います。
つまり、Airを見て私が泣くなんてことはありえないでしょう。


というのも、この前、Kanonっていうアニメを見たんですが、ぜんぜん感動しなかった。
詳細はこちら。

http://animemangarobox.seesaa.net/article/36055035.html

KanonとAirって、

Key原作のギャルゲー

放映したのがBS-i

製作が京都アニメーション

監督が石原立也


と、ほとんど同じ背景を持ったアニメなのです。


はっきり言ってKanonは楽勝だった。
なにしろ、美坂栞という難病の少女の話で腹を抱えて爆笑してた私です。
まあ、沢渡真琴のエピソードと、最終回あたりはちょっと胸にこみ上げるものがあったものの、涙を流すなんてところまでは全然いかない。


Kanonに圧勝してしまった私が、ほぼ同じ条件のAirに負けるなんてことが考えられるでしょうか?
ははは。ありえない。
たとえて言うならば、ヒョードル(私)と、初期UFCで片手だけボクシンググローブつけて出てきたボクサー(Air)が戦うようなもの。
こんなの試合の前から勝負はついていると言っても過言ではない。
Airファンの皆さんには大変申し訳ないのだけれども、スーパードライな感性を持った私がAirで泣くなんてことはありえませんから。


と、試合前から興を削ぐようなことを言ってしまったんだけれども、とうとう試合開始。



[前半戦]

国崎住人(ゆきと)という青年が、ふらりと海沿いの田舎町にやってくる。
神尾観鈴という女の子と知り合い、彼女の家に居候することに。
最初は、春子(観鈴の母)に反対されていたが、なんやかんやで住み着くことに。
で、この町で幾人かの女の子と出会い、それぞれのエピソードが語られるという形でストーリーが進む。


最初の数話を見た感じでは、どうやら、AirもKanonと同じく、「ちょっとファンタジー風味の感動話」の様子。


この辺りは、こちらの予想通りの試合展開。
なにしろKanonを前もって見ている、という経験値はでかい。
なんとはなしに、このストーリーのあらましが前もって予測できる。


ストーリーが予測できる、ということは試合が進むにつれ、私の最大の武器になるであろう。


というのも、昔、ホーストがボブ・サップと二度目の試合をやったときがあった。
この試合、結局、ホーストはサップに負けてしまうのだけれど、試合中、ホーストのたった一発のボディブローを喰らって、サップがダウンしてしまう、ということがあった。
私は、これが見ていて不思議でならなかった。
それ以前に、ボディにダメージを受けていないのに、なぜたった一発のボディブローが効いてしまうのか?
後日、格闘技雑誌を読んで、その疑問が氷解した。
これを言ったのが、竹原だか大橋だか、誰だったのかは忘れてしまったんだけれど、とにかくボクシングの元世界チャンプが語るところによると、

「あのボディブローは『見えなかった』から効いた」

というのである。


つまり、ホーストのボディブローを、もしサップが見えていれば、その衝撃を予測して、腹筋を引き締めるなりして、予防動作がとれる。
パンチが見えていれば、そのようにしてダメージを軽減できる。
ところが、サップはボディブローが見えていなかったから、その予防動作がとれず、不意打ちのような形でダメージを喰らい、ダウンしてしまった。


この法則は、今回の試合でも有効であろう。
私が、もしAirのストーリーをあらかじめ予測できれば、そのダメージ(感動)を軽減することができる。
人間というものは、予想通りのストーリーが眼前で繰り広げられたところで、そうそう感動できるものではない。
まあ、中には、前もって「泣く」つもりで、そうした映画を見にいく変態的な人もいるにはいるが、幸いなことに私はそうした変態ではないので、そのへん安心である。


うむうむ、これは思っていた以上に楽勝かもしれない。
やっぱAirごときで私を倒せるはずもなかろう。
すちゃっと勝っちゃおうかなー、すちゃっと。



ただし、ここでちょっと予測しきれなかったことが一つ。


このアニメのヒロインは、

神尾観鈴

霧島佳乃

遠野美凪

と3人いるのであるが、そのうち霧島佳乃、遠野美凪のエピソードが早々に(確か五話くらいで)終わってしまったのである。


このアニメ全12話だから、3人で四等分して、4話ずつくらいで回していくのだろうと思っていたのだが、二人の分は案外とあっさりしていた。
これが予測とは少しばかり違っていた。
まあ、そうたいした誤差ではないので焦ることもないのだが。


しかし、二人のエピソードが既に終わってしまったということは、残りのストーリーは神尾観鈴で占められるということ。
このアニメのメインヒロインは観鈴。
つまり私の敵は、今ここではっきり「神尾観鈴」にしぼられたわけである。


霧島佳乃、遠野美凪の二人のエピソードでは、涙が出てこなかった、というか、胸に込み上げてくるものすらほとんどなかった。
神尾観鈴に感情移入さえしなければ、私の勝ちは揺るぎないものとなるだろう。


果たして、私は神尾観鈴に感情移入できるのであろうか。
ところが、ここでまたAirファンの皆さんに残念なお知らせです。


別に神尾観鈴に限ったことではなく、このアニメ全般に言えることなんだけど、キャラデザインが妙にロリっぽい。

misuzu.jpg


特にこの観鈴はときどき「がお」なんて言ったりして、子供っぽい。


こんなことを書くと、ちょっと羨望と嫉妬のまなざしで見られるかもしれんのだけど、私にはロリ属性があまりないんだな、これが。
たとえば、

「高町なのは、小学3年生」



「淫らな人妻、32歳」

が並んでいたら、迷わず、「淫らな人妻、32歳」を取る。
そこに寸毫の迷いもない。
今まで、アニメを見ていてロリキャラに萌えられたのは、
唯一、フルメタル・パニックのテッサだけ。
ま、私はこういうタイプの人間なんで、
そうそう神尾観鈴に萌えることもなさそうな予感がする。
もちろん、それはこれからのストーリー展開にも拠るのだけれど。
萌えさえしなければ、感動することもないだろうし、この点でもまた、試合展開は私に有利な方向で進んでいると言ってよい。



[中盤戦]


で、神尾観鈴を中心に話は進んでいくのであるが、彼女はどうも精神を病んでいるらしい。


高校生にも関わらず、「がお」を語尾につけるという、その言動だけでも、精神に異常をきたしているのは明らかなのであるが、

「空にもう一人の自分がいるような気がする」などと妄言を吐いたり、

誰かと仲良くなりかけると、泣き出してしまう、といった異常行動が目立つ。


ここらへん、あくまで少しだけ、あくまで少しだけではあるけれども、同情を禁じえない。
しかし、精神を病んでいる女の子がメインヒロインなのか。
ヒロインが精神病というと、私なんかは「ノルウェイの森」くらいしか頭に浮かんでこないんだけれども、このアニメもその手の話なんであろうか?


と観鈴とこの後のストーリー展開に対して、シンパシーと疑念を抱いていたのだが、ここで驚くべきことが起こる。


なんと、物語がいきなり平安(らしき時代)へとタイムスリップ。


おりょ?!


あまりに急激なストーリー展開に、頭がついていかない。
なんだ、これは?!
いったい、どうなっている。


私は動揺を隠せない。
ちょっとしたパニック状態。


しかし、落ち着け。
これはあれだ。
観鈴の数々の異常行動がどこから来ているかという、謎解きの部分のはず。
このアニメはちょっとしたファンタジー風味で出来ているから、この平安時代の話と、現代の話がどこかで繋がっている、っていうオチだろう。
そう考えれば、この程度の話の逸脱はなにも心配することじゃない。


結局のところ、私の読みは当たっていた。
ここの平安時代の話部分でのヒロインは観鈴と関係があるらしい。
らしい、ってのは随分と適当な言葉使いではあるが、この部分は具体的に示されるわけではないので、「なんとなく、こういうことなんだろうなー」という程度しかわからないのである。
もっとも、主人公の国崎住人が何者であるかは、ここで分かったんだけど。


と、なんやかんやで平安時代部分は終了。


うーん、中盤にきての、このストーリー展開の急変には焦らされた。
まあ、もちろん、ここでも涙は流してはいないんだけれど、自分の予想と大幅にずれてストーリーが進むとさすがに精神に動揺をきたす。
正直なところ、この中盤戦は、「Air」に押されていた。
だが、まだまだ大丈夫。
私はいまだに観鈴に萌えてはいないし、涙がでる予兆もない。
気を引き締めて、終盤戦にのぞみたい。




[終盤戦]


観鈴がなぜ「変」なのか、ということは、おぼろげながら分かった。
そして、その理由によって、観鈴は病んでいく。
徐々に歩けなくなっていくし、徐々に記憶を失くしていく。
そういうことらしい。


あー、これはアレか。
アレですね、アレ。


いきなり平安時代にタイムスリップしたり、「空を飛ぶ少女」というイメージに惑わされていたりしたけれども、結局のところ、このストーリーって、「難病もの」なのだ。
基本的に、病気によって死んでいく少女、という要素が骨格であって、そこにもろもろのファンタジー的なイメージを絡めているだけ。
そうと分かれば、そんなに臆するほどのこともない。
たぶん、このアニメの最後は、主人公の国崎住人の腕に抱かれて死んでいく観鈴、といったシーンで、視聴者の涙を誘おうという算段なのであろう。


なはは。
私は極めて頭がいいから、こういうことにまで気が回るのであるけれども、ちょっと頭の出来がよろしくない大衆の皆さんなどは、こういう製作者の意図にまんまと乗せられて涙を流してしまったりするのであろう。
哀れ。


まあ、その点、私はこのアニメの結末を予想しきってしまったから、その心配もない。
中盤戦では、少し焦らされたが、こうと決まれば、あとは安心して試合にあたるだけ。
楽勝ムードかな。こりゃ。


などと、余裕ぶっこいていたのであるが、ここでまた予想外の展開。


なんと主人公の国崎住人が消えてしまったのである。


いや、正確に言うと、消えてはいないのだけれども、まあ、消えてしまったのと同じ。
これ以降、ストーリーに絡んでこない。


うげげ!?


なんだこの展開?
まさか、ギャルゲー原作の萌えアニメで、主人公の男が消えるだなんて思いもよらなかった。


だって、そうでしょ?
ギャルゲーと言ったら、どういうわけか主人公の男がもてまくり、複数の女を攻略できる、という類のゲーム。
まったく違う性格の女の子だというのに、みんな、なぜか主人公を好きになってくれる、というゲーム。
「お兄ちゃん」とか呼んでくる女がいるから、妹だと思ってたら、後に血が繋がっていないということが判明して、妹とまでエッチしちゃえる素晴らしいゲーム。


言ってしまえば、ギャルゲーにおける男主人公っていうのは、
複数の女の中心に位置する太陽なわけ。
その太陽が消えちゃってどうすんだよ、これ?


???????????????????????????


無数の?が頭の中を駆け巡る。
やばい。
さすがにこれはやばい。


死んでいく(消えていく)観鈴と、その喪失を嘆き悲しむ国崎住人、というラストシーンを思い描いていた私は、自分の予想が完全に外れてしまった。
なにしろ、後に残されるはずの国崎住人が、観鈴の前に消失してしまったのであるから。
動揺しまくって、煙草の吸い口のほうに火を点けてうっかり有毒ガスをあびてしまったりしている私ではあるが、ここはそれでも建て直しを図らなければならない。
つまり、このストーリーがどっちに転ぶのかを予想しなければならない。
それが、今の私のやらなければならないこと。


住人が消えたあと、ストーリーは観鈴と春子の人間関係を描写していく。
細かいことは省くけれども、春子は観鈴の実の母親ではない。
実の親は別にいるのだけれど、複雑な家庭の事情によって、観鈴は春子に預けられている。
春子は思うところあって、観鈴に素直な感情を表わすことができないし、
観鈴も観鈴で、春子に甘えることができない。
こうした感情の機微、すれ違いを丹念に描いていく。


ふむふむ、なるほどね。
要するに、これは家族愛をテーマにしているわけだ。
今まで、いびつな家族だった、観鈴と春子が心を通わせあっていく過程を、
観鈴の死を絡ませながら、感動的に描こうとする腹積もりであるか。
おっと、おあつらえむきに、観鈴の実の父親という人物が登場してきたよ。
なはは。
笑止。
恋愛ものだと思ってたら、いきなり家族ものに変わってしまったので、
ちょっと焦りはしたが、そうとわかれば、怖くはない。


今は最終回の一話前であるが、実の父親が観鈴を返せと言ってきた。
それを拒否する春子であるが、今までの感情のすれ違いから、
観鈴との繋がりを信じきることができない。
結局、観鈴を実の父親に渡すことに。
舞台は夕日に染まった浜辺。
眠っている観鈴を抱いて、遠くへ去っていく父親。


あー、このあとは、アレが来るんだな。
眠りから覚めた観鈴が、ばたばた暴れて、
春子のところに泣きながら駆け寄ってくるっていうシーンだろう。
おっと、やっぱり予想どおりの展開。
どうせ、そんなことだろうと思ったよ。
それで、遠くのほうから、
「ママーっ」って叫んだり、ね。
あはは。
予想どおり、予想どおり。
こんなお約束で、私が泣くはずが、・・・・
泣くはずが・・・・・・





泣いていた。
気づくと泣いていた。
両の眼から、とめどなく溢れる熱い涙。涙。涙。


よかった。
本当によかった、と心の底から思う。
もうすぐ消えてしまう観鈴だが、その前に二人の心が通じ合って、本当によかった。
今まですれ違っていた母娘の感情が通じ合った瞬間。
ダメだ。
これは耐えられぇ。
感動で涙がとまらない。
あまりにも泣けたので、画面がぐしゃぐしゃに歪んで視認できなかった。




このようにして、私はAirに敗北した。
しかし、後悔の念はそこにはない。
いい勝負だった、と心の底からそう思う。
それから、私が敗北したのは最終回の一話前だったので、蛇足ながら、
最終回のことにも触れておきたい。


まあ、当然、最終回がどうなるか、なんてのは予想がつく。
観鈴の運命がどうなるのか、ってことも、また。
予想がつきさえすれば、感動なんてしないだろうと思っていた私だが甘かった。

haruko.jpg



これ、クライマックスシーンでの春子なのであるが、
この画像だけ見ると、あまりにも涙の量がすさまじく、
なんか眼球が溶けてゲル状になって零れ落ちているようにも見える。
常の私であれば、爆笑しているところなんであるが、そんな無体なことはできなかった。
というのも、私もまた、眼球がゲル状になるくらい号泣してたからである。
挿入歌の「青空」とかいう曲が流れているころには、眼球ゲル状態。
いや、もうギブ、ギブ。
これ以上泣いちゃったら、もう干からびちゃうから。



[試合結果] Airの一本勝ち。



[敗戦者インタビュー]

(インタビューブースに現れた西園寺のまぶたは赤く腫れ上がっていた)
(試合の感想は)思ってたよりAirは強かったよ。今回は負けちゃったけど、今度の試合に期待してほしい。
(Airの感想は)まあ、国崎住人が消えてしまったのが、オレの誤算だったね。あの展開がなければ、勝てたかもしれない。
(ファンに向けて一言)日本のファンは世界一さ。オレはそう思ってる。今回の結果は残念なものだったけど、また応援してほしい。


タグ:アニメ

2007年01月05日

エウレカセブン 23話〜26話

なんか、ものすごく久しぶりのエウレカレビューです。

どうも、私はレビューとかが苦手のような気が・・・。
ある程度、大雑把に作品を見て、そのうえで、ああだこうだと書くことはできるんですが、一つ一つをちゃんと見て、その都度ツッこんだりするのが向いてない気がしてます。
エウレカの総論っていうのは、もうとっくに頭のなかでできあがっていたりするんですが。

まあ、向いてないのは承知のうえで、やりとげてみせますとも、エウレカレビュー。
乗りかかった船ですし。
(船に勝手に乗りこんだのは私ですが・・・うぐ)


さて、前回はレントンが月光号から逃げ出したところでした。

一人で街をさまようレントンは、チャールズとレイという夫婦と出会います。

このチャールズ、レイのビームス夫妻というのは、ホランドと同じで元州軍の兵士で、州軍をやめたあとはフリーランスとして賞金稼ぎをやっていたという人物です。
しかし、州軍のデューイというやつに、請われて今は月光号を追っています。
あ、そうそう、ビームス夫妻は白鳥号という飛行船に乗って旅をしているのですが、この白鳥号、ネーミングセンスがよくわかりません。
というのも、この飛行船、色が「紫」なのです。

紫なのに「白鳥」って・・・・?

この飛行船に「白鳥号」と名づけたのは、おそらくビームス夫妻なのでしょうが、いったい何を思って白鳥なんて名前をつけたんだか。
それにこの飛行船、ビームス夫妻の二人しか乗組員がいません。
おそらく、この白鳥号、大きさは月光号とほぼ同じくらい(見た感じは同じくらいに見える)だと思われますが、たったの二人で大丈夫なんでしょうか?
月光号の場合、操縦士(ホランドの情婦、タルホ)、通信士(名前はギジェットだったけかな?ちょっと可愛い)、それにコンピュータ室みたいなところにいるハゲ頭(いったい何の仕事してんだ、こいつ)など、ざっと見て、5、6人が飛行船の操縦にかかわっている感じです。
それなのに、この白鳥号は、チャールズとレイの二人ともLFOに乗って出撃したりすることもあって(その間、飛行船は無人)、どうも人手が著しく少ない。
これから察するに、この飛行船は操縦にそんなに人がいらない、ってことではないでしょうか。
自動操縦機能がついているんでしょうし。
ということは月光号は無駄な余剰人員をかかえているわけで、早急にリストラでもしたほうがいいでしょう。
とりあえず仕事内容がよくわからないハゲとムーンドギー、お前らクビな。


このビームス夫妻、レントンのことをえらく気に入り、養子にならないかと提案さえします。
まだ素性さえよく知らない子供を養子にするのはいかがかなもんかと思うんですが・・・。

それはともかく、このビームス夫妻というのは、非常にいい人たちです。
なんといってもレントンに優しい。
このあいだまで、レントンはホランドに殴る蹴るの暴力行為、耳を疑いたくなるような暴言の数々を浴びせかけられていたわけで、それと比較すると、ここはまるで天国そのもの。

ホランドとタルホはいつも、わけのわからない理由で口ゲンカしてましたが、このビームス夫妻はぜんぜん違います。
過剰なほどラブラブなのです。
なんか崩壊家庭の子供が、金持ちの優しい夫婦のもとに引き取られた観すらあって、心温まります。
レントンもこういう環境なら、まともな大人に育つでしょう。よしよし。


一方、月光号では、ブサレカ・・・・じゃなかった、エウレカがレントンがいないことに気づきます。
いままで当たりまえに側にいたレントンの不在に気を病むエウレカ。
そして、エウレカはこの感情が恋愛感情であることに気づきます。

恋愛ものなんかでは、こういうパターンがよく出てきますね。

1 今まで身近にいた人間が、なんらかの理由でいなくなる。
2 その人物がいかに自分にとって大事な存在だったのか気づく。

っていうパターン。
これは、登場人物の恋愛感情を具現化するにはかなり良い方法なのです。
というのも、このパターンでは、登場人物たちが、物理的に移動しているので、物理的な距離感と、心情の距離感がマッチして上手く表現できるからです。

えー、ちょっとここで話が脱線します(いっつも脱線してばっか)。

「涼宮ハルヒの消失」っていう小説があるのですが、あれはこういう視点から見ると非常に興味深い事例です。
この小説のなかで、主人公のキョンの前からいなくなってしまうのは、タイトル通り、「ハルヒ」です。
長門と朝比奈さんは、主人公の前から消えていません。
もっとも、二人とも以前の二人とは違うのですが。

今まで日常の一部であったハルヒがいなくなり、キョンはその喪失感にあわてふためきます。

ということは、この小説のストーリーはこうならなきゃいけないはずです。

1 今まで身近にいた涼宮ハルヒがいなくなる。
2 キョンがハルヒの存在の大きさに気づく。
3 キョンがハルヒに対する恋愛感情に目覚める。

しかし、この小説を読んだことがある人なら分かるように、キョンの感情はこんなふうに流れてはいません。
ハルヒよりもむしろ、長門に対する感情のほうがあらわになってる感じがしてしまいます。
これは、ある意味では失敗作ということになるのですが、あの小説全体がちょっとおかしいんですよね。
主人公の感情は、明らかにハルヒよりも長門のほうに向かいつつあるように感じとれてしまいます。
どうなるんでしょ?これ。

(脱線終わり)


ということで、レントンの気持ちに目覚めたエウレカですが、これは素直にめでたいです。
これでブサレカでなかったら、もっとめでたかったんですが・・・。


ところでレントンですが、ビームス夫妻に月光号のメンバーであることが知れてしまいます。
自分たちが月光号を襲撃することをレントンに告げ、どっちにつくかを選択するようにレントンにせまるチャールズ。
私としては、人手不足の感ありありのビームス夫妻のほうについてほしかったのですが、レントンは月光号を選ぶようです。
残念。

ということで、レントンは月光号へ向かいました。

ところがエウレカはレントンを探しに、ボードに乗って、月光号を飛び出してしまいます。
なんかトレンディドラマばりの「すれ違い」ですが、エウレカが向かった先には州軍と白鳥号が。
チャールズはエウレカを捕まえようとしますが、州軍は生身のエウレカめがけて銃弾の雨あられ。

ん?

エウレカを捕まえようとしてるんだか、殺そうとしてるんだかわかんないんですけど。
殺してもいいの?これ。
なんか後のストーリー考えると、殺しちゃいけないような気がするんですけど・・・。
州軍の命令系統がどうなってんだか、他人事ながら心配になります。


月光号では、レントンが帰ってきたのに、ホランドが冷たく「誰だ、それ」って言ったりと、お約束の展開がちょっとあったあとで、エウレカが州軍に襲われていることを知ったレントンがニルヴァーシュに乗って助けにいきます。
どうでもいいんですが、エウレカがピンチなのに、助けにいく素振りすらみせない他のLFOライダーたちはなんなんでしょう?
冷たいやつらだな。


州軍に襲われて、エウレカは下に落下してしまいます。
風圧でバタバタと服がたなびくまま落ちていくエウレカの前に一機のLFOが。
ニルヴァーシュです。

「エウレカぁ!」
「レントン!」
なんてお互いに叫びながら、空中で手を伸ばしあう二人。

今までエウレカセブンのことを誉めたことは一度もありませんでしたが、ここだけは誉めます。
大絶賛です。
空中を落下しつつあるという、このうえなく不安定な状態であることの心細さと、それだからこそ強く感じられる相手の手の温もり。
こんないいシーンを見せてくれただけでも、エウレカセブンを見た価値があったというものです。


こあjふぁjふぉがいおがご



・・・失礼しました。
あまりにも感動的なシーンだったので、涙で視界が曇ってキーボードが視認できず、つい意味不明な文言を打ち込んでしまいました。
本当は「これでブサレカじゃなければもっと良かったのに」と書こうとしたのです(いつまでブサレカを引っ張るつもりだ、オマエは)。


いやあ、だけど、ここは本当にいいです。
正直なところ、ここでエウレカセブンが終わっていたら、かなり絶賛されていたかもしれません。
詳しくはエウレカ総論のほうで書こうと思いますが、この26話でエウレカセブンのストーリーというのは分割できてしまうんですね。
エウレカセブンというのは、主要な核となるストーリーが二つあって、そのうちの一つはこの26話で終わるのです。

2006年12月03日

エウレカセブン19〜22話補遺

書き忘れていましたが、19話でこのアニメにある重要な変化が起こります。


その変化とはエウレカの「ルックス」です。


レントンが一目惚れするくらいですから、エウレカはもともとかわいい女の子でした。
しかし既に述べたように19話でエウレカはジェルまみれになってしまいました。
その症状は20話で回復するのですが、いったんジェルまみれになってしまったため、エウレカの髪はすんごい短くカットされ、眉毛にいたってはあとかたもありません。
はっきり言って、ひどくブサイクです。
眉毛のない女がどれほどブサイクか実例を出しましょう。


mayugebon.jpg


眉毛がない女というものが、いかに我々の美意識を逆なでしてくれるのか、よく理解できたことと思います。
このアニメのタイトルはエウレカセブンっていうくらいですから、ヒロインは当然エウレカです。
しかし、そのヒロインがブサイク極まりないのです。
これって、新しい嫌がらせかなんかでしょうか?

「お前らにはぜってぇ萌えさせねーぞ。お前らはこのブサレカ(ブサイクなエウレカの意)でも見て喜んでりゃいーんだよ、キャハハ」的な製作者の悪意を感じてなりません。

もっと付け加えると、このブサレカ状態はなんと41話まで続きます。
ブサレカ化したのが19話ですから、エウレカセブン全50話のうち、ざっと40%をわれらがヒロイン、エウレカはブサレカとして過ごすわけです。うぐぐ。

私のかわいいエウレカを返してください。
ブサレカは要りません。



2006年12月01日

エウレカセブン19話〜22話

さて、今回は結構いろんなことが起こります。
ですので書くのが大変です。

鼻毛を抜いたり、その鼻毛の本数を数えてみたり、万が一鼻毛のなかに白髪が混ざっていたときなどには綿密に調査してみたり、そんな感じで私は結構忙しかったりするので、このエウレカ鑑賞記も、疲れた体に鞭打って書いているのです。汗々。
しかし、このエウレカ鑑賞記、かなり書いているような気がするし、かなり話をはしょってもいるのにまだ半分にも達してません。
なぜ、ブログを始めたばかりなのについ軽い気持ちで全50話もある長編アニメを選んでしまったのか、これがローゼンメイデンだったらとっくに終わってるのに、などと思うとブログ始めたばかりでちょっとうかれていた過去の自分にヒップアタック喰らわせたい気分になります。

koshinaka.jpg
*ヒップアタック
プロレスラー越中詩郎の必殺技。相手に自分のケツをぶつけるという単純極まりない技。
たぶん、だれでも出来る。


さて、本題です。
月光号は洞窟みたいなところに身を隠してました。
なんでもトラパーが薄いので、飛び立つことができないらしいのです。
ただの気象条件が原因で飛ぶことができないなんて、中世の帆船なみにローテクです。
実はこの飛行船、船体にはスカイフィッシュという動物の皮を使用していたり、とてもはるか未来の飛行船とはおもえないくらい科学技術のレベルが低いのです。
この月光号、もともとは州軍に配備されていたわけで、これらから察するに州軍の軍事力というのも大したことがないのかもしれません。
北朝鮮なんかのほうがずっと手ごわそうです。


前回、ちょっと触れたようにエウレカは体調を崩してました。
調子の悪いエウレカは気を失ったまま、ニルヴァーシュに乗って洞窟の奥へと進みます。
奥深い洞窟のなかで、エウレカはスカブとかいうのと融合してしまいます。

ん?話の流れがわかんねーんだけど、とか思ったあなた。
安心してください。
私もよくわかってません。
昔、広末涼子が数々の奇行から「プッツン女優」なんて呼ばれていたことがありましたが、エウレカもプッツンしてしまったのでしょうか?
このエウレカの行動は私にはよく理解できないので、こんな感じの広末的理解でお茶を濁して話を先に進めていきましょう。
「あ、こいつって広末的な女なんだ」と思えてしまえばたいていのことは許せるようになります。くぇkjふgv


ときどき忘れそうになりますが、レントンは一応このアニメの主人公なので、こういうときは当然エウレカを追っかけていきます。
で、洞窟の奥でエウレカを発見。
ピンクのジェルみたいなのでエウレカはびしゃびしゃになってます。
なんか変なプレイをした後みたいにも見えますが、そういう妄想して私はちょっと興奮してしまいます。
話は脱線しますが、エウレカセブンは初恋が大きなテーマになってるわりには萌え要素が極めて薄いので、妄想を膨らませることができる断片がでてきたら積極的に妄想しましょう。
これは健全な成人男子に課せられた義務です。


一方、洞窟の入り口付近で月光号は州軍に取り囲まれてました。
なにしろトラパーが薄くて飛べないところに州軍に襲撃されてるんだから大ピンチです。
さあ、この危機を月光号はいかにして脱するつもりなんでしょうか。
手に汗握る展開です。


ジェルまみれのエウレカを見たレントンはショックのあまり(私みたいに変態的妄想にふけったせいではないと思います、たぶん)

「お願いだよ、ニルヴァーシュ。オレに力を、エウレカを守る力をオレにくれぇ」と絶叫。

すると、トラパーの波が大放出、出血大回転!!!
月光号はトラパーの波に乗って無事脱出成功してしまいました。
この都合よすぎる展開に、ホランドはつぶやきます。
「・・・まさか、さっきのトラパーの大波はセブンスウェル現象だったっていうのか?」

出ました!
というか出てしまったと言うべきでしょうか?
前回、私の灰色の脳細胞をさんざん酷使してくれたセブンスウェル現象です。
この前はアミタドライブ装着時、今度はただレントンが絶叫しただけとセブンスウェル現象が起きる状況に私はなんら共通点を見出すことができません。
しかし、私も以前の私ではありません。
つまり優秀な頭脳を持つ私は早くもエウレカセブン的世界に適応しつつあるわけです。
これがもし凡百の衆愚であればそうはいかないでしょう。
難解な現象を眼前にして答えも解決策も見出せぬまま、己の低スペックな脳みそを恨むだけで時間を消費してしまうに相違ありません。
私は違います。
なにしろ名探偵ですから。
もつれあった糸を解くのにどうすればいいのか、今までの苦難に満ちた経験が私にそっと語りかけてくるのです。
ここは広末的理解で華麗にスルーすることにしましょう。
つまり、セブンスウェル現象なんてなかったことにしてしまうのです。
さあ、次の展開へゴー・ゴー・ヘブン。


ここでストーリー上、大きな展開があります。
ホランドとレントンの対立です。
ジェルまみれのエウレカは絶対安静ということで隔離されてしまいました。
このジェルは一回付着してしまうと除去することが難しいらしく(本当にこんなジェルが売られていたらPL法に引っかかることは必至です)、エウレカはずっとジェルまみれでした。
当然レントンは「病院に連れて行くべきだ」と至極まっとうなことを主張。
しかし、ホランドは死刑間近のヴォダラクの坊さんを救出するという依頼を受けて金を稼ごうとします。
意見の相違から言い合いになった二人。
というかここではレントンの意見が正しいに決まってます。
激昂したホランドはレントンを投げる蹴るの暴行行為に及びます。
DDT的に鉄棒に顔面を打ちつける、みぞおちにヤクザキック、あげくの果てには高いところからレントンを投げ捨てる。
つーか、これ、ほとんど児童虐待の域に入ってるんですが・・・。
月光号がだんだんオウムみたいな異常な集団に見えてきたのはどうしたことでしょう?
リーダーのホランドは暴力的だし、リーダーの情婦タルホは常にイライラし情緒不安定。
他のメンバーは比較的まともではありますが、リーダーとその情婦がこれではレントンのような思春期の子供が育つには劣悪な環境といえるでしょう。


そんな感じのバイオレンスシーンを挟みつつ、ホランドは一人で出撃していきますが、坊さんの奪取には成功したものの、敵KLF数機に囲まれてしまいます。
敵にいいようにいたぶられ、もうマジで死んじゃう五秒前。
いい気味です。金の亡者め。


ところが、私とまったく同じ感想を抱いていたレントンにタルホが説教します。
なんでも、エウレカの病気は病院ではなおせず、ヴォダラクの高僧にしか直せないというのです。
つまり、ホランドはエウレカを助けるために危険な依頼を受けたとのこと。
それを知ったレントンは
「オレ、ガキだ。何も分かっちゃいなかった」などと改心し涙ぐみながらホランドを助けにいきますが、ちょっと待ってください。

これって、最初からホランドが「エウレカは病院では治せないうんぬん」と言っていればそれで済んだ話なんじゃないでしょうか?
それさえ言っていればレントンと言い合いになることもなく、ハリトーノフ対シュルツみたいな凄惨な暴力シーンも必要なかったはずです。
レントンは「オレは何も分かっちゃいなかった」などと殊勝な感想を述べていますが、言われもしないことを「分かる」ことができるのはエスパー魔美くらいのもんです。

その後ホランドと坊さんを助けることができ、坊さんにエウレカを治療してもらうことになりました。
坊さんがお経みたいなのを唱えたあとに、金色の液体をエウレカに振りかけると治療完了です。
なんか無駄にいろいろあったわりには、イージーな治療法です。
こんなのなら私にもできそうな気がしちゃいますが。


さて、ホランドを救出する過程で暴走してしまったレントンはいきなり平和主義に目覚めてしまいます。
自分が何のために戦っているのか思い悩むレントンですが、じつは我々視聴者にも月光号が何のために戦っているんだか知らされてません。
もう20話超えてるってのにですよ。
いまごろそんなことを悩んでいるレントンは迂闊すぎます。
私なんて最初から疑問に思ってましたから。
で、そんなスローライフなレントンは家出しちゃいます。
まあ、家出したほうが良かったでしょう。
この月光号、あきらかにおかしげな集団ですから前途ある少年の住処にはふさわしくないと私は考えます。


2006年11月26日

エウレカセブン15話〜18話

今までストーリーの紹介をはしょりにはしょってきたので、ほとんどの人はエウレカセブンがどんなアニメなんだか分かってないと思います。
そんな方はこちらへどうぞ。

http://hirarinko.seesaa.net/article/25595189.html

こちらではエウレカセブンの各話紹介をされてます。


さて、月光号が犯罪集団なのではないかという疑念が徐々に強くなってきましたが、今回は15話から18話です。


ここまでレントンとエウレカの関係は、一言で言えば「友達以上恋人未満」でした。
どーでもいいですが、この友達以上恋人未満って言葉、懐かしいですね。
いつごろ流行った言葉かは、正確には知りませんが80年代のラブコメの匂いがぷんぷんしてきます。


まあ、そんなことはどうでもいいんですが、他のLFO(ロボットみたいなやつ)は単座式なのに、どういうわけかニルヴァーシュだけが複座式で、そこにエウレカとレントンが乗っていたわけです。
これもどういう理由かは知りませんが、「レントンが乗るとニルヴァーシュが喜ぶ」んだそうです。(エウレカ談)
このエウレカセブンには「何故そうなるのか」分からないところが結構ありますが、あまり気にしないほうが賢明です。
理解できないところは、時の砂が流れるのに身を任せておけば、そのうち忘れます。
私はそうやってセブンスウェル現象を忘却のかなたへ送り出しました。


で、「ロボットが喜ぶから」という理由だけで、ニルヴァーシュの助手席に乗せられていたレントンはこのロボットに乗っているあいだ、何の作業をしているのかというと、実のところ何もしてませんでした。
操縦はエウレカがしてますし、レントンのすることは何もないのです。
科学者のようなおばちゃんに、「レントン、アミタドライブの調子はいい?」なんて言われるシーンが、序盤にあったりはしますが、アミタドライブの扱い方なんてレントンも知らないようなので、「ただ見てるだけ」なわけです。
繰り返しになりますが、アミタドライブが何なのかなんて、名探偵である私、西園寺万五郎にもわかっていないのです。
レントンのような年端もいかない少年にわかるはずがありません。


ここまでのレントンの役割って、まるでペットみたいなもんです。
ペットの役割ってのも「存在してるだけで私(主人)が癒される」ってことですから。


しかし、レントンもペット的扱いに満足していたわけじゃないでしょう。
ここからは私の勝手な想像になるわけですが、レントンも男である以上、その笑顔の裏には猛々しい牙を隠し持っているはずです。
昔、魁!男塾を愛読書にしていた私にはそう思えてならないのです。


ちょうどおあつらえむきに、エウレカとマシューが軍に連行されるという事件が起きました。
レントン、エウレカ、マシューの3人だけで行動していたので、2人を助けだせるのはレントンだけです。
ここぞとばかりに、ニルヴァーシュに乗ったレントンは、敵のKLF(ロボットみたいなやつ2)をバッタバッタと倒しまくります。
ついに牙を剥き出しにしたわけですな。
「快っ感・・・」なんて薬師丸ひろ子みたいに(あっ、いまは長沢まさみですか)つぶやいて恍惚の表情を浮かべてます。
素直なマシューは「スゲェ」と感嘆の声をあげてますが、問題はエウレカです。
「あんなのニルヴァーシュ(の戦いかた)じゃない」なんて言って、嫌悪の表情。
とはいっても私には、エウレカが操縦してたときと、レントンが操縦してるときの違いが全然わかんないんですが。
エウレカはレントン以上にバッタバッタと敵倒してましたからねえ。
どこがどう違うっていうんでしょう?


この後、レントンとエウレカの関係は冷え込みます。
レントンがニルヴァーシュを上手く操縦できたのが、エウレカにはよほど気に入らなかった様子。
ケツの穴の小せェ女だぜって言ってしまえばそれまでですが、それが原因でエウレカが体調まで崩してしまうとなればシャレになりません。
エウレカも意外に厄介な女です。


それにしてもレントンはニルヴァーシュを操縦するのが初めてだってのに、何故エウレカ以上に上手く操縦できたのでしょうか?
後で、ホランドがてこずっていた敵(というかホランドが殺されかけてた)をレントンがあっという間に倒してしまうシーンとかもありますが、どういう理由でレントンがそれだけ優れたパイロットなのかを説明するところがありません。
たとえばエヴァンゲリオンでは、シンジの母親の遺伝子だか思考回路がエヴァに移植されていて(←記憶が曖昧)、それでシンジとエヴァのシンクロ率が高いっていう設定になってました。
ファーストガンダムではガンダムの戦闘能力が他のモビルスーツよりも高いこと(前半)と、アムロがニュータイプであること(後半)が強さの秘密でした。
では、レントンはなんなのでしょう?
よくわかりません。
まあ一つ思い当たる理由があるにはあるのですが、エウレカがレントンがニルヴァーシュに乗るのを嫌がってるのを考えると、どうもその説明ではうまくいきません。
レントンが天才ライダーだという説明の仕方もあるのかもしれませんが、確か第一話ではこいつはボードに上手く乗ることすらできなかったはずです。
これもセブンスウェル現象とともに忘却の彼方へ流しさるしかないんでしょうか。
エウレカセブン、なかなか手を焼かせるアニメです。
一筋縄じゃいきません。


2006年11月20日

エウレカセブン4話〜14話

さて、前回1〜3話でかなり長文になってしまったので(ただ文が長いだけで中身はほとんどありませんがね)、ここからは駆け足で一気に4話から14話までいきたいと思います。


さて、かなり高揚感に満ち溢れた1〜3話だったわけですが、これ以降まったりした展開が続きます。
エウレカをママと慕うガキ3人にレントンがゲロンチョ呼ばわりされる話(ニルヴァーシュの中でレントンがゲロったから)、月光号のメンバーがレントンにいたずらする話、レントンがタルホの買い物につきあわせられる話。
よく言えばほのぼのとした、悪く言えばどーでもいいような話です。
あ、タルホってのはホランドの情婦です。
情婦だけにやたらと肌の露出が多く、扇情的な格好してます。


ここらへんの回を見て、たぶん誰もが疑問に思うことは
「月光号ってなにを目的として活動してんの?」
ってことじゃないでしょうか?


第9話でエウレカ、ホランド、タルホらがもともと軍にいて、そこでヴォダラク(チベット仏教っぽい感じの宗教)の連中を虐殺し、それが原因のひとつになって、軍を脱退する話がでてきます。
あー、それで軍に追われてたんだ、ってのはわかります。
(とは言っても途中で軍から懸賞金がかけられていたヴォダラクの婆さんを誘拐してたりしますが)
しかし、それじゃあんたら何がしたいの?っていうとそれがよくわからないのです。


たとえば第4話をみてみましょう。


月光号は金がないらしいです。
そりゃ視聴者である私にも、何を目的としている集団なんだかよく理解できないんだから、そんなところに金が集まるわけもありません。
世間を甘く見たらいけません。
ついでに視聴者にも、もっと親切にしなさい。


で、金がないので密輸の仕事をすることになりました。


・・・・・・・・?
どうも、月光号のメンバーと世間一般では犯罪というものに対する認識が違うようです。
私も探偵という職業上、さまざまな犯罪者を見てきましたが、根っからの悪人というものは一握りでしかありません。
だいたいの人間は小さな犯罪を繰り返していくうちに、いつしか良心が薄れ、しまいには人を殺すことにも躊躇がなくなってしまうものなのです。


密輸という言葉を聞いても、月光号のメンバーには「それ犯罪だからやめようよ」などという良心的な人間はおりません。
みんな、もらえる金額の大小だけが気がかりな様子。
月光号のモラルは地に堕ちていると言ってさしつかえないでしょう。
ここは、つい先日まで犯罪とは無関係だった一般人、レントン少年に月光号の精神汚染を食い止めてもらいたいところ。
そんな一視聴者の呼びかけが届いたのか、レントン君
「金がないならリフの大会(サーフィンみたいなもの)に出て賞金を稼いだらどうでしょう」
とすごく健全で生産的なアイデアを提案!
えらいです。
第二話では、私の呼びかけを完全無視してアミタドライブのことを聞こうともしなかったレントン君ですが、たまにはやってくれるのです。
ところが、私の代理人レントン君の提案を月光号のメンバーは完全無視。
なにか私まで否定されたようで悲しくなります。寂々。


結局、月光号は「そっちのほうが近道だから」という理由だけで、州軍の基地の真上を突破。
派手な銃撃戦もやり散らかしたので、軍側に死傷者も出たでしょう。
不意打ちのようなやりかたで命を落とされた軍関係者のことを思うと胸がいたみます。


その後、レントン君とマシューメンバーがトイレで会話するシーンがあります。
(ここで使っているメンバーという語句は稲垣メンバーと同じ用法です)
レントンの「リフ大会に出ましょう」という提案が無視されたのを気遣ってか、マシューメンバーはこんなことを言います。


「賞金を稼ぐためのリフは絶対しない。それが俺らだ」


リフに対する愛情と誇りが表された、一見カッコいい発言のように思えますが、このカッコつけのせいで軍関係者に死人が出ていることを我々視聴者は絶対忘れてはいけません。
このマシューメンバーは、ホランドメンバーの情婦という立場を利用して好き勝手振舞うタルホメンバーなんかとは違って、かなり兄貴肌の好青年なのですが、そのマシューメンバーにしてこの有様です。
他はおして知るべしというところでしょう。
こんな犯罪集団と行動をともにすることになってしまったレントンの未来に危惧を覚えざるをえません。


それから、軽く他の話にも触れておくと、最大の悪役であるデューイとか、その部下のKLFライダー、アネモネなんかが登場してきます。
ここではデューイの髪型が変だということと、アネモネに殴られる蹴られるしているにもかかわらず、アネモネが好きなドミニクのM男ぶりを指摘しておくだけにします。

2006年11月16日

エウレカセブン第一話〜第三話

最初は前半、中盤、後半に分けて書こうかと思っていたのですが、
あまりにも長すぎるアニメなので、少しずつ書いていこうかと思います。

<田舎町ベルフォレストでメカニックの祖父と暮らす少年レントンは、この街に飽き飽きしていた。
周りのものは退屈で仕方なく、唯一の楽しみはボードに乗って空中を滑走するリフだけだった。
だが、街で唯一のリフスポットも軍に撤収されてしまう。
この最悪な街から出たくても、その方法がわからない。
そんな鬱々とした気持ちを抱えるレントンにとってのカリスマは、反政府組織のゲッコーステイトのリーダー、ホランドだった。
世界中を飛びまわって、リフを楽しむホランドに自由への憧れをだぶらせるレントン。
そんなある日、ニルバーシュというLFO(ロボットみたいなもん)がレントンの家に不時着。そのLFOのライダーであるエウレカという少女にレントンは一目惚れすることに。>

うーむ、どうも舞台は地球以外の惑星みたい。
おそらく地球を飛び出した人類がこの惑星に住み着いたのでしょう。
この惑星ではトラパーと呼ばれる粒子が空気中に流れていて、ボードにのってサーフィンすることができるのです。
いきなり校庭にでっかいキノコが突き出してきたりと、なかなかにデンジャラスな環境ですが、人間の環境適応能力はすごい。
でっかいキノコ見ても生徒たちは平然としています。
そのわりには、科学技術の進歩はたいしたことがないらしく、レントンの爺さんは携帯電話すらもっていません。
レントンの乗っているバイクも現代のものとなんら変わりなく、手塚治虫がこの光景を見たら失望することはうけあいです。
ま、そんなことよりも、レントンとエウレカはここで出会うわけですな。

<ニルヴァーシュの修理をレントンの祖父アクセルに頼むエウレカ。
次の日、州軍のKLF(ロボットみたいなもん2)がレントンの家を襲撃にやってくる。
エウレカはゲッコーステイトのメンバーだったのだ(つまりはホランドの仲間)。
州軍と戦うために、空に飛び出したエウレカ。>

するとレントンの爺さんが、
「このアミタドライブをあの娘っこに届けて来い。このアミタドライブをつければ、あのニルバーシュは真に目覚める」
ってなことを言います。
「アミタドライブってなに?」って激しく聞いてみたいのですが、そこは緊急事態。
レントンも一視聴者になりかわって「アミタドライブってなにさ?」と爺さんに問いただすこともなく、アミタドライブを持って、エウレカを追って空へ飛び出していきます。

それまでリフ(空中でするサーフィンみたいなの)がまともにできなかったレントンですが、なぜかスイスイ空を翔け、エウレカに追いつきます。
で、感情が高ぶったのか、鼻水たらしながらこんなことを絶叫。
「最高だっ!おれは君が好きなんだ。
君だからできたんだ。君じゃなきゃダメなんだ。
おれは君が大好きだァ。
だから、おれが守ってやる」
なんか書き写してるだけで気恥ずかしくなるようなセリフですが、まだ第二話までしか進んでいないというのに、ここまで言えるレントンはたいしたヤツです。
相手はどこの素性とも知れぬ女の子ですよ。しかも髪の毛ブルーだし。
実を言うと、エウレカセブン全50話をレントンは「おれがエウレカを守る」という行動原理のみで貫きとおします。
ナポレオンも真っ青の中央突破です。
ま、突破できたのかどうかはおいおいと語りますが。

で、レントンがアミタドライブとかいう拡張パーツをニルヴァーシュに取り付けるとなぜか突然の大爆発。
その後、覚醒したニルヴァーシュは鬼神のごとき活躍を見せ、州軍のKLFを次々と撃破。
以下の方々の証言によるとこれは「セブンスウェル現象」というらしい。

証言者1ドミニク(州軍の情報軍少尉)
「まさか、これがセブンスウェル現象だというのか」

証言者2ホランド(ゲッコーステイトリーダー)
「アミタドライブに含まれていたサトリプログラムがこれほどの力を生みだすとはな」

証言者3マシュー(ゲッコーステイトメンバー)
爆心地にて
「だめだ。なーんも残っちゃいねえ。どこもかしこも塩の柱だらけだ。噂には聞いていたけどこれほどとはな」

で、これらの証言を総合するに、セブンスウェル現象とはつまり・・・・
まったくわかりません。理解不能。
そもそもアミタドライブからして理解してないのにその発展形であるセブンスウェル現象がわかるわけがないでしょーが。
ちなみに私はエウレカセブン全50話をすでに見ているわけですが、いまだにセブンスウェル現象がなにかわかっておりません。
本当に子供向けアニメですか、これ?
理解できてないオッサンがここにぽつんと取り残されてるんですが・・・・。寂々。

<ホランドから自分の進むべき道は自分で決めるよう言われたレントン。
故郷であるベルフォレストを離れ、ゲッコーステイトのメンバーになることをレントンは決意する>

州軍の飛行艇であるイズモ艦の艦長ユルゲンスはニルヴァーシュにKLFを多数撃墜され、意気消沈の様子。
「私はクビだな。いやクビで済めばよいか」
などとがっくしきてますが、物語の後半ではいつのまにかちゃっかり復職してます。
これからも色々出てくるとは思いますが、全般的に州軍の規律の甘さは目に余るものがあります。

今までケチばかりつけてきましたが、真面目にいうと、この最初の3話はよく出来てます。
空を翔ける疾走感や開放感、ここから新しい旅が始まるんだという期待感がうまく表現されていると思います。

2006年11月11日

エウレカセブン はじめに

2ちゃんねるなんかを見てみると、エウレカセブンは結構評判が悪いみたいです。
糞アニメ呼ばわりしている人もいます。
もちろん人の評価というのは様々であって、ちゃんとした根拠に基づくものもあれば、まったく根拠なしのデタラメなものまで千差万別なのです。

たとえば、私は生まれつき鼻が高く、幼少のころから級友たちにからかわれてきました。
彼らのなかには、「鼻がデカいやつは、あそこもデカい」という科学的根拠のないフォークロアを信じるものがいて、子供のころの私のあだ名は「リーサルウェポン」でした。
その心ないあだ名で、摘みたての白桃のように繊細な私の心はどれだけ傷ついたことでしょう。
まさか自分の股間が普通サイズであって、決してリーサルウェポンなんかではないことを証明するために、縮こまったそいつを衆目のもとにさらすことなんてできません。
今の私は人並み以上の図太い神経を獲得していますが、子供のころはトゥー・シャイ・シャイ・ボーイだったのです。
結果、夜ごと枕を涙で濡らし、自分のバタ臭い顔を呪っていたのでした。(終)

・・・って、私の股間が最終兵器彼女かどうかなんて話はどうでもよくて、エウレカセブンの話でしたね。
つい失念してました。失敬、失敬。
さて、エウレカセブンが本当に糞なのかどうか、です。
そのためには前半、中盤、後半にわけて、自分なりにストーリーを追っていきたいと思います。
んで、それは次回以降にってことで。
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